「火村英生の推理」7話。火村の内面が見えてきた
「崖の上で『犯人はこの中にいる』ですって。まるでよく観る、サスペンスドラマですね」
「臨床犯罪学者 火村英生の推理」第7話、2年前に起きた黄昏岬殺人事件の容疑者を集めて「挑戦状」を叩きつけた火村英生に、その中の1人がこう言いながら食ってかかった。第5話までの斎藤工の演技は、芝居がかった台詞廻しや他人を置き去りにする行動(『犯人の名前はわかっているが今はまだ言えない』)などの名探偵の記号的な振る舞いを極力採用せず、自由に火村英生というキャラクターを作っているように見えた。にもかかわらず「朱色の研究」前後編では名探偵的演技が取り入れられていたのは路線変更が行われたのか、それとも冒頭の台詞のようにお約束をパロディ化するためのものなのか。
そのへんの意図が見えないので、疑問符の残った回だった。次回予告に「火村英生の闇が深化する」とのキャッチがつけられていたので、あるいはその布石なのかもしれない。今夜放送の第8回を観るまで、とりあえずは判断保留である。
さて「朱色の研究」編だが、長篇を支える謎解きそのものは見事にドラマへと換骨奪胎されていたのである。本編の原作には2つの謎解きが含まれ、ドラマで2分割するには適した題材であったが、脚本はそれをきちんと短い時間で説明してみせた。
火村英生登場作の長篇は8作あり、第2長篇の『ダリの繭』は前々回にドラマでも使われた。最初の『46番目の密室』と、〈国名シリーズ〉に含まれる『スウェーデン館の謎』『マレー鉄道の謎』(日本推理作家協会賞受賞作)の3つには、いずれも密室殺人事件を含まれている。有栖川作品の中でも特に印象に残るトリックが使われた3篇でもあり、この先もし〈国名シリーズ〉の長篇が書かれるとすれば、同様にトリック重視の作品になるのではないかという予感がするのだ。
それに対して前出の『ダリの繭』と第3長篇の『海のある奈良に死す』は、アリバイ崩しのような「手順」を重視した内容だ。小さな論理を積み重ねていくことで探偵が解に達するというような謎解きのスタイルであり、有栖川の作風がよく現れている。この延長線上にあるのが『乱鴉の島』である。この作品で有栖川は、アリバイ崩しの他にもう1つサプライズを準備して読者を楽しませてくれた。2015年の『鍵の掛かった男』ではさらに、本筋の犯人探し以外に、被害者の来歴そのものがヴェールに包まれているという、過去へ遡っての謎解きという要素が加わった。このように、同じ長篇といっても作品ごとに違いがあり、さらには執筆時期によって変遷があるのが作家アリスシリーズの楽しみでもある。現在の有栖川は短篇よりも長篇執筆を重視していく姿勢を示しており、今後も変化が楽しめそうだ。
前回も書いたように、作品の背景に地誌や伝承などについての言及があり、余剰の部分が楽しめるのが長篇『朱色の研究』の特徴でもある。もう1つ見逃せないのが、火村英生が自身の「悪夢」について初めて言及したのがこの作品だということである。
「ああ。人間を一人、殺す夢だ。俺は、酷い方法で殺人を侵す。はっとして目が覚めた時は、いつも両手を見てしまう。血糊でべとべとの感触がはっきりあるのに、ちっとも汚れていないんだ。透明の血がついているんじゃないか、としばらく凝視してしまうほど、その感触は生々しくて、思い出そうと努めればいつでもできる。[……]」
ドラマ「臨床犯罪学者 火村英生の推理」の第1話は、この夢を実際に映像化した場面から始まっていたわけで、そういった意味では重要な作品だ。何作かシリーズを読んだ上でこの記述に行き当たったほうが感慨は深まるはずなので、最初に読むべきものとして挙げようとは思わないが、それでもシリーズの要になる作品であることは間違いない。
本作の火村はいつも以上に多弁であり、自らの犯罪・犯人観も惜しみなく開陳している。ドラマの小野刑事がそれを理解できなかったように、その語りは他人に向けられたわけではなく、自らの内面を掘るためのものだ。火村の内なる孤独が言葉のはしばしに滲み出してくる。
「[……]私は、地獄も極楽もこれっぽっちも信じていないだけです。そんなものは、現世の不合理不条理から目を背けるための方便として仮構されたフィクションにすぎない。[……]もしも、死後に神の裁きが待っているのなら、人間が人間を裁くことは僭越であるばかりか、犯罪的に傲慢です。この世には人間しかおらず、あの世は存在しないから、犯罪者は人間の手で裁かれるべきなんです」(中略)
「ならば先生に伺います。神も仏もないのなら、この世のその代理を務めるのは、警察官や検察官や裁判官ですか? そして名探偵?」
「質問が矛盾を含んでいます。いないものに、代理はありません」
「朱色の研究」中ではシャングリラ十字軍を含む動きがあり、次回以降は火村と組織との対決へと向けて話が動いて行きそうな気配がある。現在発売中の「ダ・ヴィンチ」は有栖川有栖特集であり、米澤穂信との対談や、作品解題なども行われているのでぜひお読みいただきたい。記事取材で有栖川氏とお会いした際、実はドラマについての話題も出て、最終回はこうなるのではないかという点で意見が一致したことがあるのだが、それが当たったかどうかはこのレビューの最終回でお伝えしたいと思う。ちなみに有栖川氏は、どの作品を映像化するかということも含めて、制作側と展開の相談はまったくしたいないとのこと。
さて、今夜放送されるのは『菩提樹荘の殺人』所収の「アポロンのナイフ」である。どうぞお楽しみに。
(杉江松恋)
「臨床犯罪学者 火村英生の推理」第7話、2年前に起きた黄昏岬殺人事件の容疑者を集めて「挑戦状」を叩きつけた火村英生に、その中の1人がこう言いながら食ってかかった。第5話までの斎藤工の演技は、芝居がかった台詞廻しや他人を置き去りにする行動(『犯人の名前はわかっているが今はまだ言えない』)などの名探偵の記号的な振る舞いを極力採用せず、自由に火村英生というキャラクターを作っているように見えた。にもかかわらず「朱色の研究」前後編では名探偵的演技が取り入れられていたのは路線変更が行われたのか、それとも冒頭の台詞のようにお約束をパロディ化するためのものなのか。
そのへんの意図が見えないので、疑問符の残った回だった。次回予告に「火村英生の闇が深化する」とのキャッチがつけられていたので、あるいはその布石なのかもしれない。今夜放送の第8回を観るまで、とりあえずは判断保留である。
2つの謎解き
さて「朱色の研究」編だが、長篇を支える謎解きそのものは見事にドラマへと換骨奪胎されていたのである。本編の原作には2つの謎解きが含まれ、ドラマで2分割するには適した題材であったが、脚本はそれをきちんと短い時間で説明してみせた。
火村英生登場作の長篇は8作あり、第2長篇の『ダリの繭』は前々回にドラマでも使われた。最初の『46番目の密室』と、〈国名シリーズ〉に含まれる『スウェーデン館の謎』『マレー鉄道の謎』(日本推理作家協会賞受賞作)の3つには、いずれも密室殺人事件を含まれている。有栖川作品の中でも特に印象に残るトリックが使われた3篇でもあり、この先もし〈国名シリーズ〉の長篇が書かれるとすれば、同様にトリック重視の作品になるのではないかという予感がするのだ。
それに対して前出の『ダリの繭』と第3長篇の『海のある奈良に死す』は、アリバイ崩しのような「手順」を重視した内容だ。小さな論理を積み重ねていくことで探偵が解に達するというような謎解きのスタイルであり、有栖川の作風がよく現れている。この延長線上にあるのが『乱鴉の島』である。この作品で有栖川は、アリバイ崩しの他にもう1つサプライズを準備して読者を楽しませてくれた。2015年の『鍵の掛かった男』ではさらに、本筋の犯人探し以外に、被害者の来歴そのものがヴェールに包まれているという、過去へ遡っての謎解きという要素が加わった。このように、同じ長篇といっても作品ごとに違いがあり、さらには執筆時期によって変遷があるのが作家アリスシリーズの楽しみでもある。現在の有栖川は短篇よりも長篇執筆を重視していく姿勢を示しており、今後も変化が楽しめそうだ。
「悪夢」について初めて言及
前回も書いたように、作品の背景に地誌や伝承などについての言及があり、余剰の部分が楽しめるのが長篇『朱色の研究』の特徴でもある。もう1つ見逃せないのが、火村英生が自身の「悪夢」について初めて言及したのがこの作品だということである。
「ああ。人間を一人、殺す夢だ。俺は、酷い方法で殺人を侵す。はっとして目が覚めた時は、いつも両手を見てしまう。血糊でべとべとの感触がはっきりあるのに、ちっとも汚れていないんだ。透明の血がついているんじゃないか、としばらく凝視してしまうほど、その感触は生々しくて、思い出そうと努めればいつでもできる。[……]」
ドラマ「臨床犯罪学者 火村英生の推理」の第1話は、この夢を実際に映像化した場面から始まっていたわけで、そういった意味では重要な作品だ。何作かシリーズを読んだ上でこの記述に行き当たったほうが感慨は深まるはずなので、最初に読むべきものとして挙げようとは思わないが、それでもシリーズの要になる作品であることは間違いない。
本作の火村はいつも以上に多弁であり、自らの犯罪・犯人観も惜しみなく開陳している。ドラマの小野刑事がそれを理解できなかったように、その語りは他人に向けられたわけではなく、自らの内面を掘るためのものだ。火村の内なる孤独が言葉のはしばしに滲み出してくる。
「[……]私は、地獄も極楽もこれっぽっちも信じていないだけです。そんなものは、現世の不合理不条理から目を背けるための方便として仮構されたフィクションにすぎない。[……]もしも、死後に神の裁きが待っているのなら、人間が人間を裁くことは僭越であるばかりか、犯罪的に傲慢です。この世には人間しかおらず、あの世は存在しないから、犯罪者は人間の手で裁かれるべきなんです」(中略)
「ならば先生に伺います。神も仏もないのなら、この世のその代理を務めるのは、警察官や検察官や裁判官ですか? そして名探偵?」
「質問が矛盾を含んでいます。いないものに、代理はありません」
最終回はこうなるのではないか
「朱色の研究」中ではシャングリラ十字軍を含む動きがあり、次回以降は火村と組織との対決へと向けて話が動いて行きそうな気配がある。現在発売中の「ダ・ヴィンチ」は有栖川有栖特集であり、米澤穂信との対談や、作品解題なども行われているのでぜひお読みいただきたい。記事取材で有栖川氏とお会いした際、実はドラマについての話題も出て、最終回はこうなるのではないかという点で意見が一致したことがあるのだが、それが当たったかどうかはこのレビューの最終回でお伝えしたいと思う。ちなみに有栖川氏は、どの作品を映像化するかということも含めて、制作側と展開の相談はまったくしたいないとのこと。
さて、今夜放送されるのは『菩提樹荘の殺人』所収の「アポロンのナイフ」である。どうぞお楽しみに。
(杉江松恋)