『天皇の料理番』杉森久英/集英社文庫

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現在、TBS系で放送中のドラマ「天皇の料理番」(日曜夜9時〜)。先日の記事でも触れたとおり、TBSではいまから35年前の1980年にもやはり杉森久英の小説を原作に同名の連続ドラマが放送されている。このとき主人公の秋山篤蔵を演じたのは、まだ30代半ばだった堺正章だ。

残念ながらこの「天皇の料理番」の旧シリーズは放送後、現在にいたるまでソフト化されていないらしい。しかし調べてみたところ、横浜にある放送ライブラリーで第1回だけではあるが視聴可能だとわかった。この施設は、放送法第169条にもとづく日本唯一の放送番組専門のアーカイブ施設で、一日2時間にかぎってという制約はあるものの(一般利用者の場合。2015年5月現在)、利用者は所蔵されたテレビやラジオの番組やCMを無料で観ることができる。

ちょうど今回のドラマの第1回を見たばかりで記憶のまだ新鮮なうちに、旧シリーズの第1回を見て比較してみたい。そう思い立った私は、この連休中、上京したついでに横浜にまで足を延ばして見てきた。結論からいえば、旧作と新作の第1回を見るかぎり、同じ原作なのにここまで違うかと驚くほどで、両者はまったくの別物と言っていい。いや、篤蔵が鯖江にある陸軍の連隊で田辺という軍人からカツレツを食べさせてもらい、感動したことから料理人を志すようになるというおおまかな筋(これはほぼ史実どおりでもある)は同じなのだけれども、その展開のしかたや人物の細かい設定がまるで違うのだ。なお、第1回では脚本を後年「金曜日の妻たちへ」や「男女7人夏物語」などのヒット作を生む鎌田敏夫が、演出を松竹出身の映画監督で「男はつらいよ フーテンの寅」「ペコロスの母に会いに行く」などの作品がある森崎東が手がけている。

カツレツとの出会いと駆け落ち事件


旧シリーズは、篤蔵が父・周蔵(織本順吉)からむりやり禅寺に入れられ小僧になるところから始まる(ちなみに原作では篤蔵は仏門に自らすすんで入るのだが)。年代でいえば1903(明治36)年と、日露戦争勃発の前年のこと。修業はきつく、兄弟子たちとのケンカはしょっちゅう、修行僧に課された公案(禅問答)にもうまく答えられず住職から喝を入れられる。そんな折、篤蔵は住職に連れられて鯖江の連隊に初めて赴いた。原作やドラマ新作では、篤蔵は寺を破門になったのち養子に入った商家の使いで連隊に初めて出かけるから、展開としてはちょっと早い。

ここで出会ったのが前出の田辺で、ドラマ旧作では伍長の位にある。演じるのは目黒祐樹。現実には主演の堺正章のほうが目黒より一つ年上のはずだが、劇中では篤蔵はまだ10代の少年で、田辺のほうがはるかに年上だ。

篤蔵が訪ねたとき、厨房では将校のための食事をつくっているところだった。そこでカツレツの香ばしい匂いに強い関心を示す篤蔵に、田辺が分けて食べさせてくれた。禅僧に肉食は御法度のはずだが、篤蔵は「わしはまだ半人前だから」と一向に気にしない。そしていざ口にしたカツレツに涙を流して感動するのだった。

それからしばらくして、田辺が事件を起こす。連隊から逃亡し、地元の警察署長の娘・八千代(山口いづみ)と駆け落ちしたのだ。2人を見つけ出すべく、連隊の将兵が総出で捜索が行なわれる。田辺たちは山中に逃げ込むと、寺の近くで篤蔵と遭遇した。かくまってほしいと頼む田辺に、篤蔵は条件をつける。何と、もう一度カツレツをつくってくれというのだ。これには田辺も当初、材料も道具もないここでは無理だと言うのだが、篤蔵が土下座までして懇願するのでついに折れる。必要な品々は紙に書き、連隊で田辺がもっとも信用する部下に言づけて取って来るよう篤蔵に託した。こうして篤蔵は2人を寺の離れの小屋にかくまうと、連隊から道具と材料を取って来て、その場でカツレツをつくってもらう。調理中にはメモをとる熱心さだ。

田辺たちは、カツレツを油で揚げかけたところで小屋を出て行き、篤蔵から教えられた逃げ道へと去って行った。去り際の田辺の「東京に出て修業しろ。おまえなら必ず立派な料理人になれる」との激励に、篤蔵はますます夢を募らせる。

その後、将兵から取り調べを受けた篤蔵だが、拷問を受けても田辺たちがどこへ行ったのか口を割ることはなかった。放免された彼を、兄・周太郎(近藤正臣)が大福を持って出迎えてくれた。東京で法律を学び、篤蔵の味方という兄の役回りは今回のドラマでも変わらない。

この一件で寺から追い出された篤蔵をひとまず落ち着かせようと結婚させることが親族会議で決まる。相手は隣村の呉服屋の娘・トシ子(檀ふみ)だ。先の記事では、ドラマ新作における篤蔵の妻・高浜俊子は原作には出てこないと紹介したが、どうやら俊子はドラマ旧作におけるトシ子を下敷きにしているらしい。もっとも、夫婦の関係はかなり違う。見合いの席でも披露宴でもいがみ合い、初夜では取っ組み合いのケンカをする。見合いのあとで篤蔵が、自分より背の高い女はいやだと文句をつけるのは、檀と堺の身長差を踏まえてのアテ書きだろうか。

そんな2人だが、ケンカをしながらもひょんなことから仲直りして、最終的には結ばれる。ナレーションではその過程が、日露戦争の開戦から戦争の最大の激戦地となった中国・旅順の二百三高地の陥落までの経緯になぞらえられていた。今回のドラマの初夜の場面で、隠喩表現として猫がじゃれ合うカットが用いられていたのとは、これまたえらく違う。

大河ドラマに対抗した時代描写


結婚後、トシ子のおじの傘屋を手伝うようになってからも、篤蔵は料理人への夢を捨てようとしない。ある日、田辺が逃避行先の大阪で憲兵隊に捕まり、持っていた拳銃で憲兵を撃ったあと、自ら命を絶ったとの話を耳にする。これに衝撃を受けた篤蔵はついに決心して、トシ子に一緒に東京へ出ようと持ちかける。しかし彼女は篤蔵のことは好きだが、ここで暮らすのが一番幸せだと涙ながらに拒む。やむをえず篤蔵はある日早朝、ひとり家を出て東京へと向かった。このときホームで汽車を待つ篤蔵の前にトシ子が現われ、夫の頬を叩くとそのまま無言で立ち尽くすのだった。

篤蔵が新橋駅に到着すると、東京の街は日露戦争の勝利を祝う提灯行列でおおいに沸いていた。そのなかで彼は人力車に乗った芸者らしき女とすれ違う。それは田辺と死に別れた八千代だった。そこに「それからの日本の運命が波瀾の運命をたどるように、篤蔵とトシ子、そして八千代も波瀾万丈の人生を送ることになるのであります」との渥美清のナレーションがかぶさる。そんなふうに言われたら、どうしたって次回以降が気になる。はたして3人の運命は、そして第1回には出てこなかった明石家さんまや鹿賀丈史はどのように物語にかかわるのか。この先が見られないのがつくづく惜しまれる。

ちなみに第1回のサブタイトルは「カツレツと二百三高地」というものであった。ちょうどドラマの放送開始の2カ月前、1980年8月には映画「二百三高地」が公開されて話題を呼んでいたから、それにあやかったのだろう。劇中ではまた、ナレーションで1902年の八甲田山での雪中行軍隊の遭難事故を引き合いに出して、そうした時代にあって田辺が軍人としての地位や名誉よりも女を選んだことの特異さが強調されていた。このドラマの3年前に公開された映画「八甲田山」によって、くだんの遭難が広く知られるようになっていたからこその解説といえる。

そのほか、第1回の冒頭ではドラマの始まるのが1903(明治36)年であることから、その年初めて行なわれた野球の早慶戦が記録映像とともにとりあげられるなど、随所にドラマの時代背景に関する説明や描写が登場した。これはおそらく、放送が日曜夜8時だったことから、同じ時間帯のNHKの大河ドラマを意識してのことではないか。

大河ドラマ的な重厚さに、主演の堺正章の演技をはじめ軽妙な味わいを加えたのが「天皇の料理番」の旧シリーズの特徴といえるだろうか。渥美清によるナレーションも、映画「男はつらいよ」での寅さんの口上を彷彿とさせる名調子で、あの時代ならではと思わせる。

原作からかなり奔放に物語をふくらませているのも面白かった。ドラマの軸となる一人である八千代からして原作小説では、警察署長の娘という立場は変わらないが、年齢は篤蔵より一つ年下で、もちろん軍人と駆け落ちしたりはしない。

新たな設定も加えながら原作をふくらませている点は新作も変わらない。繰り返しになるが、今回旧作を見て、放送中の新シリーズが単なるリメイクではなく、同じ小説を原作としたまったく別の作品だということに気づいた。今作ではこの時代にあわせてどんな工夫が凝らされているのか、それをより知るための比較対象として、ぜひ「天皇の料理番」の旧作の再放送なり、ネット配信なりソフト化なりして、もっと手軽に見られるチャンスがほしいところだ。
(近藤正高)

エキレビ!天皇の料理番のあらすじ・レビューまとめ