佐々木朗希の先発ピッチャーとしての働きは「50点」 ロッテOB清水直行が考える「殻を破る」ために必要なこと
4年目のシーズンを終えたロッテの佐々木朗希。前半戦は7勝をマークするなど好調を維持したが、後半戦は左脇腹の肉離れや体調不良による離脱が影響して未勝利に終わり、復帰後は短いイニングの登板に終始した。
長らくロッテのエースとして活躍し、2018年、19年にはロッテの投手コーチも務めた清水直行氏に、今シーズンの佐々木のピッチングや起用法に対する見解、今後の課題を聞いた。
4年目のシーズンを7勝4敗で終えた佐々木 photo by Sankei Visual
【「先発ピッチャーとしての働き」は50点】
――佐々木投手は、今シーズン前半は12試合(79イニング)に登板。規定投球回数クリアに向けて順調なペースでしたが、後半戦は左脇腹の肉離れの影響もあり、わずか3試合の登板にとどまりました。
清水直行(以下:清水) ピッチングのパフォーマンスに関しては抜群で、高卒4年目のピッチャーとしては十分にやれていると思います。ただ、吉井理人監督は1年間ローテーションを守ってもらいたいシーズンだったはずで、登板数に関しては物足りなさを感じました。
後半戦は1勝もできていませんし、シーズン通して投げられたのは15試合。「先発ピッチャーとしての働き」としては50点くらいでしょうか。もちろん、持っている能力の評価は別ですよ。
――故障からの復帰後は3試合に先発登板(クライマックスシリーズでの1登板も含む)しましたが、3試合とも3イニングで降板。事前にファームでの調整登板はありませんでした。
清水 一般的には、ファームで5、6イニング投げられるようになってから一軍で投げさせることが球界の「暗黙のルール」になっている節がありますね。だから佐々木の起用に関しても"ぶっつけ本番"のような捉え方をされることもあるでしょうが、僕個人の考えとしては、投げられるのであればいきなり一軍で投げさせてもいいと思っています。吉井監督も、「3イニングであれば一軍の試合でもしっかり投げられる」という前提で投げさせたはずです。
――調整法が特別に異なるという点で、他のピッチャーは佐々木投手に対してマイナスな感情を抱くことはないでしょうか。
清水 何かしらの感情を抱く可能性はゼロではないと思いますが、そこは他人のことなので、「自分は自分」と考えてほしいです。選手たちはすでに理解していると思いますけどね。
結局、起用法は吉井監督をはじめとした首脳陣の評価によるもの。例えば、小島和哉投手や種市篤暉投手らに対しての評価が佐々木投手と同等であれば、同じように一軍でいきなり復帰登板をさせることもあり得るでしょう。
【佐々木が超越しなければいけないもの】――CSファーストステージのソフトバンク戦は、3回無失点4奪三振。支配的なピッチングを見せていましたが、本調子に戻ってきている印象はありましたか?
清水 完全復調と言ってもいいぐらいの完璧なピッチングでした。球数は3回で41球でしたし、「もう1イニング投げさせてもいいのでは?」という意見が出てくることもわかりますが、吉井監督の頭の中には数年先までを見据えたプランがあるんでしょうね。
――CSファイナルステージのオリックス戦では「なぜ、投げさせなかったのか?」という声も聞かれました。
清水 佐々木投手の体調を慎重に見た上での判断でしょうね。結局は結果論で、第4戦で種市投手がちょっと打たれてしまった(3回2失点)からそういう声が出てきたと思うのですが、吉井監督は種市投手にしろ小島投手にしろ、先発を任せたピッチャー全員を信頼して送り出しています。
種市投手ならやってくれると思って任せているので、何でもかんでも「佐々木投手が投げたらよかったんじゃないか」というのは、他のピッチャーにはかわいそう。そこはプラン通りだったと思います。
――吉井監督は来季に5年目を迎える佐々木投手に対して、「中6日で150イニング」をノルマとして掲げています。
清水 プロ入り5年目の目標がそれ以下だとちょっと寂しいので、ノルマとしては妥当なのかなと。単純計算で、ローテーションで1年間投げると24試合、1試合6イニング投げたら年間144イニングです。これが7イニングだと年間168イニングなので、年間150イニングがノルマということは、「いけるなら7回、いけないなら6回」という感覚なんだと思います。
それと、ロッテは2019年から医療面・コンディショニング面で順天堂大学のサポートを受けたりしていますが、データには必ず個人差がありますよね。「これぐらいのトレーニングをすると体がこうなる」「これぐらい投げたら体がこうなる」といった基準値があっても、それは他人のデータでもあり、佐々木投手個人のデータではありません。なので、"実際に投げてみなければわからない部分"はあると思うんです。
体のどこかを故障した時、故障した原因を分析する際にデータは後ろ盾になりますし、故障を未然に防ぐための拠りどころにはなるのですが、そういったものを超越していかなければいけないと思うんです。例えば大谷翔平選手(エンゼルス)は、二刀流という前例のないことをしている。その際のケガのリスクは数値で測れないと思いますが、都度トライして大きく成長していっていますよね。
【首脳陣の期待をいい意味で裏切らないとダメ】――データは故障を防ぐための参考にはなるが、縛られすぎてもよくない、ということでしょうか?
清水 現状は、データが"抑止力"になってしまっているんじゃないかと。ただ、あれだけの素材を預かっている責任は重大ですし、素材を壊してはいけないという考えのほうが大きく働いているんだと思います。どうしても"過保護"に見られてしまうのは、「どこまでを本人に任せて、どこまでを球団が管理しているのか」が、こちらに伝わってきていないからだと思います。
外部にそれを伝える必要はありませんが、本人がどう思っているのかは大事です。本音では「もっと投げたい」と思っているのか、ずっと管理されたままでいいと思っているのか。ケガのリスクを考えて球団に任せているのかもしれない。今のところ、交代の際にはコーチなどに「ご苦労さん」と肩をたたかれて、素直に交代しているように見えるので。
――シーズンを通してローテーションを守る体力をつけるために必要なことは?
清水 投げて鍛えていくしかありません。投げながら耐える体力をつけてピッチングを覚え、アウトを取るコツを身につけていく。しかし、今のロッテは投手を管理する側面が少々強いので、そういう感覚はないかもしれません。
ただ、先ほども言ったように佐々木投手はそれを超えていかなければいけない。首脳陣の期待をいい意味で裏切らないとダメなんです。例を挙げれば、今年パ・リーグの首位打者になった頓宮裕真選手(オリックス)。もともと長打力に定評がありながらも確実性に欠けていましたが、本人の「(首位打者は)一番縁がないタイトルだと思っていた」という発言もあったように、首脳陣の期待値を超える好成績を残しましたよね。
ロッテのピッチャーで言えば、小島投手がCS進出を決める試合など、いくつかの負けられない試合で期待値以上の好投を見せて殻を破りかけています。そういう力を見せないと、監督は起用のプランを壊してくれませんよ。選手のほうから殻を破っていかないと、監督は保守的になってしまいがちですから。
――期待値以上の力を見せないと、起用プランもマイナスな方向に変えざるを得ない?
清水 そうですね。例えば美馬学投手には「年間20試合登板で1試合6イニングぐらい投げてくれたら」といった目安を設けて開幕を迎えていると思いますが、フタを開けてみれば5回を持たないことが多く、20試合を投げられない......となると監督の起用プランも変わります。
【「管理」と「本人の感覚」のバランス】――投手が殻を破るためには、投げて鍛えていくことが重要?
清水 当然、首脳陣が管理することも重要ですが、僕は投げて鍛えていくほうを重視しています。数値では測れない本人の伸びしろ、本人の「もう少し投げられる」という感覚、投げていく中で身につける体力や投げ方など、そういったことを感じた上で本人が意思を表に出すようになるのを期待しています。
勘違いしてほしくないのは、「管理するのがダメだ」と言っているわけではないということ。僕の考えでは、80%が本人の感覚、20%がケガをしないための管理という割合。ただ、今はその逆のような気がしています。「俺はこれぐらいでいい」なんて思っていてほしくない。口に出さなくてもいいので、「ここまで辿り着きたい」という目標をブレずに持っていてほしいですし、管理されたままではいてほしくないなと思います。
――そういった気持ちはピッチングにも影響しますか?
清水 内に秘めているものは、ピッチングにも表れると思います。練習の取り組み方から、マウンド上の姿、試合後のコメントにも。先ほど小島投手の話をしましたが、今はロッテの先発の中で一番多くの試合を投げ、ふた桁勝ちました。
彼は、昨年のなかなか勝てない時期も、ずっと「絶対にエースになる」「ローテーションを守り切る」という強い気持ちを持っていたんでしょう。それが表情や、投げっぷりに表れてきましたね。佐々木投手にもそうなってほしいと思うので、来年はそこに期待したいです。
吉井監督は「中6日で150イニング」というノルマを掲げていますが、投げてみたら120球ぐらいで完投してくれた、ともなれば「これはいけるんじゃないか」とプランを見直すかもしれません。殻を破り、プランを変えさせるぐらいのピッチングを見せてほしいですね。
【プロフィール】
清水直行(しみず・なおゆき)
1975年11月24日に京都府京都市に生まれ、兵庫県西宮市で育つ。社会人・東芝府中から、1999年のドラフトで逆指名によりロッテに入団。長く先発ローテーションの核として活躍した。日本代表としては2004年のアテネ五輪で銅メダルを獲得し、2006年の第1回WBC(ワールド・ベースボールクラシック)の優勝に貢献。2009年にトレードでDeNAに移籍し、2014年に現役を引退。通算成績は294試合登板105勝100敗。引退後はニュージーランドで野球連盟のGM補佐、ジュニア代表チームの監督を務めたほか、2019年には沖縄初のプロ球団「琉球ブルーオーシャンズ」の初代監督に就任した。