「くにまるジャパン」、「くにまるジャパン 極」時代にレギュラーで出演していただいた音楽評論家の萩原健太さんが7月21日のくにまる食堂にご来店。実はサザンオールスターズがアマチュアだった頃のメンバーだったというエピソードを伺った。

邦丸「萩原健太という名前が世に知られるようになったきっかけは、やっぱり「イカテン(TBS:三宅裕司のいかすバンド天国)」ですかね?」

荻原「すごい大昔の話ですけどね。土曜の深夜に、生放送でいろんなアマチュアバンドが出て、勝ち抜きバンド合戦みたいなことをやる番組で、審査員をやらせていただいたんです。」

邦丸「その他に、音楽評論もやってますし、ディスクジョッキーとしてラジオにもご出演されていますが、萩原健太さんのことをご存知の方がいらっしゃれば、「もともとサザンがアマチュアの時にメンバーだったんだよね」と言うんじゃないでしょうか。」

荻原「そうなんですよ。邦丸さんもご存知だと思うんですけど、宮治ってやつがいるんですよ。」

邦丸「ワーナーでずっとプロデューサーをやってらっしゃった方ですね。」

荻原「僕は早稲田大学なんですけど、その宮治淳一が浪人して1年遅れで入ってきて、彼の友達として当時、青山学院大学にいた桑田佳祐を紹介されたんです。そしてなんだかんだで一緒にバンドをやるようになったと。」

邦丸「サザンの名曲「Ya Ya (あの時代を忘れない)」には、better daysという名前が出てきます。」

荻原「当時の音楽サークルですね。」

邦丸「荻原さんは早稲田からそこに出張してた。」

荻原「better daysって部室がなかったんですよ。教室を借りて練習するんですけど、いろんなバンドが順番を学食で待つんです。そこで早稲田の学食と青学の学食の格差に驚いて。」

邦丸「(笑)青学はいいんだ?」

荻原「す~ごい!「お店じゃん!」みたいな。今は綺麗だと思いますけど、当時の早稲田の学食は、「ここで食うなら家で食うわ」みたいな感じだったんです。青学は本当におしゃれでメニューも豊富だし、羨ましかったですよ。もう憎いと思いました。あったま来んなと思って。」

邦丸「ひょっとするとそのままサザンでやってたかもしれないんですが、早稲田大学を卒業した後は出版社に入られてミステリーを担当してた?」

荻原「自分も音楽家になりたいなって気持ちはあったんです。そうなんですけど、桑田佳祐と会って、プロのミュージシャンになるのはこういう奴だと、俺なんかとても足元に及ばないし、こいつの音楽聴いてるだけでいいやと思ったんですよ。」

このあと、サラリーマンを辞めるきっかけになった大滝詠一さんの言葉や、萩原健太さんが選んだ洋楽を紹介した