結局、「張本の外野守備は最低」という評価が定まったのは巨人に入団してからだろう。当時、パリーグの試合は生で見ない限りほとんど見ることはできなかったからだ。

1976、1977、78年のセリーグ、
Gは外野手出場試合数、POは刺殺、Aは補殺、Eは失策、RFは(刺殺+補殺+失策)÷試合数
100試合以上外野を守った選手のRFのランキング。

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張本がレギュラーだったのは3年間。
76、77年は外野手としてリーグ最多出場ながら、守備機会は最小の部類。確かに左翼に飛んだ打球を中堅の柴田がカバーするシーンを何度も見たものだ。失策は年々減り3年目はゼロだが、失敗を恐れて取りに行かなかったからだろう。
フライが上がるとあたふたと駆け寄るシーンは今も目に浮かぶ。

セリーグのこの時期の外野陣は、一目瞭然。山本浩二がずば抜けた存在だった。
守備範囲の広さに加え、補殺数でも突出していた。肩ではチームメイトのジム・ライトルがこれに迫る。また若松や柴田パから移籍した池辺なども上位にいるが、ミスター赤ヘルは外野手としても抜群の存在だったのだ。

それにしてもこのデータを見ると守備率(F%)は少なくとも外野手にとって、何の意味もないことがわかる。