人間力は掛け算 我喜屋優監督(興南)vol.3

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 これまで「人間力」と「根っこ」について興南高校監督・我喜屋優氏に語ってもらった。第3回目ではそれらの要素の関係を紐解いていきたい。

 自分自身の基準を持つ「人間力」 我喜屋 優監督(興南)vol.1 「根っこ」を育てるには 我喜屋 優監督(興南)vol.2

人間力は掛け算

我喜屋優監督

 「根っこ」を育てるとどうなるのか?

 「根っこ」がしっかりすると、多くの場面で、「自分自身の基準」を作れるということになる。自分自身の身体、野球の知識、日常の出来事、教養、幅広い場面で「自分自身の基準」を持てることになる。

 今までの話と合わせると

「人間力」=「自分自身の基準を持つ」×「根っこの育成度」

だろう。

 なぜ、足し算でなく掛け算かというと、多くの知識・教養・経験などの「根っこ」が育っても、「自分自身の基準」を作る力がなければ、その「根っこ」から木が大きく育たない。逆に「自分自身の基準」をもつ力があっても、「根っこ」がなければ基準に気づける機会がないのである。

 人間力は掛け算である。「自分自身の基準」と「根っこ」があれば、人間力は加速度的に伸びていく。

我喜屋監督の考える「大人」とは「人間力」と「PDCA」

PDCAを支えるのは根っこの人間力なのだ!

 「自分自身の基準」があれば、「計画・実行力・自分のやっていることのチェック、省みること、よし明日はこれで行こう」のPDCAを回せる。つまり、多くの場面で「計画」を立てれて行動を起こすことが出来るのである。言うなればPDCAを回すことで木をより大きく立派に成長させられることになる。そして、その基礎となる「根っこ」こそが「人間力」ということになる。

 ここまでの人間力とPDCAを心に留めた上で、我喜屋 優(がきや・まさる)監督(興南)の興味深い話を1つ取り上げてみたい。

「ゴミを捨てるのも大人が捨てるかもしれないし、拾うのもまた子供が来て拾う、ように、やっぱり野球というのはカバーリングだから、ゴミを捨てるのはミス・エラー、それをカバーするのが、大人だろうが・高校生だろうが、できれば大人だなと言えるわけですよ。これが出来る子供は、大人だなぁと、逆に、あの大人はなんでゴミを捨てて子供だなあとなるんですよ」

 ゴミ拾いについて話してくれた言葉である。

 “ゴミを捨てるのは野球で言うミス・エラーだからカバーする”という理解だけだと、我喜屋監督のいう「大人」の本質にはまだ遠い。

 では、この「ゴミ拾い」を「人間力」と「PDCA」の観点で考えてみたい。

 「人間力」は、「自分自身の基準」と「根っこ」からなる。

 始めに「根っこ」の部分を考えてみたい。

 まず、ゴミは環境にどのような影響を与えるか、野生動物の間違えた誤食はどのような結果を招くのか、はたまた景観という点ではどうなのか、を考えられる「根っこ」がある必要がある。その自分の知識・教養・情報のなかで「ごみ捨てはダメ(ミス)だ」という基準ができていることが大前提になる。つまり、その基準を作れる「人間力」が備わっているかが1つ目の大事な点である。

 逆に言えば、自分の知識・教養などの「根っこ」の中で、この落ちている物は、そのままほうが良いという「基準」がなされたものは、明確な理由の上拾わないという選択肢もある。このことを判断できる「人間力」が必要とされている。

 「PDCA」の観点ではどうだろう。「ミス」を見つけたらどうしようか?ゴミを拾うことを考え、そして実行する。場合によっては、今後同じようにゴミを捨てられない策まで考えて実行するかもしれない。それがPDCAである。

 このように、すぐ拾えばよいのか、後で拾えばよいのかなども、「人間力」と「PDCA」を行ったり来たりしながら瞬時に判断することになる。

 実は、このゴミ拾い1つにしても多くの気づきが含まれているのがわかる。そして、我喜屋監督が求めるのは、このような思考をすばやく出来る「大人」の選手である。

文=田中 実