戦後最大の不正会計事件「イトマン事件」の内幕を描く。『住友銀行秘史』講談社刊。

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真面目でカタい。銀行員にはそんなイメージがある。実際はどうか。「型破り」なバンカーが、現場を振り返った。

■「不在」は「所用がある」、「思う」は「思料する」

私が東京大学を卒業して住友銀行に入行したのは1968年。日本は高度経済成長の真っ只中でした。支店勤務や米国留学を経て、本社の企画部に配属されたのが75年。以降10年、大蔵省担当、いわゆる「MOF担」を務めました。仕事は、大蔵省のキャリア官僚や政治家、日本銀行の役人などに食い込み、銀行にとっての重要情報を逃さず入手すること。一般的なバンカーの仕事とは違いますが、私には水が合いました。そのときの出来事を包み隠さず書いたのが『住友銀行秘史』です。

私は「イトマン事件」などで、銀行の内外にいる様々な人と知遇を得ました。そして、あらためて銀行の特殊性を思い知りました。

今回は「マナー」について話してほしいということですが、たとえば真冬であっても、銀行員はコートを着ません。どんなに寒くても客先にはジャケット1枚で行きます。もちろん銀行に出勤するときにはコートを着ているのです。しかし客先にコートを着ていくと、先方でコートを脱いで、どこかに掛けることになります。その結果、相手に余計な気遣いをさせることになり、失礼にあたる、という理屈です。

言葉遣いにも特有の規範がありました。電話で「××さんいますか」と問い合わせたとします。当人が不在だった場合、行内からの問い合わせであっても「所用があって失礼しました」と答えるのです。「所用」があるかどうかは、電話をかけた相手にとって関係ありません。夜間であればすでに退勤しただけかもしれないのに、どんなときでも「所用があって」と付け加えていました。

「思料する」という言葉遣いも銀行ならではでしょう。社内文書で理由を説明する場合には「思われる」ではなく「思料せらるるうえに……」といった表現が使われていました。上司がそう書くから、若い人もそれを真似ていきます。もはや独特の「文学」になっている表現がいくつもありましたね。

ただ、私には疑問でした。おそらく「ひとりよがり」のマナーになっていたと思います。自分たちの都合を相手に押し付けているだけなのです。だから私はそういったマナーを守りませんでした。顧客を訪ねるときもコートを着ていました。銀行員としては型破りだったかもしれません。

■支店長を増長させる「事なかれ主義」

なぜ銀行員は「ひとりよがり」と思えるマナーを守るのか。それを理解するには、銀行員の性質をもう少し知る必要があるでしょう。

銀行員の人生において最初の目標は、支店長になること。その次は取締役。その次は経営会議のメンバーである常務。そして最後はトップである頭取を目指します。出世の入り口といえる支店長は、まさに一国一城の主です。本店からは、その支店で何をやっているのか、支店長がどう振る舞っているのか、まったく見えません。支店長は、支店では神様みたいなものです。

私は87年4月に、渋谷東口支店に支店長として赴任しました。ある打ち上げの席で部下から「前の支店長と全然違います」と言われました。なんでも前任の支店長は打ち上げで、あらかじめ全員集合させておくだけでなく、部屋の中で待つことすら許さず、全員を部屋の外に立たせていました。そして支店長が到着すると、全員で頭を下げて「今日はごちそうになります!」と言わせていたそうです。

滑稽なことですが、触らぬ神に祟りなし。支店長がそう望めば、部下は率先して動いてしまう。銀行員の本質とは「事なかれ主義」なのです。

■「長幼の序」を破れば出世の道は閉ざされる

私はそんな振る舞いをしたくなかったし、できませんでした。ただ、銀行員の規範のなかで、「初歩の初歩」といえるものは守るようにしていました。それは入行年次と出身大学を覚えることです。銀行では1つでも年次が上であれば、相手は先輩となり、絶対服従です。「長幼の序」は絶対に守らなければいけません。

銀行員にとって、年次がどれほど重要なのか、よくわかるエピソードがあります。住友銀行副頭取や住友不動産社長を歴任した安藤太郎さんと、「住友銀行の天皇」と呼ばれた元会長の磯田一郎さんの話です。年次は安藤さんが1つ上、つまり銀行では先輩になります。しかしあるとき、磯田さんは安藤さんを「安藤君」と呼んだことがあり、それに対し安藤さんは長年腹を立てていたそうです。

「呼び方ぐらいで大人げない」というのが世間の感覚なんだろうと思いますが、銀行員の感覚ではあり得ない所業です。役職に、はっきりとした差がある場合は別ですが、立場が微妙なときは、長幼の序をしっかりとわきまえないと痛い目に遭います。たとえ同じ専務でも年次が上の人を立てないと、「あいつはわかっていない」とバツがつく世界なのです。

出身大学を頭に入れておくことも大切です。メガバンクで多いのは東京大学や一橋大学、京都大学といった大学の出身者です。しかし、なかには地方の国立大学の出身者もいます。そうした人は、自分と同じ大学の出身者を側近として重用するケースがありました。銀行内では、誰が味方で誰が敵か、なかなかわかりません。出身大学がひとつの「寄る辺」になっていたのかもしれません。

もしかすると、「とにかく下手に出ていればいいんだな」と思われたかもしれませんが、そういうわけにはいきません。卑下しすぎると、甘くみられてしまうからです。「あいつはいい加減に扱ってもよい」となれば、銀行員にとっては致命傷です。なぜなら銀行員にとっては“人の評価”がすべてです。銀行員は手に職を持っていません。だから「減点主義」なのです。

銀行は融資を行う機関です。そのため企業に対して「ここに貸しても大丈夫か」という減点主義でチェックします。これは行内の人事評価でも同じです。1回でもバツがつけば、出世の道は閉ざされます。だから悪目立ちをしないほうがいいのです。

当時ほどではないにせよ、現在の日本企業にも、大なり小なり特有のマナーや作法が存在すると思います。ただ、あまり気にしないで、自由闊達にやってほしいと思います。社内の過度な忖度が、経営に悪影響を及ぼした企業は少なくないからです。

私は頭取にはなれませんでしたが、取締役になったのは同期トップでした。守ったルールは入行年次ぐらいです。銀行の頭取を目指さないのであれば、その他のマナーはたいした問題ではないはずですよ。

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元住友銀行取締役 國重惇史(くにしげ・あつし)
1945年、山口県生まれ。68年東京大学経済学部卒業。同年住友銀行(現・三井住友銀行)入行。渋谷東口支店長、本店営業第一部長、丸の内支店長を歴任。94年に同期トップで取締役に。97年住友キャピタル証券副社長。その後、楽天証券会長、楽天副会長などを歴任。現在はシーアンドイー会長。著書『住友銀行秘史』は10万部を超えるベストセラーになっている。

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(元住友銀行取締役 國重 惇史 構成=呉 承鎬 撮影=門間新弥)