(ビバリーヒルズにある氷室の7億円豪邸。写真:Most Wanted Pictures/アフロ)
“ヒムロック”こと氷室京介(55歳)がステージを去る。BOOWYのボーカリストとして、1987年の解散後はソロとして、ヒット曲を生み出した氷室。ライブ活動の無期限休止を発表したのは2014年7月のこと。両耳の聴覚障害で「ある一定のトーンが、まったく聞こえなくなった」とファンに説明。4月23日から始まる4大ドームツアーを最後に「氷室京介を卒業する」という。

氷室は、高校までを群馬県高崎市で過ごした。世に出る前の氷室に、多大な影響を与えた同い年の天才がいる。17歳で夭折、没後に詩集が大ブームとなったカリスマ的詩人の山田かまちだ。かまちの母・千鶴子さんが振り返る。

「2人は幼稚園からいっしょ。小さいころ、かまちがクラスの子供たちの絵を描いたんですが、一人だけ飛び上がっている子がいる。それが氷室君。目立っていたんですね。やんちゃ坊主で、よく怪獣ごっこをして、畳の部屋でやると服がイグサだらけでね(笑)。家に遊びに来ると、玄関から『かーまち!』と大きな声で呼んでいました」

2人が、音楽に目覚めたのは中学の終わりごろだった。

「のちにBOOWYのメンバーになる松井(常松)君たちと、よく練習していました。かまちもギターがうまいから、よく電話で呼び出されてセッションしていたんです」

かまちは17歳の8月、自宅でギターの練習中に感電死してしまう。

「そのとき、氷室君はBOOWYの前身になるバンドのメンバーで、志賀高原で合宿していたんです。朝ごはんのときにかまちの訃報が流れて、全員がすぐに高崎に帰ってきた。氷室君は着のみ着のままうちに来て、8畳の部屋のかまちの祭壇の前にぺたーんと座り込んだきりになって、私に『おばちゃん、かまちはハードロックでした……』ってひと言だけ言ってうつむいて、ずっとそのままでした。いい子でした」

氷室は翌年、前橋のライブハウスで活動しはじめる。そして、東京で氷室は伝説のロッカーになった。最後のステージは5月23日。東京ドームのステージに、氷室はかまちの魂とともに立つ。

(週刊FLASH2016年4月19日号)