池澤夏樹=個人編集《日本文学全集》14『南方熊楠 柳田國男 折口信夫 宮本常一』河出書房新社
解題・年譜=鶴見太郎、月報=恩田陸+坂口恭平、帯装画=高木紗恵子。

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池澤夏樹=個人編集《日本文学全集》(河出書房新社)の第1期第5回配本は、第14巻『南方熊楠 柳田國男 折口信夫 宮本常一』。
この巻に収録されたのは、民俗学者の仕事だ。
そして今回は、漫画の主人公だらけの巻だ。

内田春菊 『クマグスのミナカテラ』は熊楠(1867-1941)の話だった。水木しげるは『猫楠』で熊楠を描き、『神秘家列伝』と『水木しげるの遠野物語』に柳田(1875-1962)を登場させた。大塚英志は筑波大学で宮田登に師事したから、柳田のいわば孫弟子で、彼が原作者を担当した『北神伝綺』や『松岡國男妖怪退治』(山崎峰水作画)で柳田の、『木島日記』(森美夏作画)で折口(1887-1953)の活躍を描いた。

日本の民俗学は、日本近代の詩歌や小説と接する形で、いわば併走するようにスタートした。いまでこそ民俗学者は、文学者とはべつのレイヤーで文章を書いているけど、出発点では、おたがいに補い合う関係にあったのだ。
明治末の日本式「自然主義」によって、日本近代の文学が「個人」の心の問題ばかり追うようになっていったのにたいして、「共同体」や「世間」の風習、またそこに流れる人情を書き留めておこうという心情の受け皿となったのが、民俗学だったのだ。
そういうわけで、柳田や折口は各種日本文学全集に収録されることもあったし、その両者とともに宮本常一(1907-1981)も文庫版の《ちくま日本文学全集》で一巻を宛てられている。
では、ひとりひとり見ていこう。

南方熊楠


「神社合祀に関する意見(白井幸太郎宛書簡)」(1912)

他の3人に比べ、明治の知の巨人・熊楠が、いままで文学全集に収録されることはなかったと思う。
「神社合祀に関する意見」は、当時全国の大小の神社を統廃合しようとした政府の方針にたいして、その問題点を整理して訴えた、冷静なのに熱い論争文だ。
世界的に見て突出した菌類学者・宗教学者でもあった熊楠の全貌は、50ページに満たないこの1篇だけではさすがにうかがえない。けれども、その恐るべき記憶力と、その記憶した多数のものごとどうしを結びつける編集思考の強靭さ、そして肚の据わった姿勢はじゅうぶんに伝わってくるだろう。
この勢いのある文語文は、この巻の刊行を機に増刷した中沢新一責任編集・解題《南方熊楠コレクション》の第5巻『森の思想』(河出文庫)でも読める。

柳田國男


『海上の道』より「海上の道」(1952)「根の国の話」(1955)
『雪国の春』より「清光館哀史」(1926)
『木綿以前の事』より「木綿以前の事」(1924)「何を着ていたか」(1911)「酒の飲みようの変遷」(1939)
『俳諧評釈』より「最上川の歌仙」(1947)

日本における民俗学の創始者・柳田國男は、日本近代文学の黎明期に詩人としてキャリアを開始し、若い時分には島崎藤村や田山花袋と行動をともにしていた時期がある。
柳田は若いころ愛知の伊良湖岬で、漂着した椰子の実を見た。このときの彼の土産話に着想を得て、島崎藤村は「椰子の実」を書いて詩集『落梅集』に収め、これはのちに歌曲としてヒットした。
伊良湖岬以来持ち続けた関心は、柳田晩年に『海上の道』としてまとめられた。この著作は、日本文化の一ルーツとして南西諸島をとらえた文化論を集めたもの。その表題作では南島文物の交易を、また「根の国の話」は日本人の異界観を題材に、ロマンチックな想像を広げる。
また「海上の道」と並んで柳田の散文の特徴がよく出ている「清光館哀史」や、『木綿以前の事』収録の諸篇は、失われた、あるいは失われつつある共同体文化を、記憶にとどめようとしている。
記録というより記憶のほうがふさわしいのは、柳田の断言のほとんどが情報のソースを示していないからだ。この特徴のおかげで、柳田の著作は文学作品として楽しめるものになると同時に、実証性を重んじる歴史学者からは学問的な疑義の対象ともなってきた。
最後の「最上川の歌仙」は、芭蕉の
〈さみだれをあつめてすゞしもがみ川〉
(〈すゞし〉ではなく〈早し〉となっている『おくのほそ道』ヴァージョンのほうが有名か)
に始まる歌仙(長短36句からなる連句)を、1句ずつ評釈している。これを含む柳田の『俳諧評釈』は、幸田露伴の芭蕉七部集評釈と並んで、江戸俳諧の手引書として読みやすい。
柳田の文章は読んでいるあいだはなんとなく流れに乗って楽しく進んでいくけど、読み終わると大事な情報が意外に記憶に残っていないことがある。手もとにはなにかこう、陶酔のような気分だけが残っていて、狐かなにかに騙されたような感じがする魔性の文章だ。
なお、ここに一部収録された柳田の著作の全収録作を読んでみたいという人は、『雪国の春』は角川ソフィア文庫、『木綿以前の事』は岩波文庫、『海上の道』は角川ソフィア文庫と岩波文庫の両方で入手可能だ。『雪国の春』角川ソフィア文庫版には、2011年刊だけあって東北の地震を意識した「柳田国男が歩いた東北」という副題がついている。新字の〈国男〉にはちょっと違和感あるなー。
またこれらの著作の全収録作は、古書で入手容易なちくま文庫版『柳田國男全集』でも、それぞれ第1巻、第2巻、第17巻に収録され、『俳諧評釈』全文も第25巻に収録されている。

折口信夫


『死者の書』(1939)
「妣〔はは〕が国へ・常世〔とこよ〕へ 異郷意識の起伏」(1920)
「古代生活に見えた恋愛」(1926) 「わが子・我が母」(1948)
「沖縄を憶〔おも〕う」(1946)
『古代感愛集』より「声澄む春」(1940)
『近代悲傷集』(1952)より「神 やぶれたまふ」

柳田の弟子筋に当たる折口信夫はまた日本古典文学や伝統芸能の研究者であり、さらに歌人・釈迢空(しゃくちょうくう)でもある。詩人でもあり、わずかながら小説も書いた。
中篇伝奇小説『死者の書』は、天武天皇の子で、義母・持統天皇に嫌われ、686年に謀叛の嫌疑をかけられて若くして死に追いやられた大津皇子(おおつのみこ)の物語だ。
葬られて100年ばかりたったあるとき、この世に思いを残した王子は墓のなかで目覚め、奈良の藤原家の郎女(いらつめ)の夢枕に立つ。郎女は夢中の貴人の意志に応えようと、ある行動に出る。僕はこの小説、日本近代小説史上、きわめて重要な物件だと思います。
『死者の書』は『死者の書 身毒丸』(中公文庫)や『死者の書 口ぶえ』(岩波文庫)で読めるほか、古書で入手可能な中公文庫版『折口信夫全集』第24巻にも収録されている。
折口はきわめて空想的な日本文化起源論が数多く書いていて、その中心部分は『古代研究』としてまとめられている。「妣が国へ・常世へ」はその民俗学篇、「古代生活に見えた恋愛」は国文学篇に属する。
「妣が国へ・常世へ」が柳田の「根の国の話」同様に異界論だとするなら、柳田の「海上の道」に対応する折口の沖縄文化論として本書に「沖縄を憶う」が収録されているのはきわめて意識的なチョイスだろう。
柳田の注目が労働や経済現象や自然といったものに向かうのにたいし、折口の思考は政治や文化、そして恋愛にフォーカスしがちな傾向を持つ。文章も対照的。柳田は読みやすく見えてじつはつかみどころがなく、ときに妙に難解なだ。いっぽう折口は読みにくくて呪文じみているけど、とにかく真剣。その真剣さは詩、とくに敗戦を題材とする悲痛な「神 やぶれたまふ」に明らかだ。
前述中公文庫版全集では「妣が国へ・常世へ」は第2巻、「古代生活に見えた恋愛」は第1巻、「わが子・我が母」は第28巻、「沖縄を憶う」は第17巻、『古代感愛集』『近代悲傷集』全収録作は第23巻で読むことができる。

宮本常一


『忘れられた日本人』(1960)より「土佐源氏」「梶田富五郎翁」
『女の民俗誌』より「生活の記録」(1970)

柳田とは逆に、記憶じゃなくて記録のほうに重点をおいたフィールドワーカー、それが宮本常一だ。
宮本もまた膨大な著作をものした。その一部は未來社から著作集としてまとめられているが、死後長らく単行本化されなかったコンテンツもけっこうある。
婦人雑誌に1年間連載された「生活の記録」も、没後20年の2001年になって文庫オリジナル編集の『女の民俗誌』(岩波現代文庫)にようやく収録されたもの。1970年ごろに、そのほんの10年程度前の農村共同体のことを、まるで大むかしの話のように書いている。この10年(1960年代)が日本の農村・漁村にとってどれくらい激変の時期だったかがわかる。
長岡近在の若い嫁が若き十朱幸代主演のNHK長期ドラマ『バス通り裏』(1958-1963)を観て刺激され、そのまま家出して東京で女中奉公していた、なんて、昭和中期ならではの話ではないか。
柳田は個人の恋愛の話はあまりしなかった。折口は恋愛を題材にしたが、ソースが詩歌や演劇だったため、どこかロマンチックな話になりがちだった。
宮本はその空隙をついた。夜這いをかけるだの寝取るだのといったリアルなセックスの話題は、被差別民や非定住民の話題とともに、柳田が必ずしも深追いしていなかった生々しいネタである。
宮本の著作の大部分は、第2次大戦後の高度成長期に書かれた。この時代になると、民俗学も大学制度のなかである程度学問らしさを帯びるようになってくるが、宮本は学術的な場よりもジャーナリスティックな媒体で書きまくった。
『忘れられた日本人』の全文は岩波文庫で読める。この本からここに選ばれた2篇は古老の語りを聞き書き形式で書いたもので、とくに「土佐源氏」のエロ話はもうなんというか、柳田や折口ではまず出てこない、あっけらかんとした「土佐のヤリチン10,000字ロングインタヴュー」なのだ。
〈源氏〉とは、『源氏物語』の主人公・光源氏並に多数の女とかかわった、という宮本のネーミングである。土佐の島耕作か!
僕が宮本の名を知ったのは、俳優・坂本長利が1967年からやりつづけているロングランひとり芝居「土佐源氏」の上演を、高校時代に観たときだった。だから僕はしばらくのあいだ宮本常一を劇作家だと思っていた。
というくらいだから「土佐源氏」については、記録者である宮本が話を「盛った」のではないかと言われる。それくらい「できすぎた」話なのだ。
でも佐野眞一『旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三』(文春文庫)によると、「土佐源氏」のインタヴュー対象(話者)である山本槌造(つちぞう)自身が、宮本にインタヴューされた時点で、話を相当おもしろく「盛って」披露し、宮本もそれを承知で記録した、といったところらしい。宮本にとっては、山本の話の内容の真偽よりも、まずそういう話術が存在しうる共同体のほうが興味の中心だったのだろう。
〈男がみな女を粗末にするんじゃろうかのう。それですこしでもやさしうすると、女はついてくる気になるんじゃろう。
そういえば、わしは女の気にいらんようなことはしなかった。女のいう通りに、女の喜ぶようにしてやったのう〉
土佐の恋愛工学、あなどれないなー。
ちなみに話者は盲目で、〈極道をしたむくい〉で視力を失ったと言う。モテすぎると目が見えなくなるのか?
次回は第6回配本、第20巻『吉田健一』で会いましょう。
(千野帽子)