「ありえない…」交際3年、40歳・敏腕経営者の彼氏が隠していた、衝撃の事実とは?
太陽に照らされて、笑顔がキラキラ輝く季節。
夏の恋は、いつだってロマンティックだ。
東京カレンダーのライター陣が1話読み切りでお届けする、夏ならではの特別なラブストーリー。
「夏の恋」が期間限定で復活!あなたにも、夏の恋の思い出がありますか?
▶前回:出会ったその日に彼の部屋へ…。NYの語学学校で経験した、忘れられない“ひと夏の恋”
恋の終わり/瑠璃(28)
「はぁ…来ちゃった」
蝉しぐれがじりじりと音をたてる8月の夕方。
ボストンバッグを手に、私は目の前の建物を見上げた。七里ヶ浜駅から歩いて数分、坂の上に佇む“湘南の顔”と言うにふさわしいそれは、鎌倉プリンスホテルだ。
バンケットホールの入り口をくぐり抜け、エレベーターでホテル棟へ。近づいてきたスタッフに笑顔を返し、荷物を預けた。
フロントには、チェックインを待つ家族連れやカップルがたくさんいた。それを見て――今日から5日間、私は“1人で”過ごすのだという現実を、改めて突き付けられる。
― 奥さんの出産が早まらなかったら、“彼”と一緒に来られたのになぁ。
今さら言っても仕方ないことが、頭をよぎった。
◆
北岡さん――ここに一緒に来る予定だった彼と知り合ったのは、3年前。
勤務先である建築事務所の先輩に誘われて、敏腕不動産経営者として知られる彼のパーティーに参加したのだ。
その日は少し話しただけだったのだが、以来、彼から頻繁に呼び出されるようになった。エネルギッシュで話し上手、経験も豊富な彼に、私はどんどん惹かれていった。
一回りも年齢が離れている彼の私生活は謎に包まれていたが、家に生活感はなく家族の話も一切しないから、結婚していないものだと思っていたのに――。
半年前、彼は事もなげに言ったのだ。「嫁が妊娠した」と。
案内されたスイートルームは、素晴らしいお部屋だった。
スタイリッシュながら落ち着きのある調度品に、ゆったりとしたソファ。そして何よりも、富士山と江の島を臨む見事なオーシャンビュー。
たった1人の旅でなければ、幸せな気分になれたに違いなかった。
― 半年前から、色々変わっちゃったなあ。
「俺、結婚してること伝えてなかったっけ?まあ嫁との関係は終わってるから、離婚してるも同然なんだけどさ」
あの時、呆然とする私に、彼はまったく悪びれない表情でそう告げた。
じゃあなんで奥さんは妊娠してるの?――とは言えず、「そうなんだ」と返すので精一杯だった。
彼との関係は、明確な上下関係の上に成り立っていたから。なんでも知っていて、なにもかも手にしている彼と、無知で彼よりも頭の悪い私。
― 罰が当たったんだな。
それまでだって、デートをすっぽかされたり週末じゅう連絡を無視されたり、色々あったけど…何も考えずに全部許してきた。だからこそ、彼の嘘に気づけなかった。そして結局今もなお、ずるずると関係を続けてしまっている。
「だめだ。この状態で5日間も1人で過ごすなんて、ツラすぎる」
急に我に返る。同時に、お腹が減っていることに気づいた。
せっかく旅行にきたのだから、この辺りでおいしいものを食べたい。それにどうしようもなく、誰かと話したかった。
― でも、誰と?
考えながらふと、スマホを手に取った。
◆
「じゃあ、初めましてということで…乾杯!」
長谷の『OLTREVINO』。冷えた白ワインでグラスを合わせると、自然と緊張が緩んだ。
「ここの生ハム、おすすめだからぜひ食べて!」
テーブルの向こうには、陽太という名前の同い年の男性。実家が北鎌倉にあり、夏季休暇で帰省しているのだそうだ。このお店は以前からよく来るそうで、自家製フォカッチャやデリをテイクアウトして家族で楽しむことも多いという。
「実家でやることもなくてヒマだなと思ってたけど、なんとなくマッチングアプリ開いてよかった。瑠璃ちゃんと話してると楽しい!」
陽太はその名のごとく、太陽のように朗らかに笑う。雰囲気は軽い感じだが、意外にも慶應卒でメガバンク勤務の法人営業部所属という、堅い経歴らしい。
「5日間も1人でホテルに泊まるなんて、瑠璃ちゃんセレブだね」
「親から優待券もらったから、ゆっくり滞在してみようと思って」
「そうなの?最高じゃん。ご両親、優しいね!」
無邪気な陽太を見て、嘘をついたことに心が痛む。1人で5日間も鎌倉のホテルにこもるなんて、多少ツッコんでもおかしくない話だと思うが、陽太は何も疑問に思っていない様子だ。この素直さは、育ちの良さからくるものだろうか。
「陽太くんも、1週間ずっとご実家なんでしょ?家族仲いいんだね」
「たしかに仲はいい方かも。あと、祖母も実家で一緒に暮らしてるから、なるべくたくさん顔見せてあげたくてさ。でも、さすがに1週間実家にいてもヒマだけど」
そう言いつつも、おばあさまのことを考えてか、優しい目で微笑む陽太。
― なんか、新鮮かも。
マッチングアプリに登録したときは、今夜食事ができる人なら誰でもいい、と思っていた。でも…陽太と話すにつれ、不思議と「また会いたい」という気持ちがふくらんでいく。
「あのさ」
デザートが運ばれてきたとき…なんだか居ても立ってもいられず、彼に切り出した。
「今週、またどこかで会わない?私ずっとこの辺にいるし。特に、予定もないし」
一瞬、目を丸くした陽太。
でもすぐに、笑顔に変わった。
「いいね、遊ぼうよ!」――弾んだ声。
ホッとしたような照れくさいような、温かい気分になった。
2日後
「ドライブでも行こうよ。車でホテルまで迎えに行くから」という彼からの提案があった。
「やった、嬉しい」と無邪気に喜んでみたが、その実、相当に嬉しかった。
― ほらね。あなたにドタキャンされたって、私は他の人とデートできるんだから。
心の中で北岡さんに毒づく。
彼を吹っ切るチャンスだと思った。出会ったばかりの彼と、今後どこまで関係が進展するかはわからないけれど…少なくとも、丁寧に向き合ってみたい。
でも――。
『ごめん。家族の事情で、今日行けないかも』
待ち合わせの30分前。マッチングアプリのトーク画面に残された一言を見て、私は呆然とする。
陽太とはLINEを交換していなかった。電話しようにもできず、私はなすすべもなくスマホを握りしめるしかなかった。
家族の事情というが、本当なのだろうか。ただ会うのが面倒になったのではないか――悪い想像ばかりがふくらんでいく。
― これも罰かなあ。
北岡さんという“人のモノ”を欲しがった業は、どこまでも深いのかもしれない。新しい出会いをも遠ざけるほどに――。
その時、不意にスマホが鳴った。目を落とすと…それは、今まさに考えていた相手からの連絡だった。自然と指が動き、「通話」をスワイプしてしまっていた。
「…もしもし」
「瑠璃?おまえ、もしかして1人で鎌倉にいるの?」
「…」
「1人にしてごめんな。さすがに今回は悪かったと思ってるよ。瑠璃だけは俺のことわかってくれるから、つい甘えちゃうんだよな」
媚びるような甘い声。普段はすごく横柄なくせに、こうして時々頼ってくるところがどうしようもなくかわいくて、私はこの声にすごく弱かった。陽太にドタキャンされた心細さも相まって、安心した気分になる。
しかし、北岡さんは言う。
『無事、昨日産まれたよ。時期が早まったからビビったけど、超安産だったわ』
あっけらかんと放たれた言葉に、急に現実に引き戻される。
『嫁は退院後も実家に帰るし、俺はしばらく解放されたってわけ。今から瑠璃のところ行こうと思うけど。どうせホテルに引きこもって1人で拗ねてるんだろ?』
ぞんざいに投げつけられた、乱暴な言葉。
誰よりも弁が立って、自分に自信があって。同世代の異性にはないそんな要素が男らしく見えて…私は長年、彼に心酔するように憧れていた。
けれど…陽太の、家族に対する優しい眼差しを見たからだろうか。
家族にさえ敬意を感じられないその態度に、心がヒュッと音を立ててさめていくようだった。
「ごめん。もう会えない」
一言だけ告げて、通話終了ボタンを押す。
長年の関係があっけなく切れた瞬間、全身から力が抜けて、私はベッドに倒れ込んだ。
― 私、本当はもうずっと、終わりにしたかったんだ。
まどろみながら、そう思った。
眠りに落ちる瞬間、陽太の顔が頭に浮かぶ。
― 欲を言えば、もう一度会いたかったな。
◆
どれくらい眠っていたのだろう。
ピリリリ、という内線電話の鋭い音で目が覚める。
櫻井陽太様がお待ちですが、というホテルマンの声で、すぐさま覚醒した。いそいそと身なりを整え、フロントに向かうと――陽太が立っていた。
「ごめん、祖母が急に発熱したんだ。日中に親がいなかったから、病院とか薬局とかかけまわってて…親が帰ってきてバトンタッチできたから、車飛ばしてきた」
そう言って頭を下げる陽太を、私は半ば夢を見ているような気持ちで見つめる。
「っていう事情を、マッチングアプリのトークルームに送ってたつもりだったんだけど…通信状況悪かったのか、うまく送れてなかったみたいでさ。本当にごめん」
見せられた画面には、たしかに事情を丁寧に説明した文章が並んでいた。「このアプリ、前から時々落ちるんだよな」と頭を掻く陽太。
「これを機に、LINE交換しない?」
おずおずと尋ねてくる彼。ホテルまで会いにきて「LINE交換しよう」なんて言われたのがなんだかおもしろくて、思わず笑ってしまった。そんな私の様子を見てか、彼の表情にも笑顔が戻る。
「それから――これから食事でも行かない?一日バタバタしてて、何も食べてないんだ」
「奇遇だね。私も同じだよ」
顔を見合わせて、笑い合う。
― この人となら、もしかしたら。
どうしようもない恋愛を終えたばかりの状態で、不安もある。
だけど同じくらい、この人との未来に期待したい――。
潮風の吹く外へと、私は足を踏み出した。
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