「今年ダメならその先はない」。泥だらけのプリンス・堂林翔太の覚悟
燃えさかる炎を目の前に、気を失いそうになりながらも懸命に声を張り上げた。1月中旬、鹿児島県の最福寺で、広島の堂林翔太は燃え上がる炎の前で不動明王御真言を唱える護摩行に臨んだ。
「何かを変えたくて来た。気持ちだけでも変われば。もう悔しい思いはしたくない。今まで以上の気持ちを持っている」
火傷(やけど)の痕が残る紅潮した表情には、不退転の覚悟が滲(にじ)んでいた。
2012年、全試合に出場し、15本塁打を放った。低迷するチームの希望の星となり、甘いマスクもあって全国的な人気を集めた。だが翌年に成績を落とすと、その後も成績は下降線をたどってしまう。軌道修正できないまま迎えた昨年、47試合の出場に終わり、先発出場は2012年以降ワーストとなるわずか13試合、打席数もワーストの60打席に終わった。
もちろん堂林自身、停滞感の中でもがき続けた。シーズン中にバットの長さや重さを変え、オフの取り組みでは毎年のようにトレーナーを代えるなど迷いも見られた。
「打てない日々の中でバットを変えれば、不思議と結果が出ることがある」というのはプロ野球界ではよくあることだ。ただ、その効果は一過性のものに過ぎない。根本的な解決にはならず、しばらくすると再び同じ問題に直面する。継続性は望めない。
堂林の場合、常に新しい形を模索してしまったことも、軌道修正に時間を要した一因となった。シーズンを重ねるごとに「上書き保存」ではなく、「新規保存」していた印象だ。成功も失敗も、回り道もすべて経験とし、積み重ねていくことが選手としての年輪となるもの。見かけだけの変化は、進化にはつながらなかった。
そういった意味で、2016年シーズンはひとつの転機だったかもしれない。ルナの加入や安部友裕の台頭などにより、さらに出場機会を減らした。それでも我慢の1年と位置づけたシーズン。一軍に呼ばれない日々が続いても、自分を見失わなかった。目の前の結果ばかり追わず、その先にあるゴールを見つめ、黙々とバットを振ってきた。
成果は昨季終盤に表れた。フリー打撃時の打球の軌道が変わったのだ。シーズン中盤までは右方向への打球はすべてこすったようなスライス回転でファウルゾーンへ失速していたが、シーズン終盤になると右方向の打球が真っすぐ飛び、そして伸びるようになった。
石井琢朗打撃コーチはシーズン終了後、堂林の変化をこう説明した。
「チーム事情もあって打席に立たせる機会は少なかったけど、シーズン終盤から打撃はよくなっていた。2017年は、昨年戦力になり切れなかった選手が伸びてくれないといけない」
「継続力」が堂林を変えたのかもしれない。強化指定選手に指名され、朝8時から基本的な体の使い方を徹底的に叩き込まれた秋季キャンプでも、シーズン中からの取り組みを継続し、打撃内容はグンと上がった。堂林の変貌に、緒方孝市監督は打撃コーチ陣を呼び寄せ、期待を口にしたという。
自分が正しく、定めたゴールへ進むため、ベテランに先導役も願い出た。シーズン中、堂林は何度も新井貴浩のもとへ、シーズンオフの弟子入りを志願し続けたのだ。この師弟関係はある意味で必然だったのかもしれない。
広島復帰が決まった2015年シーズン前、用具メーカーで対面した際に新井は「若い頃の自分に似ている。これからチームを背負って立つ存在になってほしいという気持ちは、心の奥にあります」と堂林の名前を挙げて期待を口にした。
チームメイトとなっても、何かと気にかけた。打撃練習を終えた新井が、堂林の打撃練習のときにわざわざベンチまで出てきて打撃を見つめることもあった。弟子入りを志願してからは、全体練習後にマツダスタジアム室内練習場で直接指導をすることもあった。
同じ右打者で、不器用ながらバットを振り込んで一流選手にまで上り詰めた先輩は、何よりの道標となったことだろう。
「どこまでもついていく」――その覚悟の堂林に護摩行を断る理由などなかった。300度を超える炎を眼前に「声を出さないと気を失ってしまう」と感じていた堂林を引っ張ったのも、となりから聞こえてくる新井の大きな声だった。3日間に及んだ苦行に耐えた。
進退をかけるシーズンへ。
「今年、結果を残せなければ、その先はない」
なりふりなど構っていられない。出場の幅を広げるため、昨年秋のキャンプから外野にも挑戦。三塁と一塁も含め、ポジションにはこだわらない。貪欲にチャンスをうかがう。
ブレイクした2012年から、ここまでは回り道だったかもしれない。それでも、その道程は無駄なことばかりではなかったはずだ。それを証明するのは、結果しかない。護摩木とともに弱かった自分を燃やし尽くし、勝負のシーズンに臨む。
前原淳●文 text by Maehara Jun

