「ジェンダーギャップ指数報告書」で、日本は146カ国中125位となった(写真:bee/PIXTA)

21日、ツイッターのトレンドワード1位に「男女格差」「125位」がランクインし、さまざまなコメントが飛び交っていました。

これは世界経済フォーラムが発表した「ジェンダーギャップ指数報告書」で、日本は146カ国中125位となり、116位だった去年よりも大幅にランクダウン。さらに2006年の調査開始以来、過去最低の結果となったことに対する反響でした。

日本が過去最低の結果に終わった最大の理由

この調査は世界各国の男女格差についてまとめたものであり、「政治」「経済」「教育」「健康」の4分野で、男女平等な状態を100%とした達成率を「ジェンダーギャップ指数」として毎年公表。日本のジェンダーギャップ指数は昨年の65.0%から微減した64.7%で、アジアの中で、16位フィリピン、49位シンガポール、72位ベトナム、74位タイ、87位インドネシア、105位韓国、107位中国を下回りました。

ちなみに上位とG7の主な順位は、1位アイスランド、2位ノルウェー、3位フィンランド、4位ニュージーランド、5位スウェーデン、6位ドイツ、15位イギリス、30位カナダ、40位フランス、43位アメリカ、79位イタリア。

日本が過去最低の結果に終わった最大の理由は、「政治」(指数は5.7%)で、衆議院での女性議員や閣僚の割合が低いことに加え、女性首相が誕生していないことなど。さらに、「経済」(指数は56.1%)でも、同一レベルの労働における男女の収入格差や、女性管理職の少なさなどが指摘されました。

一方で「教育」の指数は99.7%、「医療」の指数は97.3%で、「男女平等に近い」と評価されています。つまり、「教育」と「医療」で男女ともにポテンシャルを発揮しやすい国であるにもかかわらず、「政治」と「経済」で女性のそれを生かし切れていないという見方をされているのでしょう。

ネット上には、「世界からどんどん遅れていく日本。先進国とは言えないレベル」「原因は政治だろう。日頃から政治に無関心な国民にも責任がある」などと調査結果を重く受け止める声と、「能力のない女性を引き上げたら、それこそ男女格差が生まれる」「こういう調査の影響でポストを与えるのはよくない」などの否定的な声に二分されています。

どちらの声にも一理あるものの、ともに1つ抜け落ちている重要な視点がありました。それは単に女性の政治・経済への参画だけでなく、男性側の生活や人生に関わることなのです。。

男女格差を能力主義に置き換える弊害

近年、強制的に政治・経済などの分野で女性の比率を上げるクオータ制の是非が議論され、すでに実施している国が過半数とも言われています。ただ、このような議論のとき必ずあがるのが、前述したような「性別ではなく能力で選ばれるべき」「無理やり女性の割合を上げて政治・経済がよくなるとは思えない」という反発の声。今回のジェンダーギャップ指数でも、このような能力主義を掲げるような声が目立っていました。

問題はクオータ制の是非ではなく、“能力”の前提。このような能力主義の声は正論に見えるものの、ベースとなる論点が抜け落ちています。そもそも「現職の男性たちは本当に能力が高くて選ばれたのか」「能力の高い女性たちが埋もれずたどり着ける環境なのか」。それらの前提に疑問が残る以上、能力主義を掲げて男女格差の議論を阻むのは無理があるのです。

これまで日本は長い歴史の中、男性主導で現在の社会を作ってきたことは間違いないでしょう。その結果が「政治」と「経済」における現在の男女格差であり、「それが本当に正しいことだったのか」「男女の能力差はそんなにあったのか」などの検証はされていません。過去は国民性や文化的な背景などからそれが自然だったかもしれませんが、性別だけでなく個人の尊重が叫ばれる令和の今、その格差は時代錯誤なものにも見えます。

ところがツイッターを見ると、まだまだ男性主導の社会が「自然」であり、「そのほうがいいのかな」と現状維持を受け入れるような男性の声が散見されます。本当に男性たちはそれでいいのでしょうか。男女格差は、男性たちの生活や人生にも大きな影響を及ぼしている」という視点が欠けているように見えてしまうのです。

男女格差があるから「男性もつらい」

男女格差の話題になると、男性は「女性というだけで優遇されるのはおかしい」などと反発しがちなところがありますが、決して単純な損得の話ではありません。

現在の政治・経済は、本人も周囲の人々も、「男性がそれに打ち込み、家庭、趣味、人間関係などを犠牲にすることが当然」のように見なされがちです。過度な労働時間やプレッシャー、生産性の低い業務や古い習慣、内外のクレームやハラスメントなどを受け入れざるを得ず、プライベートの時間がなかなか取れない職場でも家庭でも孤立しやすく、「立場を失ったとき、自分には何も残っていなかった」「気づいたら体を壊してしまっていた」などの悲しいケースも少なくありません

男女格差がある社会は、「女性だけでなく、男性もつらい」「人間らしい生活がしづらい」ものになりやすく、「それらの苦境を改善するためにも女性の能力を生かしていこう」というのが、ごく自然な見方なのです。言わば、「男性のためにも、政治・経済における男性優位を変えていこう」ということ。男性たちは自分の生活や人生、さらには心身の健康や命を大切にするために、自ら男女格差を改善しようと動くほうがいいのではないでしょうか。

だからこそ大切なのは、現在の議員や官僚、経営者や管理職を筆頭に多くの立場が、男女ともに“やりたい仕事”“魅力のあるポスト”であること。まず、過重労働を強いられず、プライベートとの両立がしやすく、実際に産休・育休などの不安が少ないなどのベースが求められます。労働時間と収入、地位とやりがい、犠牲にしなければいけないものが少ないなどのバランスが取れてはじめて、「自分の能力を生かしたい」「思い切って挑戦してみたい」というポジティブな姿勢が生まれるのでしょう。

現在の政治・経済は、「女性たちがそれぞれの現場で男女格差を感じながら戦っている」という状態。または、その大変さを薄々感じているから、「やり損」「失望させられるだけ」と見なして挑戦しづらいところがあります。

まだまだ日本の政治・経済が男社会である以上、そんな現状を変え、男女格差を改善するために鍵を握っているのは男性たちでしょう。今回のジェンダーギャップ指数が発表されたとき、メディア出演していた大半の専門家は女性であり、男性の意識が薄いことを改めて感じさせられました。男性たちが「自分の生活や人生、健康や命を大切にしよう」と意識を変え、声をあげられたら、女性たちも本気で挑むことができるのではないでしょうか。

多様性を尊重し、参画できる社会に

近年では「男女格差を改善しよう」という企業や組織も少なくありませんが、はたして本当に実現しているのかと言えば疑問が残ります。たとえば、「意思決定の場に女性を参加させているが、発言の機会が少なく、決定権がないなど、影響力が少ない」「メディアへのアピールを目的に女性の管理職を起用したが、必要な権限を与えていない」「対外的な人数合わせのために、社内への影響が少ない社外の女性取締役を起用している」。これらのような「表面的な策に留まる企業や組織がまだまだ多い」という現実をよく聞きます。

男性たちにも、「これまでのやり方のほうが売上、利益を計算しやすい」「女性社員に物足りなさを感じている」「自分の立場や収入を守りたい」などの気持ちもあるのでしょう。ただそれでも、男性の犠牲や女性の我慢を強いるような現状は、中長期的に企業や組織の利益につながるとは思いづらいところがあります。良くも悪くも政府の強制的な介入がない中、利益と社員の心身を守れるのは、やはり現在の経営者や管理職でしょう。

19日に自民党の茂木敏充幹事長が、「党所属の女性国会議員の割合を今後10年間で30%まで引き上げる(現状は約12%)」という計画を発表していました。政治的な思惑はさておき、調査がはじまった2006年のジェンダーギャップ指数が80位だったことを踏まえても、世界のスピード感と比べたら「それでは遅い」という感は否めないでしょう。このあたりは国民の1人ひとりが注視していきたいところです。

ジェンダーギャップ指数のようなデータは、「必ずしもフェアな調査とは言い切れないところもある」ものですが、一方で「素直に受け入れたほうがよくなりそうなところがある」のも事実。あれこれ難癖をつけて本質から目を背けるのではなく、いいきっかけとして活用したいところです。今回は男女にまつわる話題でしたが、性別だけでなく多様性を尊重し、誰もが参画できる社会の実現を目指していくべきではないでしょうか。

(木村 隆志 : コラムニスト、人間関係コンサルタント、テレビ解説者)