借金10億円を抱えたどん底で起死回生の一手になったラジオの仕事。東日本大震災で最愛の妹を亡くし、生家を津波に奪われた日も、淡々とマイクの向こう側にいるリスナーに必要な情報を届け続けた。その不屈の精神を支えた「大丈夫、大丈夫」という母親の口癖は今、生島ヒロシなりの言葉に昇華され、息子たちへと受け継がれていた。【貴重写真】生島ヒロシ、アメリカ留学時代の精悍な“水着姿”やじ馬根性と好奇心、それがエネルギ