事実上の"移籍宣言"だったFA宣言を終えた、ある日の練習。今江敏晃がグラウンドに出ると、いつも今江を熱心に応援してくれているマリーンズファンの姿が目に入った。

「いつも応援してくれていたのに、ごめんね」

 今江がファンに詫びると、思いがけない言葉が返ってきた。

「なんで謝るの? 私たちは別にロッテだからじゃなくて、今江選手を応援していたんだから。謝らないでくださいよ!」

 11月22日に行なわれたロッテのファン感謝デーでも、今江を待っていたのはマリーンズファンからの励ましの声だった。

「ファンの方から『どこへ行っても応援しているよ』と言われて、ものすごくうれしかったですね。もちろん、なかには『なんで行っちゃうんですか?』という声もあったんですけど、そう思ってもらえること自体が、ありがたいことですからね」

 そして今江は冗談めかして、こう続けた。

「今はもう、『ロッテ戦では打たないでね』とよく言われます」

 PL学園を卒業して以来、14年間所属した球団を離れ、2016年から東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍することになった今江敏晃。日頃からマリーンズへの愛着を公言していた今江のFA宣言は、多くのファンの動揺を誘ったに違いない。

「人生でもこれ以上に悩んだことはないというくらいに悩みました。今までのすべての悩みが小さいと思えるくらいに......」

 11月10日、今江はFA権の行使を宣言。ロッテはFA宣言をした上での残留を認めていないため、事実上の移籍表明となる。今江は会見中に涙を流した。

 その17日後、楽天球団が今江と契約合意に達したことを発表した。契約の決め手になったのは金銭ではなかった。

「立花(陽三)球団社長からは『絶対に必要な戦力』と言っていただいて、星野(仙一)さんからは『ぜひ来てほしい』と。それは自分が一番欲していた言葉でした。野球選手として必要とされるということは、本当にうれしいことですから」

 移籍を決断する経緯について多くを語らない今江だが、裏を返せば「一番欲していた言葉」をロッテからはもらえなかったということなのだろう。そのことを聞くと、今江は苦笑を浮かべて「ご想像にお任せします」と言葉を濁した。

 FA権を行使するか否か、悩みを深める前の10月26日、今江はある会合に出席している。それは2005年のロッテ日本一にかかわった者たちによる「同窓会」だったという。当時監督を務めたボビー・バレンタイン氏も来日し、多くのV戦士たちが旧交を温めた。また、10月26日は10年前にロッテが日本一に輝いた日でもあった。

「なんだか落ち着きましたね(笑)。僕は一番年下と言ってもいいくらいなので、当時は何も考えずに、失うものはない......ぐらいの感じでやっていたので。それを先輩方がサポートしてくれて、すごく頼もしかったし、居心地がよかったです」

 2005年は今江が初めて年間通してレギュラーに定着した年でもある。不振に悩んでいるときはバレンタイン監督がすっと現れ、「お前はいい選手なんだから、自信を持ってやれ。それ以上に言うことはないんだ」と声を掛けてくれた。

 日本シリーズでは8打席連続安打の新記録を樹立して、MVPを獲得。2010年の日本シリーズでもMVPを受賞したが、今江にとって2005年がマリーンズ時代で最も思い出深い年だったという。

「ロッテというチームは基本的に規則もあまり厳しくなく、自由に楽しくやろうという雰囲気があって、それがいいところだったのかもしれませんね」

 チームを去ることになってもマリーンズへの愛情を隠さない今江だが、すでに思いは東北の地に向いている。12月9日の入団会見の直後には、250人の楽天ファンの前で「入団報告会」を行なった。これは今江の入団を受けて、急遽決まったイベントだった。

「球団のいろんな方から『来てくれてうれしい』と言ってもらえたんですけど、それが交渉の場だけのうわべの言葉じゃないんです。球団も若い人が多くて気さくに接してくれて、すごく楽しいです」

 入団報告会では、PL学園の先輩である松井稼頭央からのビデオレターも上映された。入団会見で「新たな歴史の1ページをつくりたい」と抱負を語った今江の言葉を受ける形で、松井は「1ページ目は僕らがもうつくったので、一緒に2ページ目をつくりましょう」と機転の利いたメッセージを送った。場内は楽天ファンの大爆笑に包まれ、今江は「さすが稼頭央さんです。僕は2ページ目をつくります」と破顔一笑した。

 もともと東北には縁もあった。2011年の東日本大震災発生以来、毎年、福島県いわき市を慰問するなど支援を続けていた。その社会貢献活動が評価されて、11月にはゴールデンスピリット賞を受賞している。

「震災が起きたとき、僕は埼玉にいたんですけど、関東にいてあの衝撃でしたから......。ひとりの人間として、あの日の東北の光景は忘れられないし、忘れちゃいけないと思っています。東北という地に何かできることはないかと常に思っていましたし、今回の楽天への移籍というのも、何か縁がつながっているのかなと感じます」

 これから迎える2016年、今江に求められる役割は、2015年のチーム打率.241(リーグ最低)に終わった打線の底上げになる。

 しかし、これまで年間打率3割以上を4度も記録している今江だが、一方で2割5分前後の低打率に終わる年も多々ある。このムラの激しさがアベレージヒッターとしての今江の評価を落としている感は否めない。今江にその原因について聞くと、「それが見えていたら、こんなことは起きていないですよ」と笑いながらも、自己分析をしてくれた。

「自分で言うのもなんですけど、良くも悪くも器用なのが問題なんだと思います。たとえば1試合のなかで4打席あったら、そのときのピッチャーに応じて打ち方を変えますし、それで対応できてしまうので、ガチッとした自分の形というものがつくれない。バットもシーズン中に何種類も使いますし、ひとつのことを貫こうというのは僕には無理だと思うんですよ。和田さん(一浩/元中日)やガッツさん(小笠原道大/元中日)みたいに常に同じ打ち方ができればいいんですけど、僕にはそれができない。そこは僕の長所でもあり、短所でもあると思います」

 2005年に打率.310をマークしてブレークした今江は、続く2006、2007年は2割5分前後と低迷した。2008年には高橋慶彦コーチ(来季よりオリックスコーチ)のアドバイスを受けて、スタンスを極端に広げるフォームに変更すると、打率.309と活躍。「今までよりもボールを下から見る感覚を得て、突っ込むことがなくなった」と手応えを得たが、翌2009年は打率.247と再び下降。以降も今江は絶えず細かな変化を繰り返している。

 2015年は死球を受けて左手を骨折した影響もあり、98試合の出場にとどまった。気がかりなのは、打率は.287とまずまずの成績だったものの、本塁打がわずか1本だったことだ。

「今年は結果を欲しがって、手でパチンと打ちにいくような打ち方でした。でも来年はしっかり振ろうと練習していて、ここまでは近年にないくらい手応えをつかんでいます。かなりいい方向に行っているんじゃないかな」

 一年一年、そして一日一日、変化を続ける今江敏晃。そして今度は環境が大きく変わる2016年に、果たしてどんな変化を見せてくれるのだろうか。興味は尽きない。

 一方で、変わらないこともある。今江といえば、試合中にチューインガムをふくらませているシーンを記憶しているファンも多いことだろう。この習慣は楽天移籍後も継続するという。

「僕は攻撃中と守備中に1イニングで2枚ガムを噛むので、1試合で最低18枚はガムを噛んでいるんです。試合中に風船をふくらませて、パチパチ割ることでリラックスできるんですよ」

 もはや一種のルーティンと化したガム。今江は楽天に移籍しても、これまでと同じように「ロッテ社製」のガムを噛み続けるという。

菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro