ふだんの食卓には、ごはんと具だくさんのみそ汁、漬物の「一汁一菜」があれば十分。料理研究家・土井善晴さんによる提案は、日々の献立づくりに悩む女性たちを、「おかずは何品もつくらなきゃ」「家族の喜ぶメニューを考えなきゃ」というプレッシャーから解放してくれました。

土井善晴さんの「一汁一菜でよい」に至るまで

5月に発売された新書『一汁一菜でよいと至るまで』(新潮社刊)は、土井さんがそうしたスタイルに行き着くまでの道のりを記した一冊です。そこで今回は、あらためて「一汁一菜」に込めた思いを話していただきました。

●毎日食べるもののことで苦しむ必要はない

「今の人は『料理をすることが負担』と言うけど、イヤだと思うことはなにひとつする必要はないんです。するのは楽しいことだけでいい。お米を炊いて、みそ汁をつくって、それだけでノルマは達成。いろんなものをつくらなきゃ、という思い込みをなくすのが『一汁一菜』なんです」

そもそも「家庭料理にまで、レストラン級のおいしさを求める必要はないんですよ」と土井さん。

「バブル以降、安くて便利な加工食品や中食、外食が出回るようになって、プロの味をお母さんの料理にまで要求するようになってしまった。でも、和食というのはもともと素材の味を生かした料理。凝ったことをしなくても、ゆでただけ、焼いただけでおいしく食べられるんです。味が薄ければ、それぞれがしょうゆや塩をかけて好きなように食べればいい」

●放っておくことで気づいてもらえることも

今のお母さんは優しすぎるように感じる、と土井さん。

「料理を出しても家族が食べなかったら、ほっといたらよろしいんです。それに、あえてなにも言わず、放っておくことで気づいてもらえることもありますから。味つけにまで責任をもつと、料理をするのはますます大変になってしまう。いわゆる手抜き料理や総菜に頼る人も、『本当はちゃんとせなあかん』と、どこかで思っているから、後ろめたい。でも、毎日食べるもののことで苦しむ必要はないんですよ」

食卓を楽しい場所にするには?

食卓は“大変な場所”ではなく“楽しい場所”のはず。そのためには、つくる側だけでなく、食べる側の意識も変わる必要があります。

「私の知り合いのお父さんが、毎日書斎にこもって仕事をして、夕方になったら食卓について食事をする…という生活を送っていたそうなんです。でもお母さんの方が先に亡くなって、そこで初めて『座って待っていても料理は出てこないんだ』と気づいた。そのお父さんは、その後自分でごはんやみそ汁をつくるようになったそうです。でも、同じように、食卓にたくさんお皿が並んでいるのを当たり前だと考えている男の人は多いですよね。

いろんな思いが込められていることを知らないんです。たとえば、育児と仕事の両立だって大変でしょう。その努力もあって、社会が維持されていると知ってもらわないと。家族は料理をする人をもっと大事にしないといけないし、普段料理をしない男性にも私の本を読んでほしいですね」

●気づくことで、その大切さを思い出す

これまで軽く見られがちだった「家庭料理」。その重要性や価値を、もっと多くの人に気づいてほしい、と土井さんは話します。

「今まで世の中では、家庭料理にはなんの生産性もないと思われてきました。よく『家事をお金に換算すると…』みたいな話を聞くけど、それはナンセンス。お金と関わらないところに大切なものがあるんですから。お金にだけ価値を見い出していたら、家庭料理なんていらない、農業なんていらない、という話になってしまいます。

でも料理や農業をなくしたら、自然と人間のつながりや人間同士の情緒までなくなってしまいますよね。そういう、お金には換算できないものの大切さを思い出してほしいんです」

●料理は人の“幸せになる力”につながる

「一汁一菜」を基本にすれば、心や時間にもゆとりが生まれ、料理はもっと楽しくなるはず。

自分の手を動かして料理をつくることは、単に空腹を満たすだけではなく、「幸せになる力を得る」ことにもつながっている、と土井さんは考えています。

「健康、子ども、社会…と、すべての中心にあるのが料理。だからそこに問題を抱えていたら、ほかのことにも影響してしまう。反対に料理がラクになれば、できることが増えると思うんですよね。大きな話になってしまうけど、日本が世界に存在価値を示せるとしたら、それは食にあるんじゃないかと真面目に考えているんです。

個人で地球温暖化や環境問題を解決することはできないけど、自然のものを食べ、自分の手を動かして料理をすることで、そうした問題とも関わることができる。ひいては家族の健康や幸せ、地球を守ることにもつながるんです。そこをつなげてくれるのは、やっぱり女性だと思うんですよね。みていると、女性の方が自然につながっています。もちろん男女を一括りにはできないけれど、男がやってきたことって、結局は失敗だったわけだから(笑)。女の人のもつ価値観をもとにして社会を動かしていったら、みんながもう少し幸せになるんと違いますか。

ものを買ったり、人と競争しなくても、“今こうしている時間”に幸せがあるとわかってくる。そのための一歩が『一汁一菜』なんです」