吉田豪インタビュー企画:長州力「業界に入るまで、プロレスを全然観ていなかった」(1)
プロインタビュアー吉田豪が注目の人にガチンコ取材を挑むロングインタビュー企画。今回のゲストはプロレスラーの長州力。先日出版された評伝『真説・長州力 1951-2015』(集英社インターナショナル:著・田崎健太)で、その半生をじっくりと赤裸々に語り大きな話題を呼んでいる長州力に、本のことも含めてじっくりと話を聞いた。第1回となる今回は「長州力はインタビュー嫌い」という伝説の真偽や最近盛んなバラエティ仕事などを掘り下げます!
【長州力といえば昔からインタビュー嫌いという評判なので、気を利かせてくれたマネージャーさんから「吉田豪さんについてのプロフィールは本人には伝えずに、プロレス業界の人ではないとだけ伝えておきます。そうすれば丁寧に喋ると思いますので」というメールが届き、それなら安心だと思ったら……】
──今日はよろしくお願いします。ライターの吉田豪と申します。
長州 はい、知ってます(笑顔で)。
──え! ご存じなんですか!
長州 はい(笑顔で)。
──……ずっと取材したいと思っててようやく夢が叶ったんですけど、いまの「知ってます」のひと言でものすごいプレシャーかかりました(笑)。まず、7月発売の『真説・長州力 1951-2015』(集英社インターナショナル:田崎健太・著)がすごいおもしろかったんですよ。
長州 そうですか?
──ええ。これまでの長州さんの本は全部読んできてるんですけど、突出した出来だと思いました。長州さんとしてはどうでした?
長州 うん。いままで何冊か本は出してきて、それはいろいろ会話をしながら作ってきたんだけど、今回は自分でも意外なぐらいに、いろんなところまで結構足を伸ばして。
──同級生から何から各方面の証言を集めてましたね。
長州 もうだいたいほとんど。どこまで行ってんのかなと思って。期間もちょっと長かったし。もうそろそろ終わりかなと思っても全然進まないから、じゃあ結構根掘り葉掘り取材やってるのかなあって。それだけ動いたぶん、自分でも忘れてたような記憶がちょっと戻ってきて、「ああ、そういうことあったなー」とか思いましたね。
──長州さんの本なんて相当あるから、正直もうやりようがないだろうと思ってたら、こんなシンプルなやり方が残っていたのは盲点でしたね。関係者も本人もしつこいぐらいに取材するっていう。
長州 そうですよ。自分の職業はプロレスラーだし、これまでプロレスの話は根掘り葉掘り聞かれて、もういいやって感じだったんだけど。今回はやっぱりプロレスを素材にして書かれてるんですけど、生い立ちとか、自分が東京に出て来るまでの話とか、いろいろ「ああ、たしかにこういうこともあったな」って思いましたね。先生(著者の田崎健太のこと)と話して、記憶を呼び戻しながら。結構楽しかったですね、自分でもそういう記憶をよみがえらせながら会話してるのが。ほとんどお酒が入ってたけど。
──だから何を話したか覚えてなかったらしいですね(笑)。
長州 ハハハハ! ホントに(笑)。
──最初は長州さんと一緒にDVD観ながら試合を振り返る予定だったって田崎さんから聞いて、「そんなの長州さんが引き受けるわけないじゃないですか!」って突っ込みました(笑)。
長州 ハハハハハハ! そしたら腰上げてどっか行ってますよ!
「長州力はインタビュー嫌い」という伝説について
──そもそも長州さんはインタビュー嫌いっていう伝説があるじゃないですか。
長州 うーん……そうでもないんですけどね。ただ、取材だとみんな同じことをしゃべってきて、よく言うんだけど「おまえに俺の何がわかるんだよ」と。最終的にそれ言っちゃうからね。今回、取材するのが先生だからいろいろ先生も集英社の方たちも気を遣ってくれて、よくしゃべるような状況に設定してもらって。
──それがお酒を飲みながらの取材だったんですね。
長州 そう!
──やりやすい状況を作ってくれて。シラフでプロレスの話をじっくり聞かれるのが一番嫌なんですか?
長州 嫌ではないんですけどね、何かもう……それはたぶん、『週プロ』とか『ゴング』とか『東スポ』を調べたらそんなものはいくらでも出てるよっていう。
──「それだったら前に何度も話してるよ」っていうことですよね。
長州 そう、それもありますね。
──ボクは前に長州さんを取材しようとしたんですけど、「長州さんはプロレスの話をしたがらないから難しい」ってことで企画が流れたことがあって、その長州さんにこれだけプロレスについて語らせたことのがすごいと思いました。田崎さんが業界外の人だったっていうのは大きいんですか?
長州 ……業界外とは?
──プロレス業界の人じゃなかったっていうことです。
長州 ああ、そんなこともないですけどね。そんなこともないですけど……まあ、なんかもう雑談するような感じから入っていったから。結構時間もかかったし、「えっ?」と思うぐらいに。どこまでいくのかなと思ってましたよね。
──いつまでやってんだコラ、と。
長州 ハハハハハ!
──長州さん、雑談するのは好きなんですよね?
長州 ああ……どうかな、好きなのかな。
──『KAMINOGE』とかのインタビュー読んでると、そうなのかなと思いますけどね。「雑談なら付き合うけど、プロレスの話をしたら俺は席を立つぞ」って感じで。
長州 どっかで話を逸らそう逸らそうとしてる自分がいますよね。なんかちょっとかみ合わなかったら、なんか「あ、もういいな」って思っちゃうところはありますよ。
──プロレス以外の話というと、前に映画評論家の町山智浩さんとイベントで絡んだことがあるじゃないですか。
長州 …………ああ! ありますね、うん。
──長州さんがドキュメント番組とかノンフィクションを観るのが好きだっていうことで。
長州 ああ、DVDをいただいたですね。ドキュメントの40枚ぐらいセットで、あれはうれしかったですねえ! 1週間ぐらいで観ましたよ。おもしろかった!
──そういう好奇心は相当ある人じゃないですか。
長州 そうなのかな。あれはおもしろかったですけど。
──いろんな人と話してみたいっていう好奇心もあるわけですか?
長州 いや、そういう願望はあんまりないですね。そんなにみんなが思ってるほど忙しくもないし、やりたくもない仕事をやって。
──ダハハハハ! いまは、やりたくもない仕事やってるんですか(笑)。
長州 あとはもう昔と変わらないワンパターンの私生活ですから、自分から進んで何かやってるっていうのはないですね、僕は。……まあ、道場に通ってるぐらいのもんで。だから特別に変化があるわけでもないし。
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──進んでやってなさそうな仕事っていうと、最近はバラエティ番組のオファーとかも増えてるじゃないですか。
長州 いやこれは苦手ですねえ! ホントに! なんか違う土俵に上がってますよね、それは間違いなく違う土俵に上がってるなーと思う、うん。
──でも、バラエティは長州さんとは絶対に噛み合わないと思ってたら、意外と馴染んでるじゃないですか。
長州 いやいやいや! とんでもないですよ!
──とんでもないですか?
長州 うん、ホントにとんでもない! いっつも帰りの車のなかで自分に対して愚痴をこぼしてる。
──ダハハハハ! それでもオファーがあるっていうのは、ちゃんとそこにニーズがあるわけですよね。
長州 うん。でも、それをしなきゃしょうがないっていう現実問題というのはありますよね。できれば避けておきたいっていうか、なるべく自分がやりやすいような仕事をやって、なんでもかんでもっていうのはないですから。
──それこそボクも長州さんのしゃべるLINEスタンプとか全部買ってますけど、ああやって滑舌の悪さをネタに出来るようになるとは思ってませんでしたよ。
長州 ハハハハ! だからどこまで自分を任せられるか、そういうけじめみたいなものが自分自身でできてない。そうすると相手にそのへんをあまりにも気を遣われるから、迷惑かけてるなっていう思いはありますね。ああいうバラエティに出てる芸人さんたちも、それが仕事でやってるから、なんでもかんでもいいわけじゃないと思うんですよね。やっぱりみんな力がある人たちが残ってる、そういう世界ですよね。あの人たちも初対面の人たちが多いから、何かうまく引き出してって気遣いさせてるのはわかりますよ。そのへんがちょっとつらいなと思いますね。だからなるべく自分も枠を緩めていかないとっていうのはありますよね。
──芸人さんはプロレスファンが多いから、確実に長州さんへのリスペクトはありますからね。
長州 そういうところがたしかにあるんですけど、反対にまた気遣いもあると思いますね。
──気遣いせず、もっとキツくいじってほしいですか?
長州 いやいや、そういうのは考えてもいない……考えてもいないですよ。たしかに難しくて厳しい世界ですよね。僕なんか、たかだか1〜2年でそういうこと言うのもおかしいけど、やってる人たちはどんどん出ては消え出ては消えっていうのが多いみたいですから。
──革命戦士としてブレイクしていた80年代半ばぐらいに、長州さんがいろんな番組に出た時期もあったじゃないですか。それこそドラマに出たりとか。
長州 そうか? でもそんなに……ドラマって?
──『セーラー服通り』(86年、TBS系。主演/石野陽子、藤原理恵)とか。
長州 ああ、そんなのはもう何年も……ホントに1〜2回ぐらいのもんで。
──長州さんが芸能路線にチャレンジした時期はあったけれど、たぶんそれが苦手で身を引いたんだろうなと思ってたんですよ。
長州 いやいやいや、あの頃はまだ自分の仕事でやれることがあるから。芸能の世界とか、あまり考えてなかったですよね。
──歌を出したこともあったじゃないですか。
長州 ……はい?
──宇崎竜童さん作曲のシングル『明日の誓い』(86年/キングレコード)もアルバムも持ってますよ。
長州 いや、だからそれもなんか……周りに乗っけられたというか。まあ、乗る自分もいたんですけど……。
──あの時期は乗ってましたよね(笑)。
長州 決して歌がうまいわけでもないし。でも、やっぱりそのときそのときの時代背景で、自分もちょっとその時代に乗ってたのかなと思って。そうすると歌なんか音痴だろうがなんでもいい、とにかく出しちゃえばいいんだっていうようなアレですかね。それは、いまでもあんまり芸能界って変わらないんじゃないかなと思いますよね。なんか話題がある人がどんどん出て、力があるっていうか、対応できる人は残っていって、対応しきれない人間はやっぱりいなくなっていくっていう、そういう世界じゃないのかなとは思うんですけどね。
──長州さんは当時、やってみて向いてないなと思ったわけですか?
長州 ああ、僕はもう向いてないですよ、うん。間違いなく向いてないですね。向いてるとか向いてないとか、そこまでも考えてないです。
──素朴な疑問ですけど、長州さん、プロレスは向いてると思ったんですか?
長州 やっぱり入ったときは向いてないと思ったでしょうね。たしかに食うためっていうか、とにかく社会に出て行くわけだから、じゃあどこに住んでどうやって生計を立てていくんだっていうことで。
──同じレスリング出身のジャンボ鶴田さんが「全日本プロレスに就職しました」って言ったのに近い感覚ですかね。
長州 そうですね、うん。それもありますよね。あのときは「えぇっ!?」ってみんな驚いてましたから。入る前はプロレスを観るってことはなかったですからね。(ジャイアント)馬場さんとか(アントニオ)猪木さんとか坂口(征二)さんとか、そういう人たちは新聞とかで見てわかるけど、それ以外どういう選手がいるのかまったくわからない。
──それくらいの感覚で入っちゃうのもすごいですよね。
長州 すごいっていうか、その選択肢しかないわけですよ。いつまでも体育寮にいるわけにいかないし、下の人間は冷たい目で見るし。
──ダハハハハ! それならしょうがないです!
長州 ハハハハハ!
プロフィールプロレスラー
長州力
長州力(ちょうしゅうりき):1951年、山口県出身。ミュンヘン五輪出場の実績をひっさげて、1974年に新日本プロレスでデビュー。“革命戦士”の異名で大人気を獲得する。以後、新日本だけでなく、全日本プロレス、WJプロレス、リアルジャパンプロレス、ドラディジョンなど様々なマットで活躍。2010年からは、藤波辰爾、初代タイガーマスクと「レジェンド・ザ・プロレスリング」をスタートさせている。
プロフィールプロインタビュアー
吉田豪
吉田豪(よしだごう):1970年、東京都出身。プロ書評家、プロインタビュアー、ライター。徹底した事前調査をもとにしたインタビューに定評があり、『男気万字固め』、『人間コク宝』シリーズ、『サブカル・スーパースター鬱伝』『吉田豪の喋る!!道場破り プロレスラーガチンコインタビュー集』などインタビュー集を多数手がけている。また、近著で初の実用(?)新書『聞き出す力』も大きな話題を呼んでいる。
(取材・文/吉田豪)