人間関係を構築する際、成り行きに任せて開始していることが多いように思いますが……(写真:IYO/PIXTA)

1万回を超すトラブルの事例と教訓。企業の危機管理コンサルタントである田中優介氏が社長を務める株式会社リスク・ヘッジには、今日も新たな案件が持ち込まれます。ただしあらゆる危機の根源にあるのは「人間同士の衝突」と田中さんは言い切ります。では不要な衝突や面倒を避けて、できるだけ穏やかな生活を送るには? 田中氏の新著『地雷を踏むな――大人のための危機突破術』を一部抜粋して、今すぐ役立つノウハウをお届けします。

人間関係は「成り行き」ではダメ

社会人として生活を送る中で、最も気を遣い、トラブルの種になるものは、言うまでもなく人間関係です。

多様な習性や価値観との遭遇、衝突。これらにうまく対処できればよいのですが、できなければ他者との激しい対立が起き、人間関係の破綻を迎えてしまうことすらあります。にもかかわらず、意外なほど多くの方が人間関係を成り行きに任せて開始してしまっているように思います。それでは、地雷だらけの原野を無防備にさまよい歩くようなもの、と言わざるをえません。

「そうは思うけど、どうすればいいかわからない」と思う方にお勧めしたいのが、「人間関係をあらかじめデザインしてから始める」という視点を持ち、強く意識することです。

人間関係のデザイン」なんて言うと、少し抵抗感や違和感を持たれるかもしれません。計算ずくで、冷たい印象を持たれかねない表現だからです。しかも、人間関係は目に見えませんので、デザインと言われても想像しにくいかもしれません。その場合は、次のようなイメージで捉えてください。

仕事で出会った人なら、まずは相手との距離感を定める必要があります。例えばビジネスの比率とプライベートの比率を、大まかにイメージして考えてみます。

A 仕事上のみの関係で、それ以上でも以下でもない
B 基本的には仕事上の関係だが、少し私生活でも結び付きがある
C 仕事上の関係だが、私生活でも強い結び付きがあり、信頼関係がある

単純化すれば、相手との距離はこんな感じに分類されるでしょう。A、B、Cそれぞれに対応する付き合いのレベルは、次のようになります。

a 単に仕事上の時間を共有するレベル
b 仕事のみならず、さまざまな情報を共有するレベル
c 仕事のみならず、悩みを共有するレベル

もちろん、あくまでこれは自分の側のデザイン案であって、相手の側の反応を見て微修正する前の原案です。Aからスタートして、最後はCになる、ということもあります。

そんなことは誰でも無意識にやっているのでは? と思われるでしょうか。しかし、意外とそうでもないのです。というのも、人はそれぞれ習性のようなものを持っています。その自らの習性についてはあまり疑わず、当たり前のことだと思ってしまう。

すると、その習性に影響された距離感を相手との間に設定するのですが、必ずしもそれは相手にとって受け入れられるものではないことがあります。そうするとトラブルに発展してしまいやすいのです。

大物の肩を「はたいた」Aさん

例えば、私の知人にこんな人がいました。仮にAさんとしておきましょう。関西出身でとても人懐っこい彼は、相手の懐に入り込むのがとても上手な魅力的な人です。しかし、ある時、私はAさんと共通の知人からこんな苦言を呈されたことがありました。この知人は、Aさんに、その業界では大物とされる人物、Bさんを紹介したそうです。問題は宴席でのAさんの振る舞いでした。

「Aさんが、Bさんの話にツッコミを入れるまではまだいいんだけど、そのときに軽く肩をはたいたのには参った。Bさんは何も言わなかったけど、明らかに気を悪くしていたと思う」

相手にボディタッチをすることで親密さを示すタイプの人が一定数います。これはうまくいけば効果的です。また、いわゆる「関西ノリ」でいえば、Aさんのツッコミは許容範囲だったかもしれません。そういうコミュニケーションを喜ぶ相手は多いはずです。

しかし、Bさんは東京出身。しかもかなりの年配者です。AさんがBさんに対して感じる距離感と、BさんのAさんに感じるそれとにはかなりの差があったと推察されます。もちろん、相手との距離感は自分だけでは決められません。したがって、デザインするにあたっては、まず自分の習性を知り、さらに相手の習性を観察する必要があります。そのうえで距離感をはかるのです。

相手との距離感を観察してデザインした人間関係は、一度決めたらもう変えてはいけないのでしょうか。

その答えは「ノーでもイエスでもある」となります。成り行きに任せて変えるのはノー、意図を持って変えるのはイエスだと私は考えます。

結婚に置き換えて考えてみましょう。とても仲のいい両親と息子がいたとします。成人した後も、着る洋服を選んでもらい、部屋を片付けてもらっていた。その程度はよくあることでしょう。ところが、結婚した後でも、それを続けていたら新妻はドン引きしてしまいます。ですから、結婚した途端に、親子といえども意図的にデザインを変えなければならないと思うのです。

このような、変化に対応する意図を持った変更は、積極的に行うべきではないでしょうか。例えば、相手の立場が変化した場合です。その最たる例は、幼なじみが暴力団員になったようなケースです。当然ながらデザインは変えなければなりません。そのまま付き合っていたら、警察から「密接交際者」と見なされてしまいます。

拙速で一方的な変更はトラブルのもと

あるいは、幼なじみが公務員になった場合も気を付ける必要があります。仕事において利害関係ができてしまったら、デザインを変える必要があります。昔からの友人であっても、政治家になったら付き合い方を変えなければいけないこともあるでしょう。うかつなことをすれば「疑惑」や「事件」になる例を私たちは何度も見てきています。

不倫をしていた男女が、別れ話でもめて相手を告発するようになったり、配偶者にバレて泥沼の離婚訴訟にはまってしまったりするのは、片方が勝手に、成り行き任せにデザインを変更した代償です。

弊社では、愛人との別れ話、といったリスクに関するアドバイスをすることもあります。そうした時には、次のようにアドバイスをしています。

「お付き合いした年数と同じ時間をかけて、お別れをするくらいの覚悟をしてください。3日かけて登った山を、3時間で下ろうとすると滑落しますから」

手のひら返しのような態度をとれば、どんなことになるか。これもよく有名人の醜聞として見てきたはずです。人間関係のデザインは、つねに点検する必要があり、拙速で一方的な変更はトラブルのもとになるのです。 

相手がキブ・アンド・テイクをおろそかにし始めたときにも、デザインを変えなければなりません。

親しい友人にお金を貸したとします。約束の期限までに返済してきたなら、デザインを変える必要はありません。しかし、返済をせずに新たな借金を依頼してきたら、デザインを見直すべきでしょう。貸すのはやめて、少額を差し上げる関係へ変更するのも手でしょう。そうしないと、大変な地雷を踏むことになりかねません。

借金の返済をめぐっては、殺人事件に発展することすらあるのです。多くのケースでは、貸したほうが殺されてしまいます。借金の返済を求めると、借りたほうが憤慨するからでしょう。

「俺が苦しいのをわかっていて、なんで催促するんだ」

なんとも勝手な話ですが、貸してくれた時の優しさと、返済を求める冷たさのギャップに、腹を立てるのかもしれません。距離感の急激な、しかも一方的な変化は相手の過剰反応を招きやすいので要注意です。

多くの人が悩むのが、年上の人との関係です。親や上司が代表でしょう。かつては自分の庇護者であり、また相談相手であった親が、高齢になるにつれて、面倒を見る相手に変わります。距離感も変化しますし、立場も逆転するのです。将来を真剣に考えれば、親の資産についても考えなくてはならないかもしれません。

しかし、このデザインの変化はとても難しいようです。親にむかって「ボケてきているから心配だ」「急に死なれたら大変だから、お金の話を聞かせてほしい」などと言うのに心理的な抵抗を感じるからです。言われるほうも気分が悪いかもしれません。

地雷を踏まないためにどうすべきか

では、地雷を踏まないためにはどうすべきか。少なくとも、立場が逆転したからといって、単純にデザインをひっくり返すような変更をしないことが望ましいでしょう。


ある部分は変えず、ある部分は変える、というくらいの心構えではいかがでしょうか。子供の立場から考えるならば、親の考えや気持ちを尊重しながらも、判断は自分に委ねてもらうことです。例えば、次のような言い方です。

「年をとると、先の事を細かく考えるのはストレスでしょう。大きな方向だけ示してくれたら、私が素案を作るから、それを基に決めたらどうかな?」

あくまでも、「あなた(親)のため」というのを前提としたうえで、デザインの部分修正をはかるのです。そうすれば、言う側も言われる側も、抵抗感は薄くなるかと思います。

会社でも似たような場面に遭遇します。かつての先輩、上司が部下になることは珍しくありません。多くの人は、元上司へのリスペクトを維持しようとするでしょう。しかし、立場まで昔の上司・部下の関係のままでは職場はうまく機能しません。逆に、一方的な口調で元上司に指示を出しても決してうまくいかないでしょう。相手を尊重しながらも判断は後任が担う、というのが正しいデザインの変更なのです。

人間関係に悩んでいる方は、一度、その相手との「デザイン」を意識して、適切な距離感を保てているかなどチェックしたうえで、相手と言葉を交わしてみるのもいいかもしれません。実は相手も「どうしたものかと悩んでいた」ケースも少なくないのです。