小学校の頃にADHDと診断され、就職は障害者枠で契約社員に。ネットの掲示板に、豊かな表現と繊細な描写で心の内をつづっているのが印象的だ(筆者撮影)

現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。本連載では「ボクらの貧困」、つまり男性の貧困の個別ケースにフォーカスしてリポートしていく。

今回紹介するのは「障害はADHD、吃音、癲癇等です。自称になりますが、アスペルガーなどもあるのではと疑っています。仕事は特例子会社の契約社員として知的障害者の同僚と混ざって働いています」と編集部にメールをくれた、28歳の男性だ。

リョウジさん(仮名、28歳)は、発達障害の1つADHD(注意欠陥多動性障害)だ。障害者枠で契約社員として働いている。仕事はデータ入力などの単純作業で、時給は最低賃金レベル。1日7時間勤務なので、年収は150万円ほどにしかならない。

高校の同級生に対しての複雑な思い

時々、ネットの掲示板にその日の出来事などを書き込む。ある日、仲のよかった高校の同級生2人と、久々に食事をしたときのことを、こんなふうにつづった。

「僕はいまだにそこら辺の高校生より稼げていない。結婚はおろか、独り立ちもままならない。人生の王道からはみ出した僕と違い、1人は高校卒業後から働き、今や主任に相当する地位についている。もう1人は大学に行ったから、同級生としては(就職は)遅いとはいえ、正社員なのだから、職場では、僕より多くのことを経験してるだろう」

再会を喜びながらも、複雑な思いを抑えられない胸の内を、リョウジさんはこう記す。

「高校の頃、3人とも同じレベルにいた。(中略)でも、今は2人の背中が遠くに見える。だからって悔しくもない、ねたましくもない。むしろ、幸せな人生のようで、うれしく思う。うそじゃない。本当のつもりだ。でも、ただ少し寂しく思う。そしてうらやましい。

(中略)これからも、障害者である僕と、健常者である友達との差は開いていく。いつか、今みたいに一緒に笑い合えなくなる日が来るのだろうか? 友達でいてくれるかな? 僕自身、彼らとは対等な友達だと、これからも自分のことを誇れるだろうか? わからない。でも、今はまだ一緒だ。今はこの瞬間を心に焼き付けたい」

リョウジさんがADHDと診断されたのは、小学校低学年の頃。


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保育士として、障害のある子どもたちを受け持った経験のある母親が、雨の日も校庭を走り回り、授業中もおしゃべりがやめられない息子の「普通とは違う」様子に気づき、受診をさせたのだという。

ただ、リョウジさんによると、当時は今ほどの専門的な支援はなく、診断後も生活が大きく変わることはなかった。学校では「ヒエラルキーの最底辺で寝そべっているようなタイプ」ではあったが、気の置けない友達もおり、不登校になることもなかった。

中学、高校といわゆる普通学級に進み、「(ADHDは)誤診なんじゃないかと思うこともありました。健常者と変わりなく生きてきて、これからもそうなんだと、思っていました」。

漠然と予想していた未来が一変したのは、短大生時代。文化祭の実行委員の1人として看板や舞台の設営を任されたが、「なに1つ、まともにできなかった」のだという。


なかなか障害者として生きていく決心がつかなかった、と語るリョウジさん(筆者撮影)

予算の見積もりや、日程の調整、必要な人員の配置など、複数の作業を同時に計画して進めることができなかった。最後は周りが助けてくれたものの、「このとき、自分はやっぱり障害者なんだと気づかされました。でも、なかなか障害者として生きていく決心がつかなくて……。絶望しかありませんでした」。

悩んだ末、仕事は障害者枠で探すことに。ハローワークを通し、不動産業などを手がける大手企業の特例子会社に就職した。特例子会社とは、親会社が障害者雇用を目的に設立する子会社のことで、そこでの障害者雇用者数を企業グループ全体の法定雇用分として合算することが認められている。

正社員と契約社員の間の見えない壁

本当は正社員として働きたかったが、かなわなかった。職場の半数は障害者で、さらに、出勤してみてわかったのは、障害者枠で採用された正社員は、そのほとんどが身体障害者だということ。身体障害者は、自分のような発達障害や知的、精神障害者に比べ、複雑な業務も正確、迅速にこなせるからではないかと、リョウジさんは言う。

仕事はアンケート結果の入力や紙書類の電子化。部署によっては敷地内の草むしりなどもする。リョウジさんの上司は車いすを利用する身体障害者で、正社員だ。別の部署の契約社員からは、上司の愚痴を聞かされることもあるが、自身の部署では、そうしたストレスはないという。リョウジさんはネット掲示板に、職場の風景をこう書き込んだ。

「上司となる社員の人間性は玉石混淆だが、僕の上司は“玉”のほうだと思う。優しいし、僕らの目線に合わせて話をしてくれる。職位は違うけど、その壁を感じさせない。一緒におしゃべりをしていると、僕も彼と同じようにまともになった気になれる。でも、『幼稚園に入った息子が――』とか、『車を買って――』とか、僕に縁のない話が出るたびに、それは恥ずかしい勘違いだったと思い知らされる」

健常者の正社員と、障害者の正社員と、障害者の契約社員――。同じ職場内でも、そこにはあからさまな階層がある。見えない壁を前に、リョウジさんの書き込みは続く。

「正社員と契約社員の間には、どうしようもないほどデカい差が存在する。(自分の上司は正社員とはいえ)障害者枠だから、一部上場企業の社員としては給料は低いかもしれない。でも、家族を養えるほどには稼げている。でも、僕は違う。誰も悪くない。ぶつけどころのわからない、このやるせなさは、今日も見ないことにした」

ADHDのリョウジさんは集中力が続かないうえ、同じ作業の繰り返しは苦痛でもある。仕事を辞めるよりはと、「無理に集中するのではなく、あえてとりとめのない思考に身を任せながら入力する感じ」という独自の心構えで、何とかしのいでいるが、正直、ミスは多いという。再び、リョウジさんの心情を掲示板から拾ってみよう。

「多少の細工では普通を演じられないところが、僕が障害者たる所以なんだろう。僕のミスは必ず露呈する。

(中略)3日に1回は、上司に呼び出される。ミスが多いのも当然。仕事を続けるための苦肉の策とはいえ、あえて気を散らしているのだから。でも、上司にそんなことは言わない。申し訳ないふりをして『ごめんなさい、以後気をつけます』みたいな言葉を、ニュアンスを変えて繰り返す。我ながら白々しい。でも、仕方ない」

入社してわかったことの1つは、作業の速さや正確さで、自分が到底及ばない知的障害者がたくさんいる、ということだという。身体障害者や知的障害者にはそれぞれの苦労があると思うとしたうえで、リョウジさんはこう記す。

「もしかしたら、発達障害者は能力的にも、社会的地位も最底辺ではないかと、たまに考えてしまう。僕は人類最底辺ではないかと、たまに考えてしまう」

ひどく落ち込んでいるのかと思いきや、取材で会ったリョウジさんは朗らかで、話題の豊富な人だった。同居している家族との関係も良好で、父親ともよく話をするし、母親とは最近、漫画原作の実写映画『キングダム』を一緒に見に行った。弟と、その彼女の3人でお酒を飲むこともある。

過去には、女性から告白されたこともあるという。しかし、年収150万円では、どうにも気後れしてしまい、理由は告げずに断った。正社員並みにとはいわない。でも、「フルタイムで働くので、せめて自活できるくらいの給料がほしい」と話す。

生活保護を利用して「幸せ」を手にする友人

リョウジさんには、大人になってから知り合った発達障害の友人たちもおり、彼らの自宅に泊りがけで遊びに行くこともある。彼らは兄妹だったり、恋人同士だったりして、それぞれが生活保護を利用して暮らしている。ただ、リョウジさんには、この友人たちの生きざまが、時にとてもまぶしく見えるのだという。

リョウジさんは掲示板に、友人たちについてこう書いている。

「(彼らは)絶対的にお互いの味方なんだ。その辺の家族より家族らしい。等身大、かつ最大限の幸せな今を生きている。(中略)世間から見たら、生活保護をもらい、のんびり暮らす障害者は後ろ指を指される存在かもしれない、でも、僕は彼らを心から尊敬する。世間の雑音に耳を貸さず、自分たちの幸せを、自分たちで定義する、人生に対するまじめさに。僕もいつかそんな境地にたどり着きたいと思う」

取材前、リョウジさんは何かの参考になればと、自分が掲示板に書き込んだ文章が読めるURLを送ってくれた。私はその豊かな表現と、繊細な描写にひかれ、今回の記事の中で、その一部を抜粋させてもらうことにした。

書き込みには、自分と周囲をこんなふうに比較しているくだりもあった。「普通を手に入れ、さらなる高みへ続く“王道”を歩く」高校時代の友人と、「自分を過信も卑下もせず、等身大の幸せを手に入れ、“邪道”を行く」発達障害の友人と、「普通に生きることを望むもかなわず、それでも普通に執着する僕」――。書き込みには、こんな比較をするくだりもあった。リョウジさんのヒリヒリするような不安が伝わってくる。

現在、リョウジさんは電気工事士の資格を取るための勉強をしている。資格を利用し、ビルメンテナンスの仕事でも見つけることができれば、障害のハンディにかかわらず、比較的自分のペースで作業ができるのではないか。一般枠での雇用であれば、今よりも安定するし、給料も上がるはずだ。

障害のせいで、労働の現場では足元を見られ、少なくないことを諦めざるをえない。ふざけた現実を前に、ある意味、達観した生き方を選ぶ発達障害の友人たちに敬意を抱くことも、年収150万円という現実から何とか浮上しようともがくことも。どちらのリョウジさんにも、私は共感する。

いつか、王道でもない、邪道でもない、リョウジさんだけの道が見つかる日が来るかもしれない。リョウジさんは、ある日の書き込みをこう締めくくった。

「今を心から大好きだと言える境地にたどり着けると、僕は僕を信じる」

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