「噂に違わぬ「女性、マイノリティ、高学歴」の立候補者たち:ザ・大統領戦2020(02) 池田純一連載」の写真・リンク付きの記事はこちら

気がつけば23人。

民主党の大統領選立候補者の話だ。

去る2019年4月25日に、待ちに待たれたジョー・バイデンがようやく立候補したことで、切りよく20名で終わると思っていた。切りよく、というのは、6月から始まる民主党候補者によるディベートの参加人数が20名だからなのだが、そんな予定調和で終わらないのがアメリカだ。5月2日にはマイケル・ベネット(コロラド州上院議員)が立候補し、5月14日にはスティーブ・バロック(モンタナ州知事)、5月16日にはビル・デブラシオ(ニューヨーク市長)が続いた。これで都合23名。第1回のディベートは、6月26日と27日に2晩に分かれて開催されるが、その際には確実に登壇できない候補者が生じることになる。

それにしても、いくら2016年にヒラリー・クリントンの大敗という事件があったとはいえ、さすがにこれだけ立候補者が続くと、2016年までの民主党がどれだけクリントン家に頭を抑えられていたのかと思わずにはいられない。

さすがにこれでひとまず区切りがついたと思いたいところだが、それでもまだ立候補の意志をはっきりさせていない人たちもいる。その筆頭がステイシー・エイブラムズ。昨年の中間選挙において南部ジョージア州知事選で僅差で敗れた黒人女性の彼女にも立候補の可能性が残っている。

JESSICA MCGOWAN/GETTY IMAGES

エイブラムスは、昨年のジョージア州知事選での善戦から民主党内で急速に頭角を現してきた。大統領選への立候補の話が消えないのは、先日、民主党の幹部から期待されていた2020年のジョージア州上院議員選には立候補しないと明言したためだ。

三拍子揃っている最有力候補の「伴走者」(?)

実際、エイブラムスの場合、「南部」「黒人」「女性」という三拍子揃っているところが大統領候補者としても魅力的だ。前回取り損ねた黒人票の獲得は2020年大統領選では欠かせないと考えられている。その点では、ジョー・バイデン待望論と似ている。いわゆる「ワーキングクラス」の白人男性に根強い人気を誇るバイデンならば、前回トランプに奪われたオハイオやミシガンなどの「工業州」を必ず取り戻せるはずだと期待されている。オバマに投票した黒人や工業州が戻れば勝利は固いという計算からだ。

オバマ時代に2期8年、副大統領を務めたバイデンは現在76歳と高齢だ。そのため、本人は否定するものの、バイデンは当選しても任期は1期4年に限るのではないかという噂が絶えない。少し前には、予備選の段階でランニングメイト(副大統領候補)を公表するということまで言われていた。その際、ランニングメイトとして最有力候補と見られていたのがエイブラムスだった。ワーキングクラスに強い白人男性に南部の黒人女性が組めば鬼に金棒ではないか。

実のところ、バイデン自身、自分の役割はあくまでもトランプの打倒にあり、そうして時計の針をオバマ時代にまで戻すことにあると強く自覚している。それは立候補の表明に使われた彼のビデオメッセージにも明確に見て取れる。トランプの支持母体の一つでもある白人優位主義者による2017年夏のシャーロッツビル暴動を非難し、そこから打倒トランプの宣言につなげており、すでに「戦う気満々」である。そのかわり、政策目標は何も語られていないのだが、それも「オバマレガシーの復権」といえば、その中身はわざわざ言うまでもないだろ?というメッセージでもある。さすがはオバマの「ウィングマン(=サポート役)」と呼ばれただけのことはある。

そうして、オバマの時代にまで戻ったところで、あとは後続の民主党政治家に委ねる、というのがバイデンの筋書きだ。だからいずれにしても、彼のランニングメイトは、その次の大統領の有力候補となる。仮にエイブラムスが副大統領になったとすれば、一気に2024年の本命に躍り出ることになる。

高齢のバイデンではあるが、世論調査による支持率では、立候補を表明する前からダントツのトップだ。元副大統領なのだから当然といえば当然なのだが、現時点で2020年の民主党大統領候補の本命であることは間違いない。

現時点では本命候補とみられるジョー・バイデン元副大統領。高齢である点がネックとも言われるが、果たして。SPENCER PLATT/GETTY IMAGES

とはいえ、そんな予備選前の下馬評など全くあてにならない時代になったことが明らかになったのが、2016年大統領選ではなかったか。あの時も予備選が始まる段階では、ブッシュ家の真打ちであるジェブ・ブッシュ──ジョージ・H・Wブッシュ大統領の息子にして、ジョージ・W・ブッシュ大統領の弟──で、共和党の候補者は決まりだという空気で溢れていた。だが、その予想は、都合17名による予備選のバトルロワイヤルであっさり潰えた。代わりに勝利したのが、政治家の経験が皆無のトランプだったことはわざわざ言うまでもないだろう。

つまり、このジェブ・ブッシュを襲ったような番狂わせ──「ジェブネス(Jeb-ness)」と揶揄されることもある──が、今回のバイデンに対しても起こらないとは限らない、いや、きっと起こるはずだと考え奔走しているのが、他の立候補者たちなのだ。

立候補者たちの「多彩なる」顔ぶれ

ともあれ、ここで23名の立候補者名を確認しておこう。公平のため、立候補した順に沿って記しておく。

といっても、実力者の登場は今年に入ってからで、大まかにいえば、プログレッシブ(進歩派/党内左派)のエリザベス・ウォーレンに始まり、モデレート(穏健派/党内右派)のジョー・バイデンに落ち着く、という流れだ(ウォーレンは立候補の宣言を2018年12月31日にしていた)。4カ月あまりの間で、民主党の多様性の実態が明らかにされたことになる。

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2017年7月 
ジョン・デラニー(John Delaney) 55歳 男性 白人 元下院議員(メリーランド州)

2018年11月
アンドリュー・ヤン(Andrew Yang) 44歳 男性 台湾系 ビジネスマン
マリアン・ウィリアムソン(Marianne Williamson) 66歳 女性 白人 作家 (*正式な立候補表明はまだなされていない)

2019年1月
フリアン・カストロ(Julián Castro) 44歳 男性 ヒスパニック 元住宅・都市開発長官(オバマ政権)、テキサス州サンアントニオ元市長
カマラ・ハリス(Kamala Harris) 54歳 女性 ジャマイカ系(父)/インド系(母) 上院議員(カリフォルニア州)
コリー・ブッカー(Cory Booker) 50歳 男性 アフリカ系 上院議員(ニュージャージー州)

2019年2月
トゥルシ・ギャバード(Tulsi Gabbard) 38歳 女性 サモア/ヒンドゥ 下院議員(ハワイ州)
エリザベス・ウォーレン(Elizabeth Warren) 69歳 女性 白人 上院議員(マサチューセッツ州)
エイミー・クロブシャー(Amy Klobuchar) 58歳 女性 白人 上院議員(ミネソタ州)
バーニー・サンダース(Bernie Sanders) 77歳 男性 白人 上院議員(バーモント州)

2019年3月
ジェイ・インスリー(Jay Inslee) 68歳 男性 白人 州知事(ワシントン州)
ジョン・ヒッケンルーパー(John Hickenlooper) 67歳 男性 白人 元州知事(コロラド州)
ベト・オルーク(Beto O’Rourke) 46歳 男性 白人 元下院議員(テキサス州)
キルステン・ジルブランド(Kirsten Gillibrand) 52歳 女性 白人 上院議員(ニューヨーク州)
ウェイン・メッサム(Wayne Messam) 44歳 男性 アフリカ系(ジャマイカ) 市長(フロリダ州ミラマール)

2019年4月
ティム・ライアン(Tim Ryan) 45歳 男性 白人 下院議員(オハイオ州)
エリック・スワルウェル(Eric Swalwell) 38歳 男性 白人 下院議員(カリフォルニア州)
ピート・ブティジェッジ(Pete Buttigieg) 37歳 男性 白人 市長(インディアナ州サウスベンド)
セス・モルトン(Seth Moulton) 40歳 男性 白人 下院議員(マサチューセッツ州)
ジョー・バイデン(Joe Biden) 76歳 男性 白人 元副大統領 元上院議員(デラウェア州)

2019年5月
マイケル・ベネット(Michael Bennet) 54歳 男性 白人 上院議員(コロラド州)
スティーブ・バロック(Steve Bullock) 53歳 男性 白人 州知事(モンタナ州)
ビル・デ・ブラジオ(Bill de Brasio) 58歳 男性 白人 市長(ニューヨーク州ニューヨーク市)
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立候補の表明順を見ると、女性やマイノリティの候補者が1月から先行し、3月以降、白人男性の立候補ラッシュが続いた。エリザベス・ウォーレンによる昨年12月末の立候補表明に触発されたからか、序盤は女性の立候補が続いた。次いで、黒人やヒスパニックなどのマイノリティが続き、3月以降、ベト・オルークが立候補を表明したあたりから、白人男性の立候補が相次いだ。

最初に立候補を表明した候補者の多くが、プログレッシブ寄りの人たちであるのに対して、後半に立候補を表明した人びとには、モデレート寄りの人びとの立候補が増えた。プログレッシブ寄りの候補者は、人びとの支持に支えられる草の根的な「ポピュリズム」的展開に頼ることが多いため、早期スタートが小口献金を集めるためにも重要になる。

一方、モデレート寄りの候補者の場合、企業や富裕層の支持者が背後にあり、大幅に遅れを取らない限り困ることはない。その意味では、20人目となるまでバイデンの立候補が遅れたのも、タイミングを図ってのことだったのだろう。

もっとも春先から、一時、女性の肩や髪に触れる彼特有の「親密さ」の表現が性的嫌がらせとみなされ、それを訴える女性が続いたことがあり、もしかしたらバイデンは立候補を取りやめるのではないか、と見られときもあった。完全にとは言わないまでも、そのほとぼりが冷めてからの立候補だった。

このように2016年からの変化として見過ごすことができないのは、#MeTooムーブメントを経ての選挙戦であることだ。それを反映して候補者23名のうち6名が女性で、そのうち5名が連邦議会議員(上院が4人、下院が1人)だ。女性として、政治家の「ガラスの天井」を破ってきた人たちが、前回のヒラリー・クリントン同様、大統領職という頂点に手をかけようとしている。

立候補者の23名を見ると民族的にも多様で、アフリカ系が3人、ヒスパニックが1人、東アジア系(=台湾)が1人、パシフィック系(=ハワイ)が1人、南アジア系(=インド)が1人、という構成。さらに従軍経験者が3人。そしてゲイが1人だ。また「白人」と一括りにするのも少し乱暴で、信仰がプロテスタントかカトリックか、プロテスタントであればどの教派か、というのも、一歩踏み込んだ背景情報として重要になる。

「#MeToo以後」という焼け野の先に待つのは?

また、リストでは煩雑になるので省略したが、大学院以上の教育を受けた人が16名。その多くはJD(法学博士)で14名。それ以外の修士号取得者が5名だ(コリー・ブッカーがJDと修士の両方を取得している)。学部、大学院のどちらかで、ハーバードやイェール、コロンビアなどのアイビーリーグに通った人が10名。ローズ奨学生としてイギリスのオックスフォードで学んだ人も2名いる。

何が言いたいかというと、世評の通り、「女性、マイノリティ、高学歴」からなる民主党、というイメージに違わない立候補者たち、ということだ。

ところで、#MeToo以後ということで、もう一つ気にかけておくべきことがある。それは、#MeToo運動によって、選挙キャンペーンの動向を伝える側のマスメディアの様子もだいぶ変わったことだ。よく知られるように、#MeTooムーブメントの盛り上がりの中で、多くの著名な男性セレブリティが過去の性的嫌がらせで告発され、それまであった社会的地位を返上せざるを得ない状況に追い込まれた。それは報道の要であるジャーナリズム/メディア業界でも変わらず、降板させられた著名アンカーやジャーナリストも数知れない。

簡単に言えば、#MeToo運動によって、リベラルメディアの多くでセクハラオヤジのキャスターやジャーナリストたちが、報道の現場から追放された。もちろん、このこと自体は非難されるものではないが、しかしその結果、多くの伝統的なメディアの報道姿勢が、2016年の頃よりも意識的に「政治的に正しい」方向に傾いてしまった感は否めない。そして単に報道内容が「政治的に正しい」だけでなく、その報道の伝達方法についても、女性やマイノリティのアンカー/ジャーナリストの登用など、インクルーシブであることを気にかけたものになっている。

要するに、この2年間で民主党が左傾化したのと同じように、マスメディア・ジャーナリズムでも以前よりも左傾化が進んできたようなのだ。具体的には、それまでは「寛容」や「自由」の精神から、対立する意見も平等に取り上げる、という基本姿勢があったわけだが、白人優位主義者らの発言が公になされることが増えたことで、意見の平等な扱いにも限界があるという態度が目立ってきた。最近の民主党の政治家の口からは、むしろ「ジャスティス=正義」という言葉が発せられることが増えている。何事によらず「公正な原則」たる「正義」に則って判断されるべし、ということだ。

こうしたマスメディアの「政治的な正しさ」への動きは、フェイクニュースの流布などで、この2年間、常に連邦議会からの批判の的であったFacebookをはじめとするソーシャルメディアの扱いを巡る議論を受けてより顕著になっていった。ソーシャルメディアにおける「ニュースの信頼性の低下」が、マスメディアにとっての一種の限界事例となり、改めて自分たちの立ち位置を再確認せざるを得なくなったのである。

「正確さ」も大事だが、「語り口」も捨て置けない

もっとも、そのような動きも、平然と、まるで息をするように嘘をつくトランプ大統領──4月29日にはワシントン・ポストによるファクトチェックで大統領就任後「1万回の嘘」が記録された──への批判の手前、自らは「間違いのない、正確な報道」に注意しなければならないのは仕方がないことなのだが、ただ、その「正しさ」への固執、「トゥルース=真実」への固執が、ではアメリカ社会の現状を適切に反映しているのかどうか、というと怪しいのではないか、ということだ。

正しさや正確さへの志向は、選挙動向の観察の上で従来使われてきた好感度や地域性などを相変わらず重視しようとする「世論調査屋(ポールスター)」の発言が再び引用されるようになってきたところにも見られる。残念ながら、政治周辺で生計を立てている人たちの思考方法や語彙は2016年の頃と変わっていないようなのだ。特に、エスタブリッシュメントとして括られる「中道寄り」の関係者の発言に多い。だがそれでは、2016年に起こったウェブやソーシャルメディアによる「草の根」の勢いの怖さをすっかり忘れてしまったことになる。その意味で、ヒラリーの轍を踏むようで怖い。

このあたりに伝統的なマスメディアの限界があるようにも思える。かわりに、ウェブ以後登場した、たとえばVoxなどのウェブジャーナリズムのほうが、「幅広く」「公平に」人びとの声を拾っているように思えるときもある。もちろん、「声=意見」なので正しさや正確さには欠けるかもしれないが、少なくとも人びとの気分は拾っている。というよりも、ウェブメディアの日々更新される情報を含めて、人びとの気分が組み立てられている、というべきか。

思い出すべきは、マスメディア時代からの報道機関だけを見ているだけでは実情を見誤るというのが2016年の教訓だったことだ。その意味で、伝統的報道機関のもつ20世紀メディアとしての限界が少しずつだが明らかになりつつあるといえそうだ。

要するに「正しさ」や「正確さ」だけでなく、草の根型の、ボトムアップ型の「ムーブメント」の時代にふさわしい、人びとを鼓舞するような情動的な言葉の効果を忘れてはいけないということだ。トランプのような、あけすけだがフランクな口調のほうが好まれてしまう事実もあるにはあるのである。

つまり、「正確さ」も大事だが、同様に「語り口」も捨て置けないのが、2016年以後の状況であり、今回の大統領選でも重要な要素になるはずだ。

この点で、どうしてもJD(法学博士)で法律家の資格を持つ人たちの語り口は、職業柄、ディフェンシブな「間違えない」ことに十分配慮されたものとなり、その分どうしても退屈なものになりがちだ。それに比べれば、若い候補者たちのほうが、より率直でフランクな語り方をしている。

となると、23名の候補者を理解する上で大切なのは、年齢による違い、ないしは世代の対立なのかもしれない。

世代交代どころか下剋上!?

立候補者23人のうち、70代が2人、60代が3人、50代が8人、40代が6人、30代が3人、という具合で、最高齢のバーニー・サンダース(77歳)から、最も若いピート・ブティジェッジ(37歳)の間では、実に40歳の開きがある。

これほど年齢差があると、ベビーブーマーの70代、X世代の50代、ミレニアルの30代と、世代としての差も激しくなる。

X世代やミレニアルからすれば、さすがにいい加減ブーマーには退いて欲しいというのが本音だろうだが、こと「打倒トランプ」という点からすると、バイデンやサンダースの人気が高いのもわかる。トランプ自身、70歳で就任という最高齢の大統領だからだ。

前回は、民主党のアウトサイダーとして旋風を引き起こしたサンダースだが、2016年大統領選から3年近く過ぎ、彼の提唱した政策も多くの民主党候補者にも支持されるものになり、その分、サンダースらしさ、というものが薄れてきている。もっとも、彼の登場でそれだけ民主党が左傾化したことを示してもいるわけで、2016年の「サンダース旋風」は、確実に彼の薫陶を受けた若手政治家/活動家を育てている。今年になって、アメリカの政治報道の話題をさらっている29歳の一年生女性下院議員であるAOC(アレグザンドリア・オカシオ=コルテス)などはその代表だ。

そのような中、多分、最もワリが合わないと感じているのが、50代の候補者たちなのだろう。ようやく自分たちの時代だと思って立候補したら、上はまだ引退せずにやる気満々であるし、下からは「そのやり方はもう古い」と突き上げられる。特に、男性と伍していくためにJDを取得し弁護士や検事として活躍し学歴や職歴を揃えて上を目指してきた50代の女性候補者たちからするとやりにくさは増しているように思える。

というのも、40歳前後の若手立候補者の多くが、今回の立候補は将来、政治家として大成するための──もちろんその最終ゴールは大統領就任だが──「ロングショット」であることを自覚しており、それを公に認めているからだ。その分、失うものはなにもなく「勝てれば儲けもの」ぐらいのストレートな語りを繰り返している。それゆえ「50代以上の政治家の考え方はもう古い。21世紀も20年を過ぎようとしている現在、アメリカはいわば地殻変動に相当する社会的大変化を迎えているのだから、その時代の趨勢に見合うよう、政治システムや社会システムのオーバーホールが必要だ」と、強気の発言を行うのにも躊躇しない。

その結果、個々の若手候補者はロングショットと言ってはいるものの、それらの発言をまとめて聞くと、世代交代というよりは下剋上の空気すら醸し出されている。

(たとえば、立候補者の中には、ティム・ライアンのように、長らく下院の民主党トップに君臨しているナンシー・ペロシに対して、2016年の「院内総務(=下院民主党の取りまとめ役)」の選挙で挑んだものもいる。共和党が、ティーパーティに推薦された議員が増す中、党の姿を変えてしまったのと同じように、民主党もまた、下からの突き上げによって党勢を変えざるを得ない状況にあるわけだ。)

このような雰囲気になる理由は、2016年の時点で「アメリカの政治システムは破綻している」ということが明らかにされてしまったからで、その「破綻」に対する代替案を出さずにホワイトハウスを奪還したところで、それでは意味がない、という見方に根ざしている。

この「新旧対決」は、昨年の中間選挙の結果、AOCをはじめとする(2016年のサンダースのような)草の根の支持によって議員に選出された、若い、文字通りの「新世代」の議員たちによってすでに明らかにされている。

彼ら若い世代が抱く自信や確信の多くは、彼らの見方に賛同してくれる人びとを見つける手段としてソーシャルメディアを活用してきた経験から発している。彼らの意見=活動に巻き込む手立て──ウェブマーケティングでいうところの「エンゲージメント」──に長けているからだ。この点で、50代以上の世代と40代前後の世代とでは、同じ選挙といっても戦うフィールドのイメージが全く異なっている。

実際、中間選挙で「ブルーウェイブ」が巻き起こった背景には、こうした草の根の、人びとの参加を促すボトムアップ型の選挙キャンペーンがあった。彼らの方法では、自分たちの主張にいわば「感染」させ、その後も単に支持者にとどまらせるだけでなく、新たな支持者の獲得にも動いてくれるよう動機づける。いわば勝手にゾンビが増殖していくのに近いような方法論が取られていた。それも、理性的な「説得」ではなく、情動的な「楽しさ=快楽」の共有を通じてである。

そうした方法論の伝承者の多くは、民主党の場合、2016年にサンダースのキャンペーン活動に参加した人たちだった。たとえば、中間選挙のテキサス州上院議員選で惜しくも現職のテッド・クルーズに敗れたベト・オルークも、その熱狂的な草の根の選挙活動を支えたのは、サンダースの選対本部で活躍したスタッフたちだった。

実のところ、AOCやオルークの盛り上がりを見て、今回の大統領選では多くの陣営が、そうした「運動(ムーブメント)」経験のあるスタッフを集めている。もはや選挙キャンペーンではなく、選挙ムーブメントなのである。有権者に特定の政策を公約するよりも、どのような姿勢で当選後、政治に取り組むか、そのための「誓約」を選挙活動を通じて、支持者たちの身体的に染み込ませていく。それはまた、語る相手が、特定の利益集団(interest group)ではなく、そのような利害関係からは自由な個人個人の有権者だから、ということでもある。この点でも、個々人への直接的な呼びかけを可能にしたソーシャルメディアとスマートフォンの影響は大きい。耳元でささやきかけることができる。

今回の大統領選で、堰を切ったように若い世代が名乗りを上げているのも、こうした手応えを、直感的に、だが世代としては共有された感覚としてもっているからなのかもしれない。

そうしたミレニアル世代の「声」の代表として、急速に注目を集めているのが、37歳と最年少の候補者で、ゲイであることも公表して登場したピート・ブティジェッジだ。彼の冷静かつ抑制された雄弁さは、いやでも際立つ。彼の答弁は、どんな質問にも動じることがなく、まるで禅僧のようだという評価が定まりつつある。ブティジェッジの発言は、別に奇をてらっているわけではないのだが、しかし、従来の「政治の常識」からすれば逆説的に聞こえるものも多い。確かに彼もまた新世代の一人なのだ。

インディアナ州サウスベントの市長を務める、37歳のピート・ブティジェッジ。前回ヒラリー・クリントンが敗れた中西部の工業地帯(ラストベルト)の票を取り返せる人物として、期待が高まる。SCOTT OLSON/GETTY IMAGES

もちろん、個別の論点で見れば、彼と近い世代の候補者たちの主張は、総じて「新たな時代への対応」を求めるものになっている。それは21世紀になってアメリカが経験した国を揺るがす大事件の数々、すなわち、911、イラク戦争、リーマンショック、中国・ロシアの台頭、そしてポスト・トゥルース時代の幕開けとなった2016年大統領選を踏まえたものだ。

言うまでもなくその背後には、インターネット、ソーシャルメディア、スマートフォンなどの台頭がある。そのすべてを、上からの、いわば「父・母」からの目線ではなく、地面に立った等身大の「子ども」の視点で経験したのが彼らなのである。彼らが育ったのは、個別のパーソナルヒストリーが、チャットやゲームなどウェブを介して、本人の意志とは別にコレクティブ・ヒストリーに転じてしまう時代だ。パッチワークだらけの個人史と集団史が混淆された記憶の定着は、人びとに届く言葉の選択にも影響を与えずにはいられないだろう(それがどれだけ20世紀のものとは異なる世界体験を与えるか知りたければ、今すぐ映画『search/サーチ』を観ることを勧める)。

新たに台頭してきた若い候補者たちは、彼らなりに語るべき言葉を持ち合わせている。その世代的特徴は興味深い。それはやはり50代の「切れる/できる」女性代議士の候補者たちのものとは異なる言葉であり、語り口であるように思えるのだ。