渡邊昌彦氏

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学会総会といえば、専門家が集まり最新の術式や研究結果などの知見を公開し、共有するための場だ。しかし中には専門家以外も楽しめ、興味を持てる講演もある。

2016年12月8〜10日に開催された第29回日本内視鏡外科学会総会のテーマは、中国の史書「宋史」に出てくる「自我作古」。「我より古(いにしえ)を作(な)す(自身が歴史を作る)」で、その通りさまざまな「歴史」を感じさせる講演が多数あった。

大村智教授によるエバーメクチンの歴史

まず特別講演では、2015年に日本人で3人目となるノーベル生理学・医学賞を受賞した大村智北里大学特別栄誉教授が、エバーメクチンやイベルメクチンの特定、生産に至るまでの研究の道のりを語った。

大村氏の講演で感じられたのは、研究の目的やその道筋を設定する視点の鋭さだ。当初は資金が乏しかったので、企業から援助を受けることにした。ただ化合物を探索するというだけでは企業にメリットがない。そこで、大村氏は動物用の薬、特に市場のニーズがありそうな寄生虫の駆除薬に着目し、その開発に取り組んだ。

これがエバーメクチン、イベルメクチンを産生する放線菌の特定へとつながり、動物薬としてだけでなく、人へも適用が広がっていくこととなる。

イベルメクチンは西アフリカなどで蔓延していたオンコセルカ症(河川盲目症)の治療薬として広く利用されるようになり、2027年にはアフリカから撲滅できる可能性もあるという。

また、昨今のゲノム解析によって放線菌がエバーメクチン以外の有用な物質を産生可能であることも判明している。微生物研究でひとつの歴史を作った大村氏による、さらにこれからの可能性、未来を感じさせる講演だった。

内視鏡外科のパイオニアによる会長講演

大村氏の講演が微生物研究の歴史とするなら、日本内視鏡外科学会理事長である渡邊昌彦北里大学教授・北里大学北里研究所病院副院長による会長講演の内容は、内視鏡外科の歴史と言える。

渡邊氏は1992年に、日本で記録上1例目となる腹腔鏡による大腸切除手術をおこなった、内視鏡外科のパイオニアだ。

数センチの孔から機器を挿入しておこなう内視鏡手術は、従来の大きく切開する手術に比べ、患者への負担が少なく、術後の回復も早い。組織の切除と止血を同時におこなえる高機能なメスなども登場しており、術中の負担も少なくなっている。

こうした、技術によって手術そのものが大きく進歩する内視鏡に魅せられた渡邊氏は、その後も最新技術を意欲的に取り込み続け、内視鏡手術の適応範囲を広げてきた。

腫瘍を小さくすれば、進行性のがんでも内視鏡手術が可能ではないかと考え、現在は大腸がんの標準治療とすべく研究に取り組んでいるという。

内視鏡手術は画期的な手法だが、同時に高い技術と経験が求められる。渡邊氏は、内視鏡手術を次世代へと継承していくことの重要性を説き、手術の定型化と理解を進めていきたいと語った。

江戸における医学の発展も話題に

さらにユニークだったのは、歴史学者の磯田道史氏による「歴史上の名医はいかにして名医になったか」という講演だ。

近世、特に江戸時代における医学の発達を取り上げ、日本における外科的な手技の発達、進歩に貢献した人物として賀川玄悦(1700〜1777)と本間玄調(1804〜1872)の2人を取り上げた。

賀川は産科医で、現代の産婦人科の手術器具の原型を考案した人物。胎児が頭を下向きにしていることを早い時期に指摘するなど、当時日本で主流だった漢方への疑念と、実証主義に基づく外科手術に取り組み、「死産の場合は母体の救命を優先する」といった現代では一般的な概念を早くから提唱していたという。

本間は幕末期の天才外科医として知られる。麻酔と血管結紮(血流を遮断すること)を駆使し、明治以降に一般化した足の切断手術を、当時の日本でおこなうことができ、実際に1857年には糖尿病患者の足を切断した記録が残っているという。

磯田氏は、自らの目で確かめ、新たなことに挑戦したこの2人こそ、現代の医療にも通じる「自我作古」の姿勢だったと指摘。

先端の医療技術だけでなく、外科の歴史にも触れることのできる学会となった。

医師・専門家が監修「Aging Style」