コメディアン大統領はウクライナを救えるのか
大統領就任に際し議会で宣誓するゼレンスキー氏(写真:PRESIDENT OF UKRAINE Official website)
5月20日、ウクライナ最高会議(議会)が開かれ、コメディアン出身のヴォロディミル・ゼレンスキー氏が大統領に就任した。就任演説は異例の内容だった。政府閣僚に辞任を求め、最高会議(国会)の解散を宣言した。議会選挙は7月21日に行われる。
ゼレンスキーが最も訴えたかったことは、ウクライナ国内の分断の克服だ。
「大きなウクライナ人も小さなウクライナ人も、正しいウクライナ人も正しくないウクライナ人も存在しない」
ウクライナは多民族国家である。言葉や民族の違いにもかかわらずゼレンスキーは「全員がウクライナ人(ウクライナ国民)である」ということを強調した。
就任演説で見せたポピュリストとしての力
就任演説でもっとも重要な部分は、意図的にウクライナ語からロシア語に切り替えた個所だ。
「クリミアもドンバスもウクライナの土地だ。そこでわれわれが失った最も重要なものは人だ。彼らの意識を取り戻さなければならない。それこそわれわれが失ったものだ。権力は彼らが自分をウクライナ人であると意識させることを何一つしてこなかった。彼らは異邦人ではない。彼らはわれわれと同じだ。ウクライナ人だ」
この時、ウクライナ民族主義を標榜するオレフ・リャシコ議員が「ウクライナ語で話せ!」と叫んだが、ゼレンスキーは「あなたはまた人々を分断させようとするのか」と切り返した。
就任演説を行うゼレンスキーはコメディアンではなくパブリックな政治家としての力を十分示した。ポピュリストとしてゼレンスキーの力を侮るべきではない。
しかし、大統領として、ステーツマンとしての資質があるかどうかは不透明だ。東部での和平に向けて「私は自分の支持を失うこと、職を失うことさえ恐れていない」と宣言した。しかし、新大統領はどのような具体策をとるのか、何も示していない。ポピュリストとしての能力はあるものの、現実に政治を動かして政策を実現できるのかどうか。
ウクライナでは、首相は議会の多数派から選出されるなど、議会の権限が強く、ゼレンスキーは議会に足場を持たない。議会はゼレンスキーが提案した選挙法の改正を審議することさえ拒否している。多難の船出と言えるだろう。
ゼレンスキー氏はポロシェンコ氏に大差を付けて勝利した(写真:PRESIDENT OF UKRAINE Official website)
ウクライナ大統領選挙の決選投票で、ゼレンスキーは73%の支持を得て、現職大統領のペトロ・ポロシェンコの24%に大差をつけて圧勝した。39人の立候補者が乱立した第1回の投票では1位のゼレンスキーが30%、2位のポロシェンコが16%を獲得。上位2人による決選投票はまさに地滑り的なゼレンスキーの勝利だった。2人だけの決選投票でこれだけの差がついたことはウクライナの大統領選挙でこれまでになかったことだ。
票差だけではない。これまでウクライナの大統領選挙では、東と西で投票行動に大きな差が出ていた。ロシア語を話す人が大多数を占める東部と、ウクライナ民族主義の源流ともいえる西部では、支持する候補者が明確に分かれてきた。しかし今回の選挙結果では、ゼレンスキー支持は東部が厚いものの、ポロシェンコに負けたのは西部の1州と在外投票のみ、ほかのすべての州でゼレンスキーがポロシェンコを圧倒した。
この傾向は第1回の投票からも明確に表れていた。この時もゼレンスキーは、19の州や首都キエフで第1位となった。他の有力候補者は現職大統領ポロシェンコを含めてすべて地域的な偏りが強く、地域を超えたゼレンスキーへの支持の広がりが際立っていた。「言葉や宗教でウクライナを分断させてはならない」「われわれはすべてウクライナ人(ウクライナ国民)である」というメッセージは、選挙運動期間中からゼレンスキーが一貫して発信してきたものだ。
ゼレンスキーは41歳。ソビエト時代に生まれ、ソビエト的背景を持ちながらも連邦崩壊後の独立ウクライナとともに自らの青年時代、人生を築いてきた。民族や宗教としての違いを乗り越えた新たなウクライナ国家のアイデンティティの確立を希求する国民の願いを、ゼレンスキーは汲み取ったと言える。国民を融合するウクライナのアイデンティティの確立こそ大統領ゼレンスキーの使命と言える。
ソビエト的知識人家庭の出身
ゼレンスキーはソビエト時代の1978年1月、ウクライナ中東部の都市クリボイ・ログ(現在のクリヴィー・リフ)で生まれた。ブレジネフ時代末期、いわゆる「停滞の時代」と言われた時期だ。民族に代わる「ソビエト人」という概念が表れたころでもある。クリボイ・ログは人口60万人余り。豊富な鉄鉱山があり、ソビエトの鉄鋼業の中心都市の1つだ。
父のアレクサンドルは数学とプログラムの専門家で大学の教授、母のリンマはユダヤ系で同じく技術者。典型的なソビエトの知識階層、ソビエト的中産階級の家庭である。
1991年12月、ソビエト連邦は崩壊した。ヴォロディミル少年は14歳、12月のソビエト連邦崩壊の直接の原因は、ソビエト第2の共和国であるウクライナが国民投票で独立を選択したことだった。その後の経済危機は、ロシアであろうとウクライナであろうとソビエト的中産階級(学者、教師、医者、技術者、中堅官僚、軍人など)の暮らしを直撃した。ゼレンスキー家も同様だろう。ヴォロディミル少年は16歳の時、イスラエルに留学するチャンスを得たが、父の反対で、故郷の町にとどまったという。
ゼレンスキーの人生で転機となったのは、旧ソビエトで人気を博する番組『КВН』(カーヴェーン、「陽気な機知のクラブ」)への参加である。この番組はソビエト時代から続く、いわば若者グループがユーモアを競い合う番組だ。ソビエト時代のゴステレラジオを引き継ぐロシアのチャンネル1がロシアのみならず旧ソビエト全体で放送を続けていた。当時はまだウクライナとロシアは友好条約を結んでおり、兄弟国として関係が良好だった。
ゼレンスキーは故郷クリボイ・ログの仲間と「KVARTAR(クバルタル)95」というグループを作った。95番街という意味で誰でも覚えやすいようにとこの名前をつけたという。95はゼレンスキーが通っていた学校の名前からだ。クバルタル95はウクライナの予選を勝ち抜いて、КВНのトップリーグに参加した。
2000年からの3年間、ゼレンスキーはモスクワ暮らしを続けた。人気番組КВНのトップリーグに参加するのは、旧ソビエト全体に名を知られることである。ゼレンスキーはショービジネスの世界への第一歩を踏み出した。
ゼレンスキー大統領に対してロシアの政治関係のトークショーは冷ややかな論調が主流である。クレムリンお気に入りの司会者ソロビヨフは、大統領選挙の結果を認めるべきでない、とまで言った。
ショービジネスの世界でロシアとつながり
しかし同じロシアでもショービジネスの世界は違う。
ロシアのコメディアンで人気の司会者であるマクシム・ガルキンは「ヴァロージャ おめでとう。君は新たな偉大な道に待ち受けるあらゆるチャレンジに立派に立ち向かうだろう。ヴァロージャは原則をしっかり守る誠実な人間だ。君に力を、成功を祈る」と祝福した。そして、自身もドンバスでの平和とウクライナとロシアとの悲劇的な関係を正常化するために力を尽くす、と述べている。ガルキンの祝福はロシアからゼレンスキーに寄せられた最も温かく、誠実な祝福と言えるだろう。
ロシアとウクライナのショービジネス、テレビの娯楽部門は深く結びついていた。ソビエト時代からユーモア、コメディといえばオデッサだった。しかしクリミア併合に伴うロシアとウクライナの関係悪化は友好的だったショービジネスの世界も引き裂いた。ゼレンスキーは「ロシアの友人たちとは自然と関係が消えた」と述べている。ガルキンらウクライナでも人気だったロシアのコメディアンはウクライナでの公演を禁じられている。ロシアとの紛争がなければ、ゼレンスキーが政治の道に足を踏み入れることはなかったであろう。
ドラマが現実になってしまった(写真:PRESIDENT OF UKRAINE Official website)
ゼレンスキーに大統領への道を開いたのは、2015年に始まった人気テレビドラマシリーズ『国民のしもべ』だろう。ゼレンスキー主演、クバルタル95の主要メンバー総出演で制作もクバルタル95だ。クリボイ・ログ出身者で作るコメディグループ・クバルタル95は、2003年КВНと別れて自立した。そしてウクライナのテレビで自らの番組制作を始めた。
人気のコメディショーは毎週金曜日に放送される『ベチェルヌィ・クバルタル』という番組で、コメディあり、歌あり、踊りあり。私の世代でいえば「ザ・ドリフターズ」の『8時だよ!全員集合』を思い出させる。しかし番組はかなり政治的だ。売りは政治家や財閥を揶揄するコメディである。
ロシアのウラジーミル・プーチン大統領とヴィクトル・ヤヌコービッチ元ウクライナ大統領の電話、ポロシェンコとプーチンの休暇、イーホル・コロモイスキーとリナト・アフメトフ(2人ともウクライナの財閥)のニュースキャスターなど、時節の話題を織り込みながら皮肉っていく。私が見た中では、コロモイスキーとアフメトフのニュースキャスターが傑作だ。
クバルタル95は日本でいえば吉本興業か、ジャニーズかという感じ。さまざまなタレントを抱える大プロダクションだ。ゼレンスキーはプロダクションの共同経営者であるとともに、コメディグループ・クバルタル95の時代と同様に、制作部門のリーダーでもある。ウクライナのテレビ界、ショービジネスにおいて最も成功したテレビマンだ。
欧米に対してシニカルな『国民のしもべ』
運命の分かれ道となったのが2015年に始まったテレビドラマ『国民のしもべ』だ。ロシア語のドラマである。ドラマは2015年、2017年、そして2019年と3シリーズが放送された。このドラマの影の主役はウクライナを操る財閥だ。3人の財閥がキエフの夜景を見ながら、大統領選挙の結果がどうなっても3人でウクライナを操ろう、と話す場面から始まる。
平凡な教師ゴロボロチコがウクライナの現状への不満をぶちまける様子を生徒がスマートフォンで盗み撮りし、それがSNSに投稿されて大人気となる。ついに大統領に立候補させられて、当選。素人大統領とその同級生からなる仲間たちが、財閥や既存の政治家、腐敗したシステムとの悪戦苦闘を繰り広げていくというストーリーだ。
荒唐無稽の物語ともいえるが、『国民のしもべ』こそが大統領への道を開いた作品であり、また、脚本家でこのドラマのシナリオ・ライターのユーリー・コスチュクは大統領府副長官に任命された。
このドラマの分析は重要だ。『国民のしもべ』には3つのメッセージが込められている。1つは財閥支配からの脱却、2つ目は財閥ではなく普通の人に奉仕する普通の人としての大統領、3つ目は自立するウクライナである。注目すべきは、欧米に対するシニカルな描き方だ。ポロシェンコはこのドラマについて「反欧米的で、嫌いだ」と述べているが、確かにその要素はある。IMF(国際通貨基金)にしてもG7にしても、ウクライナを支援するのは自らの利益のためだ、と突き放して描かれている。
就任演説でゼレンスキーは「我々はヨーロッパへの道を選んだ。しかしヨーロッパはどこか遠くにあるのではない。この(頭)中にある。この中にヨーロッパが生まれた時、ここもヨーロッパになる」と述べている。ウクライナ国民によるウクライナの自立が『国民のしもべ』に込められた重要なメッセージだ。連邦崩壊後の独立ウクライナの中で苦闘しながらビジネスを築き上げたゼレンスキーの世代の思いが込められていると感じる。
しかし果たしてドラマの中のようにゼレンスキーは財閥との戦いを進めるのだろうか。ゼレンスキー自身も財閥との結び付きが指摘されているのだ。
「ポロシェンコさん、あなたはいつから財閥になったのだ。議員の時にチョコレート工場を手に入れているではないか。財閥が大統領になるべきでない」
公開討論でゼレンスキーは自らが財閥でもあるポロシェンコを非難した。
しかしゼレンスキー自身も財閥コロモイスキーとの結びつきが指摘されている。ゼレンスキーの主要な番組である『ベチェルヌィ・クバルタル』も『国民のしもべ』もコロモイスキーが所有するテレビチャンネルの1+1で放送された。大統領選挙期間中にもかかわらず、ゼレンスキーが出演する娯楽番組やドラマが放送され、ほかの陣営からは事実上の選挙広告だとの非難の声が上がった。
こうした非難に対してゼレンスキーは公開討論の中で「ピンチューク、フェルタシュ、アフメトフ、コロモイスキー、そしてあなた、ポロシェンコ、この5人の財閥がウクライナのテレビを支配している」とテレビ業界における財閥支配の現状を指摘した。テレビで仕事するには財閥と契約関係を結ばざるを得ない、と反論する。
コロモイスキーの傀儡との疑惑が浮上
しかし、ゼレンスキーが大統領府長官に任命したのはコロモイスキーの弁護士だったアンドレイ・バグダノフ。ポロシェンコと対立してイスラエルに亡命していたコロモイスキーは大統領就任式の直前にウクライナに戻っている。ウクライナの報道ではバグダノフの任命はコロモイスキーが強く要求したとも伝えられている。
コロモイスキーは英フィナンシャル・タイムズ紙のインタビューに対して、「ウクライナはIMFの返済計画を拒否し債務不履行を宣言すべきだ」と述べている。コロモイスキーの影響力について、欧米でも不安が強まっている。「ゼレンスキーは財閥の操り人形ではないか」、この疑問に新大統領は答えなければならない。
不思議なことにゼレンスキーに大統領への道を開いた『国民のしもべ』では、ロシアはウクライナを脅かす影の存在として示唆されるものの、物語の中では何も出てこない。就任演説でゼレンスキーはロシアを一言も名指ししなかった。ロシアを敵として激しく非難し、ロシアを悪とすることで政権の基盤を固めようとしたポロシェンコとは対照的だ。
東部ルガンスクでウクライナ軍の前線を視察するゼレンスキー氏(写真:PRESIDENT OF UKRAINE Official website)
ではゼレンスキーはロシアに融和的だろうか。ゼレンスキーは「急がば回れ」の戦略を取るように思う。ともかく東部での戦闘を収束させる。当面はウクライナ国内の経済を回復、発展させることに集中し、国民の生活レベルを向上させる。今、ウクライナの成長産業はITだ。ゼレンスキーはウクライナをイスラエルのようなIT大国にして、エストニアのような電子政府を実現したい意向も示している。
財閥支配でない民主的なウクライナを築く。それによって、親ロシア派に支配されるドンバスやロシアに併合されたクリミアの住民に対して、ウクライナに戻るほうがはるかに利益になることを示し、ウクライナになびかせようという戦略を取っているように思える。
ゼレンスキーはロシアを侵略者と呼び、プーチンを敵だともしている。一方で、東部の和平のためにロシアと交渉するとも述べている。ロシアとどのように交渉するのか、交渉しないのか。大統領府長官のバグダノフはロシアとの関係について、国民投票にかけると述べている。何を意味するのか、正直分からない。曖昧な問いで国民投票をしても聞かれるほうが迷惑だろう。
もしかしたら、「ミンスク合意の履行」を国民投票にかけるのかもしれない。ドイツ、フランスを仲介者として結ばれたミンスク合意では、停戦とともに、東部の親ロシア派支配地域に特別な地位を与え、テロリストと呼んできた親ロシア派に恩赦を与えることを定めている。
このミンスク合意は国連の安全保障理事会でも決議され、国際法となっているが、ウクライナ政権にとっては、親ロシア派への譲歩を意味しており、履行は政治的に難しい。ロシアは、ウクライナがミンスク合意を履行するなら関係正常化に応じる、としている。「ミンスク合意」を国民投票にかけるのであれば、一つの政治決断になるだろう。
ゼレンスキーの成功はプーチンを脅かす
ゼレンスキー政権はポロシェンコ政権よりもロシアに対して融和的だろうか。敵対的なレトリックが少なくなるかもしれない。ただロシアのプーチン政権にとってポロシェンコ政権のほうが手の内がわかり、予想可能で対処しやすいという面がある。
財閥支配のままではウクライナの経済成長もありえない。敵対しているロシアに百万を超えるウクライナ人が出稼ぎに行っている。ウクライナの貿易相手国で輸出入とも第1位はロシアである。政治的には対立しても経済ではいまだに深く結びついているのが、ウクライナとロシアの関係だ。
しかし、もしもゼレンスキーの「急がば回れ」の戦略が成功し、経済の離陸を実現したらどうなるだろう。ウクライナが財閥支配を脱却してロシアよりもビジネス環境の面で上回り、ITのスタートアップもしやすくなったら、どうなるだろう。しかも民主的な政権交代が可能な政治体制であることは確かだ。政治的アウトサイダーのゼレンスキーが大統領として成功することは、ロシアに別の方向性の実例を示すことになる。
ロシアのテレビは、ウクライナ大統領選挙を詳報した。ゼレンスキーとポロシェンコの公開討論会や、議会に歩いて向かうゼレンスキーの就任式はテレビで生中継された。まったくの政治のアウトサイダーが大統領となる隣国の姿を直接見たロシア国民はどのように思っただろうか。ゼレンスキーの成功はロシア国内での脱プーチンの動きを強める可能性もある。
クレムリンは6月1日からウクライナへの石油など資源の輸出を禁じる制裁措置を取る。クレムリンはコメディアン・ゼレンスキーの成功を恐れているかもしれない。果たしてゼレンスキーは困難な決断もできる真のステーツマンか、それとも大統領を演じているにすぎないのか、ウクライナの運命がかかっている。