スカパーで日本戦を見ていたら、イビツァ・オシム氏が、ベスト8進出に不足していたのは「勇気」だと指摘していた。思えば、岡田監督が就任してからの日本代表は「勇気」と「自重」のさじ加減で揺れてきた。

Jリーグ時代の岡田監督は、現実的な勝利を追求するあまり、勇気やスペクタクルに欠けると見られてきた。そしておそらく「やらない」と言っていた日本代表監督を再度引き受けたのも、こうしたレッテルを払拭したかったからだろう。監督人生の集大成として、理想と結果の両立を目指したのだと思う。
 
だがW杯への切符を獲得し、テストマッチで連敗する中で、理想を求めるだけでは難しいことを悟る。高い位置からプレスを仕掛け、その上で華麗なパス回しを貫こうとするばかりでは、世界の強豪国には跳ね返された。結局窮状に追い込まれ、開幕直前には「自重」へと舵を切る。プレッシングゾーンを下げ、固定されてきた人選を見直し、アンカーを用意した。
こうしてイングランドとのテストマッチでは、どんな相手にも簡単には負けないという手応えを得る。それが「本番への道筋」となり、カメルーン戦の勝利、オランダへの善戦を経て、デンマーク戦では引き分けでも突破という状況を築き、会心の試合を見せた。

岡田監督が当初夢見たのは、勇敢なチリのようなチームだったはずだ。しかしW杯本番ではパラグアイに近づくことで、勝ち点6という結果を手にした。従って似た者同士の試合が、第三者には退屈でリスクを最小限に抑え、勝利を求めるより負けないことを主眼としているように映るのも仕方がなかった。

ただしそれでも岡田監督は、最後に勇気を振り絞った。中村憲剛投入という仕掛けは、もう少し早くても良かったと思うが、遠藤ではなく阿部と代えたところに、初心貫徹の意気が見えた。もちろん120分間の中には、いくつかの「たられば」があるが、一発勝負の試合で、どこにどの程度の勇気を示すかは、個々の選手だけでなく、一国の成功体験の歴史が植えつけていくものだ。欧州チャンピオンのスペインとの真剣勝負の機会を逸したのは残念だが、現状では最善を尽くしたと言えるのではないだろうか。

最大の収穫は、国際的に日本の選手たちの質が見直されたことと、Jリーガーでもこうした舞台で戦えることが証明されたことだ。
少なくともユース年代までの比較なら、日本の個々の技術は見劣りしない。技術が見劣りしなくてもサッカーは下手だという指摘もあったが、今回のW杯を通じて、遠藤や中村憲らの質を見れば、そうとばかりは言い切れないことが判った。海外への道が広がり、国内でも国際的な選手が育つ可能性はある。

それだけに重要になるのは、こうした日本の長所をどう生かしていくかという指針だ。そして日本サッカーの方向性や目標を定めるのは、くれぐれも日本代表監督の仕事ではない。トルシエ―ジーコ―オシム―岡田と、監督次第で方向性が変わる。世界の趨勢を十分に掌握していない会長が出てきて、気紛れな一声で監督人事を左右する。こうした茶番には、いい加減ピリオドを打って頂きたい。

ドイツの改革を主導したのは、技術委員長に相当するマティアス・ザマーだった。チリは育成年代までの方向性を全てビエルサに委ねて変貌した。まずは誰が中心になって、日本の未来の航路図を描くのか。そこを明確にして、再スタートを切って欲しいと思う。(了)