人生には、決断をしなければならない瞬間がある。

どちらの道を選ぶのかで、その後の人生が大きく変わることもあり得るだろう。

美女たちは、これまでどんな選択をしてきたのか、心のうちを覗いてみよう。

ピュアな眼差しと、溢れ出す透明感。

大人の女性と少女の狭間で揺れ動く、弱冠ハタチの蓼沼 優衣さんの魅力に迫る。



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木登りして、カブトムシ採ってました


蓼沼 優衣さん、20歳。

優しげな眼差しが印象的な美女だ。



その笑顔から、透明感が溢れ出す……


現在、女優やグラビアで活躍する彼女が生まれたのは、栃木県の山奥だ。

「360度、山や畑が広がっているような田舎で育ちました」

大自然に囲まれながら、活発な少女時代を送っていたという。

「近所の男の子たちと山でカブトムシを採ったり、鬼ごっこをしたり。元気いっぱいの子どもでしたね」

そろばんで才能を開花させて、フラッシュ暗算大会で好成績を収めたこともあるそうだ。

さらに当時、時代はAKB48やE-girlsブーム全盛期。

彼女も人気アイドルグループに憧れる少女だった。

「校内発表会があるたびにステージに上がり、完コピしたアイドルダンスを皆の前で披露していました。

小学4年生の時に、地元のショッピングセンターに『E-girls』が来てくれたことがあったんです。ステージにいる彼女たちは、同じ人間と思えないくらい、キラキラしていて衝撃を受けました」

憧れのグループが踊る姿を間近で見たことにより、初めて「芸能界に入りたい」という気持ちを抱いた優衣さん。

しかし、肝心な「最初の一歩」を踏み出せずにいた。



少し大人びた表情も、綺麗だ


地元の中学校に進学すると、吹奏楽部に入る。

担当楽器はトランペット。朝も夜も熱心に練習を続けたという。

「田舎で住宅もまばらなので朝晩、家で練習していても苦情は来ませんでした(笑)」

部活の練習は厳しかったが、優衣さんは必死に食らいついた。

すると、先輩部員たちの卒業後、次の部長に任命されたのは最も熱心に練習していた優衣さんだった。

「部長になって、初めて壁にぶつかりました。部員一人一人の主張が強くて、意見が一致しないんです。

話し合いをしても解決しなくて、ケンカも増えて、一体どうすれば良いのかと悩みました」

悩んだ末に優衣さんは、発想を転換することにした。

「意見が分かれるということは、それだけ皆、真剣なのだ、と状況を前向きに捉えるようにしました。

そして、私と反対の意見を言う部員の言葉にもしっかりと耳を傾けるようにしました」

彼女の対応が変わると、部内の空気が少しずつ穏やかになっていった。

お互いが理性的に話し合えるようになり、最終的にチームの団結力があがったそうだ。

しかし、目標にしていた県大会には一歩及ばずに、引退シーズンを迎える。

「結果に結びつきませんでしたが、仲間と目標に向かって努力する大切さを学びました」


地元の一般企業で事務職として働くつもりだった

妖艶な眼差しに、ハートを射抜かれる


高校卒業後は、一般企業で事務職として働くつもりで、地元の商業高校に進学することを決めていた。

しかし、中学の卒業旅行で上京した時に思いがけない出会いがある。

「原宿の竹下通りで、芸能事務所からスカウトされました。

怪しい話なら断っていましたが、その方は丁寧に『親御さんに説明します』と言って、わざわざ地元の親に連絡してくれたんです」

その後、日を改めて両親と共に同事務所に呼ばれた彼女。

正式な契約に向けて前進するなか、戸惑いもあった。

それは、中学1年の時に先輩から言われた「ある言葉」が原因だった。

「『優衣ちゃんってぶりっ子だね』と、言われたことがあったんです。

自分としてはそんなつもりなかったので傷つきました。そこから目立つことが怖くなりました。

だから、芸能活動を始めたら、あの時と同じように誰かの言葉で傷つくことがあるかもしれないって思うと戸惑いました」

しかし、父親からの一言で優衣さんの覚悟が決まる。

「父が『誰にでもできることじゃないから挑戦してごらん』と優しく背中を押してくれたんです」

そして、正式に芸能事務所に所属することになった優衣さん。

地元の商業高校で、簿記などのビジネススキルを学ぶ一方で、芸能活動をする日々が始まった。

すると、すぐに広告モデルの仕事が決まった。

「初めての撮影では、緊張のあまり顔が引きつってしまいました。

そうしたら、カメラマンさんが『撮られていることを一旦、忘れていいよ』と言ってくださって。

おかげで最後はリラックスして撮影に臨むことができました」



白い衣装を着ると、純白の天使のようだ!


少しずつタレントとして経験値を積んでいった優衣さん。

高校卒業を目前に控えたある日、マネージャーから「グラビアに挑戦してみないか」と提案された。

「水着のお仕事に、抵抗がなかったと言えば嘘になります。でも、中途半端な覚悟でグラビアに臨んでもダメだと思い、覚悟を決めました」

こうして大手少年誌が開催するグラビアオーディションにエントリーした彼女。

すると、あれよあれよという間に高い倍率を勝ち抜き、準グランプリを獲得。

合格後すぐ、同期メンバーと共に同雑誌で華々しく表紙デビューを飾った。

「まさか自分が入賞するなんて思っていなかったので、驚きました。

元々太い脚やどっしりした腰回りが好きになれず、自分の体型に自信がなくて。

私よりスタイル抜群でかわいい子も多く、途中からずっと『私みたいな一般人がこのオーディションに紛れ込んで良いのかな』と思っていました」

受賞をきっかけに、グラビアの仕事が次々と舞い込むようになる。

グラドルとしてのキャッチコピーは、「国民的幼なじみ」。

不慣れな水着での撮影も続けるうちにプロ意識が芽生え、SNSで発信する際にも意識が変わっていった。

「今までInstagramには、ラーメンの写真や猫の写真ばかりを載せていました。

自撮りを撮ることが、すごく恥ずかしかったんです。

でも、グラビアのお仕事をやる以上、応援してくださるファンの方のためにも、そんなことは言っていられないと思うようになりました」

そこからは“盛れる角度”を研究し、自撮りの撮り方を覚えた。

コツを掴むとグングンとSNSのフォロワーが伸び始める。


初めての本格的な女優業は、超難易度が高くて

絶妙にアンニュイな表情も素敵だ!


その後、大きなチャンスが訪れる。

人気ロックバンド・UVERworldの「えくぼ」という楽曲のミュージックビデオに、ヒロイン役で出演する話が舞い込んできたのだ。

それは、数奇な運命に翻弄される男女の恋を描いた曲だった。

「オーディションでは、短時間で泣く演技が求められました。

すごく難しかったですが、絶対に役を取りたかったので、全力で演技をしました」

数百倍の倍率を勝ち抜き、見事ヒロイン役を掴んだ優衣さん。

憧れの女優業に挑戦できることになり、喜びもひとしおだった。

「戦時中の女性と、現代を生きる女性。

一人二役演じる必要があったので、歴史を学ぶため資料集めもしました。

当時の方の暮らしを調べるうちに、自然と役柄に没頭できるようになりましたね」

ミュージックビデオ撮影日の前日は、緊張のあまり一睡もできなかったという。

しかし、撮影が始まると、相手役の男性と呼吸を合わせることに集中した。



その無邪気な笑顔に、翻弄されてしまう!


「オーディションでは泣けたのに、いざ本番になると緊張して涙が出なくなってしまって。

でも、監督が『役の気持ちを考えれば、自然と感情が動くはず』と言ってくださって救われました」

改めてヒロインの女性の気持ちになりきった彼女。

すると、ほろりと涙が溢れ、悔いのないシーンを撮ることができたそうだ。

「完成したミュージックビデオを見て、『一生忘れない作品ができた』と思いました」

彼女の努力が功を奏し、ミュージックビデオは100万回以上の再生数を突破。

女優としてキャリアを歩む上で、大きな自信に繋がった。

着々と経験値を積み上げる彼女。

今後は、どのような仕事に挑戦していきたいのだろう。

「グラビアも女優も、どちらも全力でがんばりたいです!

水着のお仕事では少年誌で単独表紙を飾りたいですし、女優としては演じていることを感じさせないくらい、自然な演技ができるようになりたいです」

どのような試練も、まっすぐな瞳で乗り越えていく美女。

今後の活躍に期待したい!

<今週の美女>
蓼沼優衣さん
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公式サイト

<カメラマン>
佐野 円香

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人気グラドルの妹が登場




妖艶なバストに思わず目がいってしまう…

「どんな役柄も演じられる女優さんになりたいです」と彼女

まるで妖精のような透明感がある

少女のような可憐さの中に、芯の強さが感じられる

大人っぽい表情にドキッとする