名門ロッキード唯一のビジネスジェット「ジェットスター」に乗った! 露と消えた300機生産の皮算用
F-22「ラプター」やF-35「ライトニングII」といったステルス機からC-5「ギャラクシー」などの大型輸送機まで広く手掛ける航空機メーカーの名門ロッキード。同社が造った唯一のビジネスジェットは一体どんな機体だったのでしょうか。
名技師ケリー・ジョンソンも係わったプライベートジェット
昨今、日本でも需要が増えつつあるプライベートジェット(ビジネスジェット)機は、自動車メーカーのホンダが開発した「Honda Jet」が好調なこともあり、日本でも注目を集めつつあります。この分野には、ホンダに限らず過去さまざまな航空機メーカーが市場を開拓しようと参入しました。
そのひとつに、航空機メーカーの名門ロッキード(現ロッキード・マーチン)もありました。ただ同社は、プライベートジェットに関しては1機種を開発しただけで終わっています。
そんなレア機が、L-329・L-1329「ジェットスター」です。筆者(細谷泰正:航空評論家/元AOPA JAPAN理事)は過去、その軍用モデルであるC-140「ジェットスター」を1980年代半ばに見学する機会に恵まれました。見た目も少し変わっていた同機について、振り返ってみます。
1986年5月18日、アメリカ北西部ワシントン州のフェアチャイルド空軍基地で撮影したC-140A飛行点検機(細谷泰正撮影)。
ロッキードC-140「ジェットスター」は、アメリカ空軍が運用していた小型高速輸送機です。航空機のジェット化が破竹の勢いで進んでいた1956(昭和31)年、アメリカ空軍は要人輸送、連絡、訓練などの用途に使用する小型汎用機のジェット化を検討していました。
その後、航空機メーカー各社にジェット汎用機の概要仕様書を出します。提案要求でもなく設計・開発契約も伴わない案件でしたが、小型ジェット機は将来ビジネス機としての市場性が見込めること、そして空軍も300機程度の採用を検討していたことなどから、ロッキードは社内予算で開発を進めることを決定しました。
社内モデルL-329としてスタートした開発プロジェクトは、著名な航空機設計者であり、かつ同社のチーフエンジニア(当時)だったケリー・ジョンソン指揮のもと、設計が進められました。こうして初号機はイギリスのブリストル・シドレー製「オーフェース」エンジンを胴体尾部に装備した双発機として完成、1957(昭和32)年9月4日に初飛行にも成功します。
300機調達の予定が20機弱にまで激減
同機の一番の特徴は主翼でした。小型機としては珍しく角度30度の後退翼を採用、さらにスリッパータンクと呼ばれる燃料タンクを翼の途中に装備していました。加えて、主翼には前縁フラップとともに後縁にもダブルスロッテッドフラップを装備しており、これらによって機体サイズの割には強力な高揚力装置を備えていました。
また尾翼も、垂直翼の半ばに水平翼が十字の形でクロスするように取り付けられていました。構造上、水平翼と垂直翼は一体となっていましたが、これには理由があります。
航空機は、着陸時の引き起こしのように一時的に迎角を変えるときは昇降舵と呼ばれる動翼を動かして機体の姿勢を変化させますが、巡航中の仰角を微調整する時はトリムもしくはラダートリムと呼ばれる別のメカニズムを用いて調節しています。ジェット機の場合は水平尾翼全体の取付け角を微調整することでトリム機能を確保しています。
一方、水平尾翼が垂直尾翼に固定されているジェットスターの場合、尾翼全体の取付け角を細かく変化させることでトリム機能を得ています。この機能のため、尾翼の付け根部には無塗装部分がありそこが可動部分であることが判ります。
1986年5月18日、アメリカ北西部ワシントン州のフェアチャイルド空軍基地で撮影したC-140A飛行点検機(細谷泰正撮影)。
1959(昭和34)年、アメリカ空軍は本機をC-140として採用することを決定し、量産が始まります。ただ、量産型ではイギリス製の「オーフェース」エンジンではなく、自国プラットアンドホイットニー(P&W)製JT12(軍用型式J60)エンジンに換装され、その数も双発(2基)から片側2基ずつ計四発に変更されます。これにより、このサイズの小型機としては異例の4発ジェットエンジン機となりました。
ただ、当初300機程度の調達を計画していたアメリカ空軍は、実際には飛行点検機としてC-140Aを5機、要人輸送機としてVC-140Bを11機採用するに留まりました。とはいえアメリカ空軍が採用したことによる影響か、自国以外の8か国にも政府要人輸送機として採用されたほか、民間機としても用いられています。なお、ロッキード「ジェットスター」の民間仕様の場合、パイロット2名のほかに、客室には標準8人、最大10人を乗せることができました。
発展型「ジェットスターII」や「ファンスター」の登場
登場時は高性能を誇った「ジェットスター」でしたが、エンジン技術の進歩により1970年代に入ると燃費の悪さ、騒音の大きさの両面で陳腐化していきます。そこで、再びエンジンの換装が計画され、既存のJT12ターボジェットエンジンをギャレット(現ハネウェル)製TFE731ターボファンエンジンに換装した「ジェットスターII」が開発され、以後はこちらの販売に切り替えられました。
一方、既存の「ジェットスターI」から「ジェットスターII」へ改造された機体も存在します。さらに4基のJT12エンジンを、新型のジェネラル・エレクトリック製CF34ターボファンエンジン2基に換装した機体も作られ、こちらは「ファンスター」と命名されました。「ファンスター」は1986(昭和61)年に飛行試験が行われましたが、その改造の事業化を目指していた企業が法的問題を起こしたことで、結局開発は立ち消えとなり、量産には至りませんでした。
1986年5月18日、アメリカ北西部ワシントン州のフェアチャイルド空軍基地で撮影したC-140A飛行点検機(細谷泰正撮影)。
アメリカ空軍のC-140「ジェットスター」は1961(昭和36)年から翌1962(昭和37)年にかけて就役し、1990年代初頭まで運用されています。前出のようにC-140は要人輸送や連絡、訓練など、いわば雑務に多用されていたため脇役的な存在であり、航空ショーなどで展示されることは稀でしたが、地上展示されたときには機内も公開されていました。
振り返ってみると、航空機の名門ロッキードが造った「ジェットスター」は機体の各所に巧みな工夫が盛り込まれており、プライベートジェットのパイオニアとしての貫禄を十分持っていました。
しかし、初期のジェット機特有の騒音や燃費の悪さに加え、真っ黒な排気はプライベートジェットとしてスマートさに欠けてしまうことは否めません。1980年代に模索されていた高バイパスのターボファン・エンジンへの換装が実現していたならば、後発のカナディア「チャレンジャー」やガルフストリームなどとも十分に競争できる高級プライベートジェットに昇華したのではと、想像しています。