※この記事は2019年04月02日にBLOGOSで公開されたものです

「いい大学に入って、いい就職をして、出世しそうな人を結婚しなさい」

宇海(仮名、29)は、母親からずっとそう言われて育った。

「母親は、高校卒業後、大学などに進学させてもらえなかった。そのことをコンプレックスに感じていました。だから娘の私にも大学に行ったほうがいいと言うんだろうって思っていました。けど、大学も選んでいて、偏差値が下の大学をバカにしていました」

大学進学のために入学しようと思った公立高校には不合格になった。そのため、その学校に準じる私立高校へいくことになる。卒業生の8割が大学にいくところだ。首都圏では大学進学率が8割の高校は珍しくないが、地方ではまだ珍しい地域もある。母親は「将来、かっこいい仕事につくためには、そのくらいの高校に行った方がいい」と言っていた。

母は過干渉で暴力をふるう。「知らない土地と日当たりの悪いマンションだったから」

母親は進学に関してうるさいだけではない。

「母親は物心ついたころからヒステリックでした。見られて困るものはなかったんですけど、小さい頃はぬいぐるみをビリビリにされました。いきなり母親が『こんなの!』ってヒステリックになるんです。私が何かしたかな?と思うんですが、おもちゃを片付けをしていないというのもあるんでしょうけど、いくつかの要因があったとは思うですが、今となってはトラウマです」

机の中のものを勝手にいじったり、友達が宇海に貸してくれた漫画を「くだらない漫画だ」と言ったりしていた。音楽の趣味についても、宇海は、サブカルよりの音楽を聞いていたが、「なんだ、そんな腐ったようなものは!」と口を挟んだ。

「小学校の頃は、持っていた宇多田ヒカルのCDや、あさりちゃんやドラえもんといった漫画を破られたりしたんです。子どもの頃ってお金がないから、お小遣いをためて、探して、やっと買っていたんですが、壊されたりするのが嫌だった。なんどもされると、『またか』ってなりました」

また、宇海は容姿に対するコンプレックスがあるが、それも母親から言われた言葉が要因だ。

「幼少期の頃から毎日のように『醜い』と言われていました。『こんな醜い子、見たことない』とか『ブス』とか。3歳くらいの頃、『みんな、醜いって言ってたよ』と言われたことを記憶しています。そんな暴言を浴びせられてきましたので、今でも容姿に関するコンプレックスはあります。人と比較してしまうことは、主に、こうしたことが原因ではないかと思っています」

母親は、主に容姿に関する暴言について。宇海が大人になってからこう言い訳をし、謝罪した。

「(夫の)転勤で全く知らない土地に来たことと、日当たりが悪いマンションだったこと。そのせいで神経質になっていた。ごめん」
容姿にコンプレックスを抱えた宇海

たしかに、父親の転勤があり、幼稚園と小学校、中学・高校は県が違っていた。引っ越しは環境が変わる。そのため、「引っ越しうつ」という言葉も聞かれるくらい、鬱の理由のひとつではある。母親はそうした環境の変化に弱かったのだろうか。宇海自身は、転勤で引っ越しが多かったことはどう思っていたのだろう。

「友達との別れは寂しかったが、イライラはしていません」

母「体罰はどこでもやっている。子どもに人権はない」

母親は過干渉でイライラしていた一方で、父親はどうだったのか。

「父親は基本的に干渉しませんでした。するとしても、『勉強しろ』くらいでした。そのため。父親を怖いと思うことはありませんでした。むしろ、父親がいないほうが、母親が怖かったです。だから、父親が出張というと、母親の暴力がありました。だから、覚悟が必要だったんです。だから、帰りたくなかったんです。出張のときはよく暴力がありました」

暴力をふるうといっても、何かの「きっかけ」があるのではないかと思い、宇海に聴いた。すると思い当たる節があった。

「何もないときは暴力はありません。でも、忘れ物をしたりすると、全身を叩かれました。学校から帰ってから夜遅くまで殴られっぱなしのときもありました。ゲンコツだったり、倒されたり、首を閉められたこともあります。母親は『どこの家でもやっている。あたり前のこと』と言い続けてきたんです。違うんだと思ったのは大学に進学してから。友達と話をしていて、普通はしないんだ、と思ったんです」

母親はこうも言っていたという。
「今の世の中は体罰はよくないってことになっているが、子どもに人権はない」

小4で自殺未遂。カッターを飲み込もうとした

小学校4年生のころ、苦しくなった宇海はカッターを飲み込もうとした。

「どうすれば自殺できるかわからないけれど、飲んだから口の中が切れて、血が出る。そうすれば、母親は後悔するだろう。そのとき、すでに、殴られて、血が出ていたんです。そのまま死んだらどうなるんだろうって。いつ殴られるからわからない、ならば、死んでしまおうって。でも、実際は飲みませんでした。かじっただけ。怖気付きました」

その後も、何度も「死にたい」と宇海は思った。

「なんとなく、『若いうちに死にたい』と思っていました。高校のときは、もうちょっと頑張ろうとは思ったんですが、大人になってからのほうが『死にたい』と思うのは多くなったかもしれないです。毎日朝が来る。これがあと何十年も続くかと思うと面倒です」

宇海は成長すると、殴られるのは耐えきれず、「産んでくれと頼んでない」と言い返すようになった。また、母親が暴力を一方的に振るっていたのは中学に入学するころまで。それ以降は、やり返すようになった。そのため、母親が暴力をふるったのは中2まで。それ以後は、成績が悪いと、母親は怒鳴るだけになった。

「小学校の頃までは80点以下で殴られました。中学からは60点台で怒鳴られました。『こんなんじゃ、よくない高校にしか行けない』ってクラスメイトとテストの点数を比べられたりしました。点数を聞かれました。母親は大学に行けなかったのは、祖父母に『女が学を身につけたら、お嫁に行けないからダメ』と言われていたので、その反動だかもしれません。でも、そのことは『お父さんには言うな』って言われていました。父親の妹は大学に進学していました。そういうのもあり、恥ずかしく思っていたんでしょう」

「この先どうなるんだろう。先が見えない」

こうした母親からの躾もあったためか、宇海の性格に影響がある。

「他人と比べてしまうんです。『なんであの人は~なんだろう」って思ったり、『あいつは嫌な思いをさせたのに、生きているんだろう』って、高校のころはそんなことを考えなかったんですが、大人になってからそう思うようになりました。やめたいけど、やめられないんです」

25歳の頃、酔っ払った勢いで首を吊ろうと思ったことがある。それは、1年前に結婚した夫の目の前だった。

「体重をかければ…と思った。体重のかけ方が悪かったのか。夫が目の前にいて、『何をしてるんだ』と言われました」

一方で、人を殺したいと思ったこともある。

「誰を?会社の全員です。漠然と、妊娠中でイライラしていたからでしょうか。みんな早く帰るのに、自分は仕事がいっぱいあって、早く帰れない。同じ妊婦でも役員は在宅での仕事は許されているのに、自分は役員ではないので、在宅でも仕事を禁止されていた。仕事中、何度も、机のカッターに手が伸びました。夢で殺したこともあります。そんな夢を見ていたので、『ちょっと、やばい』と思って、精神科へ行きました。実際に殺せば犯罪者。夫に迷惑もかかりますし」

今は「死にたい」とか「殺したい」と思うのだろうか。

「大人になっても漠然と、死にたいとは思っていました。どうすれば、迷惑をかけずに死ねるのか。でも、迷惑をかけずに死ぬ方法ってないですよね。最低でも、遺体を処理する人は見ちゃいますから。ただ、そう考えるのも波があります。考えないときもあるんです。今は子どもがいるので、そんなことを思う暇がありません。でも、この先どうなるんだろう、と思うと虚無感があります。先が見えない」