今季、5冠を達成した巨人軍は、来季以降も常勝軍団として快進撃を続けそうだ。V9時代からの歴史を知る、巨人軍の元寮長が主力選手たちを公私にわたって育て上げたことは前号で記したが、指揮官・原辰徳との信頼関係はより深く、長いのである。

若手選手の合宿所「読売ジャイアンツ寮」の寮長として、坂本勇人(23)、長野久義(27)山口鉄也(29)といったVナインを育ててきた樋澤良信氏(62)。現在は寮長職を退いているが、70年にドラフト4位で巨人入団後、選手、スコアラー、コーチとしてチームを支え続けてきた。

 巨人一筋40年。樋澤氏は、この40年の間に入団した、全ての選手を知る貴重な生き証人と言えるだろう。

 そんな樋澤氏が、「最も印象に残る選手」としてあげたのが、現監督の原辰徳(54)である。80年のドラフト1位で入団したルーキーの原が、入団後初めて行った打撃練習で、バッティングピッチャーを務めたのが、当時スカウトとして練習の手伝いをしていた樋澤氏だった。

「あいつは昔から他人の悪口や愚痴を言わないすばらしい人間でした。それに、本当によくモテましたね」

 原にとっても、初めての“バッピー”である樋澤氏は特別な存在だった。

 原が巨人の看板スターとなり、樋澤氏が育成コーチとなってからも深い親交が続いた。樋澤氏は、原が現役時代に迎えた苦難の時期も間近で接している。

「93年に連続20本塁打の記録がとぎれ、オフに落合博満(59)が入団してきた。その焦りもあったのか、翌年の開幕前にアキレス腱を部分断裂したんですよね。原は6月中旬まで二軍生活を送ることになった。コーチだった私は、よく原の相談相手になっていましたよ」

 原のアキレス腱が回復に向かい、一軍復帰が間近に迫った頃、チーム内である事件が起こった。首脳陣は、原をファームの試合に出場させ、実戦経験を積ませるプランを描いていたのだ。

 だが、ルーキーイヤーですら経験していないファームの試合に出場することは、原のプライドが許さなかった。誰よりも原の気持ちがわかる樋澤氏は、ある行動に出たのだ。

「原も納得できなかっただろうし、僕も『スーパースターを二軍の試合に出すとは何事だ!』という思いがありました。その時、私は初めて球団と喧嘩をしたんですよ。その結果、原と須藤ヘッドが話し合いをしたこともあって、そのプランは実現しなかった」

 原の復帰戦となった6月4日の阪神戦。首位を独走する巨人にあって、原の居場所は失われつつあった。用意された打順は7番。かつての4番打者にとって、これほどの屈辱はなかっただろう。

「でも、この試合で原が藪からホームランを打ったんですよ。私はこの試合のチケットを購入し、あえてスタンドから観ていたんです。野球を上から見るのは初めての経験でしたね。どうしても、原がグラウンドに立つ姿を見たかったんです。彼がホームランを打った時は涙が出ました。本人は取材で忙しいだろうから、電話で奥さんに『おめでとうございます』と伝えました」