2013年、森脇良太の移籍によって空いたポジションを勝ち取ろうと毎日のトレーニングで必死に戦い、泥まみれになりながら走った塩谷司では、もうなかった。セットプレーであっさりとマークを振り切られ、呆然と立ちすくむ紫の33番。停滞感は明白。しかし、どうすればいいか、分からなかった。
 
 今回のアル・アインへの移籍について、欧州ではないということで違和感を覚える向きもあっただろう。広島が降格圏に低迷している今の時期の移籍についても、賛否はある。だが、プロになるんだという決然たる態度を確立させた父の死以降、初めてといっていい「停滞」に苦しんでいた彼にとって、移籍は必然だった。「優勝争いをしていても、移籍を決断した」という言葉が、その証明である。
「移籍する」「残留だ」「やっぱり行く」。毎日、いや毎分、結論が変わってしまうほど悩み、足立修強化部長や森保一監督、森崎和幸らの慰留に心が揺さぶられた。だが、根本に存在する自分自身の停滞感を打破するには、このオファーを受けるしかない。ましてやアル・アインは広島に対して、設定金額を超える違約金を提示してきた。少しでも広島に恩返しができる。自分自身と向き合い、悩みは消えた。
 
 アラブ世界には日本とはまったく違う文化が存在する。行動様式も習慣もすべてが違う。気候は慣れることができるが、文化を受け入れるのは決して簡単ではない。食事とか住環境とかではなく、「日本とはまったく違う」という現実と向き合うことができるか。それが、アル・アインで成功できるかどうかのカギになる。その難しさは、かつて日本で活躍したブラジル人選手が中東に渡った後、長くその場所でプレーせずに活躍の場所を移すという実例の多さでも証明される。
 
 塩谷司の未来にとって重要なのは、サッカー選手のポテンシャルというよりも、厳しい環境の下でも自分の力を発揮できるメンタルの強さである。その根幹にあるべきなのは、自分の常識とは違う環境であっても受け入れるオープンなマインドだ。
 
 アル・アインへの移籍は、豪快な部分と繊細さが同居している28歳の青年が人間としての力を高め、自身が感じていたマンネリや停滞の感覚を打破してくれるきっかけとなるのか。この移籍がポジティブな影響を与えるのであれば――。胸に広がる巨大な寂寥感を押し殺し、塩谷司という好漢を快く送り出したい。
 
取材・文:中野和也(紫熊倶楽部)