純丘曜彰 教授博士 / 大阪芸術大学

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戦争は、始めるときは勇ましい。正義もある。意地もある。士気も高い。だが、実際のところ、『孫子』の言うように、戦う前に勝算が立たないなら、もう負けている。とりあえず始めれば、世界を巻き込んで状況も変わり、なんとかなる、などということは、まず無い。それどころか、敵味方ともに、同胞を殺された憎しみだけが募り、出口の無い泥沼に陥っていく。それでもなお、こうなったら、総員玉砕してでも、とかいうバカが出てきて、同胞を後から銃で突いて前線に追いやって殺す。つまり、それは、自国に殺される、ということ。

南方にしても、インドシナにしても、そして、アリューシャン列島にしても、敵、というより、自国の支援が途絶え、全滅。生きて虜囚の辱めを受けるなかれ、という『戦陣訓』は、民間人にも強要され、沖縄などでは、洞窟自決、バンザイクリフなどの悲劇となった。そして、国民総動員法の結果、日本人すべてが戦闘員だなどという屁理屈の下に、東京や大阪の大空襲、広島、長崎の原爆による無差別の大量虐殺に至る。それでもなお、軍部は本土決戦を主張し、高空からの爆撃機に竹槍で戦わせようとした。

特攻がムダだった、などとは言わない。だが、彼らが命がけでかせいだ時間を、意地に凝り固まって外の現実を見ない地下壕の大本営は、机上の空論でムダにした。たしかに、その後のシベリア抑留などを見れば、敗北は悲惨だ。だが、かといって、総員玉砕は何が違うのか。敵国に殺されるより、自国に殺される方がまし、とでも言うのか。その軽重を、国民を殺す側の国が決めるのか。

総員玉砕した戦地のことは、語り継ぐ人もいない。だが、かろうじて生き残った沖縄や満州の人々の話を聞けば、総員玉砕などという標語が、いかに欺瞞だらけだったか、よくわかる。軍人は、戦力温存を口実に、足手まといの民間人を見捨てて先に逃げる。こうして、失ったもののあまりの大きさと、政治や社会への根強い不信感が、戦後もまたいかに延々と彼らを苦しめたか。

向かいの家の老人は、裕福で、円満で、高齢になってなおみずからクワを握り、畑を耕していた。だが、亡くなる前に、若い学生たちに伝えてほしいと、冊子を託された。震洋の話だった。若いころ、突然に徴用されて和歌山に連れて行かれた、と言う。爆薬を詰めた合板製の棺桶ボートに乗せられ、敵艦が来たら突っ込め、と命じられ、覚悟してその日を待った、と言う。さいわい、その日は来なかった。そして、生きた。孫たちに囲まれ、多くの友人知人たちに感謝され、最期はしあわせに天寿をまっとうした。

人は、人を殺すために生きているのではない。また、殺されるために生きているのでもない。命を賭けて矜恃に殉じるのも、それは民間人のすることではない。戦争は、双方とも莫大な消耗だ。だから、どういう形にせよ、いつかは終わる。そして、民間人のすべきことは、そこから始まる。その日のために、人は戦争ごときで死んではならない。