13.2.1. アッバース帝国の衰退(九世紀後半) このころ、バビロニアのバグダッド市を中心として東西に広がりすぎたアッバース帝国は統率を失いつつありました。とくに先の第七代カリフ、マアムーンが取り込もうとしたアラビアのシーア派は大きな問題で、アッバース朝は、848年、シーア派の第十代イマームとその息子を首都バグダッド市の近くに軟禁し、支持者たちとの接触を断ち切り、874年には息子の第十一代イマームも27歳で毒殺