別に、結婚だけが女の幸せではない。

自ら望んで独身を貫くのなら、何も問題はない。

しかし実際には「結婚したいのに、結婚できない」と嘆く女たちが数多く存在し、彼女たちは今日も、東京の熾烈な婚活市場で戦っているのである。

これまで、自分にも相手にも厳しい“ストイックな36歳独身女”や、アイドルに恋する女、3人の男をキープする女、場末感漂う35歳、家が好きすぎる女、独身貴族の女社長、胸キュン希望の38歳、ペットを飼う女、不倫で7年無駄にした女、エリート外国人を狙う女、スピリチュアルにハマる女などを紹介した。

さて、今週は…?




【今週の結婚できない女】

名前:奈江
年齢:36歳
職業:家事手伝い
住居:白金台

「…ねぇ、奈江ちゃん。本当にあなた、今後どうするつもりなの?」

隣に腰を下ろした母親にそう声をかけられ、私は「しまった」と後悔する。

『パティスリーSATSUKI』のケーキを買ってきたわよと誘われ、つい釣られてしまった自分を呪う。最近じゃ、顔を合わせるたび“この話”になることを、重々わかっていたはずなのに。

「あなた今日もお休みなのに家にいるけど、お付き合いしてる人とかいないの?若い頃あれだけお見合いさせてあげたのに、奈江ちゃんはすぐに“ここが嫌” “あそこがダメ”って文句ばかりで…」

「もう、そんなこと今話してもどうしようもないでしょ。それよりママ、年明けのエクシブって部屋取れたの?」

ああ、もう。また始まった。慌てて話題を変えようと試みるが、お嬢様育ちで根っからマイペースの母親は、私の話など聞いちゃいない。

「まさか奈江ちゃんが36歳まで結婚できないなんて、お母さん思ってもみなかったわ。お兄ちゃんだって30歳で結婚したのに。だいたい奈江ちゃんは“誰かに養ってもらう”ってことの有り難みがわかってないのよ。一度もちゃんと働いたことがないし、自立して生活したこともないから…」

眉を顰め、ため息交じりに語る母。

そんな母親の言葉を右から左に受け流しながら、私は心の中で叫ぶ。

それもこれも全部、私のせいじゃないのに!と。


白金台の実家で暮らす、奈江36歳。彼女が結婚できない本当の理由とは…?


私が結婚できない理由


-お付き合いしてる人とかいないの?-

先ほど母親に尋ねられたその質問を私は完全にスルーしたが、実は私にも彼氏と呼べる男性がいる。

両親には紹介していないし今後するつもりもないが、密かにもう5年の付き合いだ。

彼…高木との出会いは私が30歳の頃、一年だけアルバイトをしていた法律事務所。

ちょうどその頃、見合いを断り続ける私に痺れを切らした母親が「結婚しないなら働きなさい」と言い出し、父親の知り合いの事務所でアルバイトをすることになったのだ。

高木はそこで働く、10歳年上のパラリーガルだった。

もともと一年という約束だったことと、一年が経過した頃には母親のほとぼりも冷めていたので私はそのまま事務所を辞め家事手伝いに戻った。だが、彼との関係は未だに続いているのだった。

それだけ長く付き合っているのに、そしてこれだけ母親から結婚を急かされているのに、どうして両親に紹介しないのか。

その答えはただ一つ。紹介したところで、絶対に反対されるからだ。

10歳年上で、職業はパラリーガル。小さな個人事務所だから、貰っている方だと仮定しても年収は600万程度が関の山だろう。

さらに言えば高木はバツイチで、前妻の元に未成年の子どもまでいるのだ。

そんな彼の存在を、両親...特に母親には話す気にもならない。家族の中で唯一私に優しい父親も、代々続く病院経営に関すること以外はすべて母親のいいなりで頼りにならない。

私が母親に対してこんなにも複雑な感情を抱いているのには、もちろん理由がある。

あれはちょうど10年前。私が26歳の時のこと。

私は母親から、「この人こそが運命の相手だ」と思える最愛の男との結婚を、猛反対されたのだ。




私の人生最愛の人...健ちゃんの存在は、今でも時々…例えばよく一緒に歩いた外苑の銀杏並木をふいに通った時や、当時彼がプレゼントしてくれたMiss Diorの香りを嗅いだ時なんかにふと思い出され、私の胸を切なく締め付ける。

健ちゃんと出会ったのは、まだ大学生の頃。

小学校からエスカレーター式の私立女子校に通わされていた私は、友達とともに参加した有名私立大学の学園祭で健ちゃんと知り合った。

出会いはまあ…俗にいう“ナンパ”だが、私は運命の出会いだったと思っている。

20代前半、まだお互い青さの残る時代をともに過ごした私と健ちゃんの絆は、今この歳になって振り返ると尚更に貴重なものだったように思う。

実際、母親に結婚を反対されたあと、私は20人近くの男性とお見合いを重ねたが、健ちゃんと出会った時のときめきを超える人など現れなかったし、どれだけ輝かしい経歴や家柄をアピールされても、健ちゃんの太陽みたいな笑顔の前では霞むのだ。

健ちゃんは大学卒業後、当時はまだベンチャーの規模だった某IT企業に就職した。

ずっと結婚を意識する付き合いではあったが、地元・広島から上京してきた彼は都心で一人暮らし。さすがにすぐに結婚というのは難しかったのだろう。

結局、交際開始から5年。ふたりが26歳のとき、ようやく彼は私にプロポーズをしてくれた。

もちろん私は即答で彼の申し出を受け入れ、その日の夜、興奮冷めやらぬまま母親に報告をした。

しかし、“彼氏”として紹介した時には「かっこいいし、優しくてママも好きだわ」などと太鼓判を押していたはずなのに、“結婚”のふた文字を口にした途端、母は態度を急変させたのだ。


奈江の母親は健ちゃんの何が気に入らなかったのか。“ふさわしい”相手を選ぼうとする毒親の実態


母親に潰された結婚


「…ダメよ。健ちゃんはすごくいい子だと思うけど、結婚は駄目。ママが、奈江ちゃんにぴったりの人を探してきてあげるから」

母親はそう言って、私の話をまるで聞こうとしなかった。

「どうして」「何がダメなの」と食い下がる私を、母親は適当にあしらうことしかしなかったが、おそらく理由は健ちゃんの生い立ちだ。

彼は早くに父親を亡くし、母子家庭で育っている。上京して一人暮らしをする費用も私立大学の学費も、すべて奨学金でまかなっていると母にも話したことがあった。

その時は母も「立派ね。偉いわねぇ」と感心すらしていたはずなのに。

私はもちろんそんな母親に反発し、健ちゃんにもそう伝えた。

親には反対されてしまったが、私は健ちゃんと結婚したい。家を捨ててでも健ちゃんと一緒になりたい、と。

しかし結果的には健ちゃんの方から「この話はなかったことにしよう」と言われてしまったのだ。

別れのとき…健ちゃんが見せた表情を、私は一生忘れないだろう。

世の中の不条理に対する諦め、屈辱、葛藤。それらをすべて受け止め、それでも前を向こうとする、強い意志に満ちた目をしていた。




健ちゃんと別れたことを知った母は、私にいそいそと縁談を持ち込んできた。そして、病院は兄が継ぐ予定なのだから相手は医師である必要などないのに、なぜかそのほとんどが医者だった。

しかし先述の通り、どの見合い話もピンとこず、結局20人近い相手に断ったり断られたりして今に至る。

母親からの「いつ結婚するの」の圧力は日に日に増すばかりだが、しかしいくら圧をかけられても、現実問題、私は母親の期待に応えられないのだ。

好きになるのはいつも医師でないばかりか、何かしら“難あり”の男。

もしかすると36歳ともなった今なら、私が本気で「結婚したい」とさえ申し出れば、今の彼との結婚だって渋々ながら認めてくれるのかもしれない。

だが36歳となってしまった今、他ならぬ私自身が情熱だけで突っ走れなくなっていた。現実というものを、既によくよく知ってしまっているから。

批判を覚悟で言うが、親の庇護のもと恵まれた環境で生きてきた私は、今さら生活のために働くなんて無理である。それなのにバツイチ子持ち、そしてお世辞にも高収入とはいえない男と結婚したところで、うまくいくはずがない。

もしも若かったあの時に、健ちゃんと結婚することができていたら-。そうすれば私だって、変わることができたかもしれないのに。

今さらもうどうしようもないけれど、私は今でもそんな“もしも”を考えずにいられない。

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「可愛くない」と言われてしまうOver35歳ハイスペ美女の嘆き