豚コレラが発生し、老朽化していた豚舎などを取り壊した兼松さん(岐阜県関市で)

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 終息の兆しが見えない豚コレラ。昨年9月、岐阜市で発生してから4月25日までに22例が発生し、岐阜県で4万1000頭、愛知県で4万5000頭の豚が殺処分された。発生前の飼養頭数のうち岐阜県は35%、愛知県は14%に当たる豚が殺処分された計算だ。農家は豚が消えた畜舎を前に「申し訳ない」とうつむく。豚コレラウィルスがまん延する中、生活の糧を失い、再開も離農も判断できない日々が続く。

収入ゼロ 再起遠く 兼松真吾さん


 岐阜県関市。取り壊した畜舎を前に、兼松真吾さん(56)が険しい表情を浮かべる。「俺は8000もの豚の命を守ることができなかった。今でも情けなさが込み上げる。申し訳ない」

 昨年12月25日から3日間かけて、約8000頭の豚を殺処分し、死骸はまとまった土地に埋設した。年末に向けた多忙な時期に、豚を処分し、埋設する作業を繰り返すために、県職員や自衛隊ら延べ600人に出動してもらったという。多くの人に迷惑を掛けたことに対しても、自責の念を強く感じている。

 殺処分から3カ月が過ぎた今、豚が埋設された土地には卒塔婆を立て掛け、毎日、手を合わせる。傍らでは母親が仏花を供える。

 豚コレラが県内で発生した昨年9月以降、消毒や服の着替え、イノシシよけの電気柵の設置など、神経をとがらせ衛生管理を徹底してきたつもりだったが、「抜かりがあったのかもしれない」と悔やむ。

 殺処分してから、収入は一切ない。農水省が豚を殺処分した農場に対する補償として支給する手当金などは、「生産コストの補填(ほてん)」(兼松さん)で、営農再開には資金問題が横たわる。設備投資した際の借金や、固定資産税の支払いもあるだけに、生活資金が途絶えた痛手は大きい。

 夢を抱き、山を開墾して養豚業に挑戦した父。兼松さんは養豚の収入で大学まで進学させてもらい、獣医師の資格も取得して就農した。職人かたぎの父と時にぶつかりながらも経営を発展させ規模拡大してきた。

 後継者はいないが、ここで離農は考えたくない。豚と共に生きてきた人生。「何とか再開したいという気持ちはある。でも、豚コレラが相次ぐ中で簡単に再開とは言えない。リスクがあまりに大きい」。資金や従業員対策など解決しなければならない問題が山積みだ。

 県内では、養豚農家約30戸が団結してブランド化などを進めてきた。しかし、多くの農家が被害に遭い、残る農家は豚コレラの恐怖と闘っている。「衛生管理基準の順守」を繰り返し、予防的殺処分を検討する農水省に、兼松さんは豚へのワクチン接種を切望する。「みんな力をなくしている。岐阜の養豚農家は捨て石のような扱い。どうしたら豚にワクチンを打ってもらえるのか。このままでは再開できない」とうなだれる。

防疫徹底も「限界」 阿部浩明さん


 4月中旬、鎮魂祭で、岐阜県各務原市の養豚農家、阿部浩明さん(52)が手を合わせる姿があった。阿部さんの農場では、1月末に豚コレラが発生した。ワイヤメッシュを張り巡らせ、対策を徹底してきたが、防げなかった。県養豚協会副会長でもある阿部さんは「夜はほとんど眠れず精神的におかしくなりそうなほど衛生管理してきたが、発生してしまった。県内の養豚農家は衛生対策をやり尽くしている。それでも農水省からは衛生管理が問題だと言われ、農家の責任にされている」と疲れ切った表情を見せる。

 阿部さんには、後継者がいるだけに、早期の営農再開の道を模索するが、豚コレラが続発する中では決断できない。阿部さんは「収入がなく先が全く見えない。殺処分で苦しむ農家も発生していない農家も、我慢の限界を超えている」と窮状を訴える。

 農水省が検討している予防的殺処分については「絶対に反対」と言う。感染リスクのあるイノシシが周囲にいるだけに、再開のめどが全く見えなくなるからだ。

 愛知県田原市の養豚農家、瓜生陽一さん(53)は、全頭を殺処分した養豚団地の一角で経営していた。自身の農場では発生していないが、殺処分に協力した瓜生さんは「再開しても収入を得るまでには時間がかかる。その間の運転資金が足りない」と課題を説明する。