by Luwin Studies

「考古学者が遺跡からの出土品を偽造した」と聞くと、日本で起きた旧石器捏造事件を連想する人は多いはずですが、「トルコにある9000年前の遺跡から発見された出土品の一部が、有名考古学者によって偽造されたものである可能性が高い」と判明し、話題になっています。

Famed Archaeologist 'Discovered' His Own Fakes at 9,000-Year-Old Settlement

https://www.livescience.com/61989-famed-archaeologist-created-fakes.html

イギリスの著名な考古学者であるジェームス・メラート氏は、トルコのアナトリア半島南部にある「チャタル・ヒュユク」という遺跡の発掘調査に携わった人物です。チャタル・ヒュユクは新石器時代から銅器時代にかけての遺跡であり、古い時代から新しい時代の遺跡が層状に積み重なっています。最下層が形成された時期は紀元前7500年前にさかのぼり、遺跡の規模や複雑な構造から「世界最古の都市遺跡」と呼ばれることもあるとのこと。

1925年にロンドンで生まれたメラート氏は、イスタンブール大学で講義を行い、イギリスのアンカラ研究所(BIAA)で助教授を務めました。1954年にはアナトリア半島西部のベイジェスルタン遺跡の発掘調査を指揮し、後期青銅時代に作られた陶器製の「シャンパングラス」を発見する功績を挙げたとのこと。チャタル・ヒュユクが発見された1958年から3年後の1961年、メラート氏はチャタル・ヒュユクの発掘調査を指揮し、150以上の部屋と建物、壁画や彫像など多くの出土品を発見しました。

メラート氏は1964年、出土した品を販売する密輸業者を手助けしているとして、トルコで遺跡を発掘することを禁止されてしまいます。トルコで遺跡が発掘できなくなった後も遺跡から持ち帰った出土品の研究を続け、新たな壁画を研究結果と共に公表するなどしており、初期アナトリア研究をリードする著名な考古学者として知られていました。しかし、2012年にメラート氏が死去してから、メラート氏の遺品整理を続けてきたルウィ研究所のエバーハルト・ツァンガー氏は、「メラート氏の遺品からチャタル・ヒュユクの壁画を偽造した証拠が見つかった」と述べています。



「メラート氏は50年以上にわたってチャタル・ヒュユク遺跡に関する調査を続けてきた。アナトリアに関する非常に幅広い知識を身につけ、知識を総動員して過去のパノラマを想像していた」とツァンガー氏は語っていますが、このプロセス自体はおかしなものではありません。

ある考古学者が過去の時代についての仮説を表明し、他の考古学者がそれを支持するか、あるいは遺跡の発掘調査から支持する証拠が見つかるというのが一般的。ツァンガー氏は「メラート氏は遺跡の発掘調査によって証拠を発見する代わりに、自分の理論を強化する証拠を作り出してしまったようだ」と話しています。

1995年、メラート氏はルウィ語というアナトリア半島南部からシリアにかけて使用された古代言語で書かれた碑文について記した手紙を、ツァンガー氏に送っていたそうです。その中でメラート氏は「私はルウィ語の読み書きができない」としながらも、ルウィ語に精通した他の考古学者の手助けにより、碑文を一部解読できたと伝えていたとのこと。メラート氏は1992年にもアングロ・イスラエル考古学会の学会誌に、碑文の内容に言及した論文を発表しており、碑文の研究を継続的に行っていたことが知られています。



by Luwin Studies

2012年にメラート氏が死去した後、ツァンガー氏がメラート氏のアパートから発見したメモに「発見した碑文が完全に公開されていなければ、他の研究者たちの手で公開してほしい」と記されていたことから、メラート氏の遺品を整理し始めたとのこと。2017年12月にメラート氏が所持していた資料の中から、3200年前に書かれたトロイア王子に関する碑文についての解読資料が公表されましたが、複数の考古学者から「偽造された資料ではないか」という疑念が寄せられていました。今回ツァンガー氏は、この疑念を認める形で「全ての碑文が偽造とは言い切れないが、トロイア王子に関する碑文が本物であると確信できない」と述べています。

また、メラート氏の遺品からは「ルウィ語の読み書きができない」というメラート氏の主張に反して、メラート氏が古代言語に熟達していたという証拠も発見されています。メラート氏が「ルウィ語の解読に協力してもらった」と話していた考古学者は、1995年時点で全て故人となっているとのことで、メラート氏はルウィ語の解読をしたのは自分ではないと装いつつ、自分の理論を裏付ける言葉をルウィ語で記していた可能性があります。



by Luwin Studies

ツァンガー氏は「メラート氏が『自分の死後、これらの遺品を研究成果として公表するように』というメモを残した行為は、考古学の歴史を偽造することに私を加担させるのと同じだ。私のキャリアを傷つけても構わないと考えていたと感じられ、裏切られた気分だ」と述べています。メラート氏の遺品にはチャタル・ヒュユクで発見したと主張している壁画の「削り取った断片」が見つかっており、ルウィ語で書かれた碑文だけでなく壁画にも偽造された出土品が混ざっていると思われます。

メラート氏は1964年にトルコでの発掘調査を禁じられてから、何らかの形で考古学会に対して報復したがっていたのではないかと、ツァンガー氏は語っています。「メラート氏はトルコを追放されてから半世紀もの間、次第に想像の世界に入り込んでしまっていたようだ」とツァンガー氏は推測しており、1995年にツァンガー氏へ送られた手紙には、メラート氏の歴史的知識の深さと広大な想像力の双方が垣間見えるとしています。

なお、現在チャタル・ヒュユクで発掘調査を行っている考古学者のイアン・ホダー氏は、この件に関してコメントを発表していないとのことです。