『マーシーの薬物リハビリ日記』田代まさし/泰文堂
ライトに描かれているが、内容は深い。明らかに今までの田代とは違う印象がある。

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個人的に“ネットスラング”と呼ばれるものが、どうしても好きになれない。「具体的にどれが嫌い?」と問われたとしたら、この原稿の字数では収まりきらない位にはある。
例えば、「神」なるワード。抜きん出た存在を指す表現だが、その成り立ちと浸透されていった過程を不思議に思う。改めて見ると、称し方としてはあまりにも安易だ。

このネットには、いわゆる「神」的存在が少なくない。その一人として挙げられるのは、田代まさし。刑務所を出所した彼が、3月に“出所報告イベント”を開催したことは記憶に新しい。
実は私も、他媒体の取材で同イベントへ訪れている。数々の事件を経て奇異の目で見られがちな彼だが、私も彼のことは奇異の目で見ていた。とにかく、自分に甘い。我慢が足りない。確固たる意志があれば、薬物を止められるだろうに。
「オレもそう思ってました! でも『ダルク』のプログラムを受けて分かったのは、みーんな同じ『薬物依存症』という病気にかかっているんだってこと。病気だから強い意志や根性があったってどうにもならないんですよ」
田代がこう語るのは、3月に発表されたコミックエッセイ『マーシーの薬物リハビリ日記』(泰文堂)にて。

現在、薬物依存症リハビリ施設「日本ダルク」で生活する田代は、講演会などで“薬物体験者”の立場から薬物の怖さを訴えているという。そんな彼が自身の薬物体験やリハビリの日々を赤裸々に綴っているのが、この一冊だ。
「この本を出すということで、ネット上で『田代が芸能界に復帰』と捉えられていますが、それは僕の本意ではありません。ダルクでプログラムを受けるうちに、自分の回復に何が必要なのかを勉強し、その回復のために必要なのは『仲間たちの手助けをする』、そして『仲間たちと共に歩む』ことだと勉強しました。そして仲間たちの力になるため、薬物に手を出しそうな人の歯止めにするため、この本を出しました」(出所報告イベントにて)

この本、順を追って読み進めていこうと思う。順風満帆な芸能生活を送り、テレビ界で盤石な地位を築いていったかつての田代。しかし日々の仕事で新ギャグを仕込む毎日が、彼の精神を摩耗させていった。これが、盗撮事件につながる。
「でも実は、事件のことはよく覚えていないんですよね。やっぱり当時は芸能界のストレスで頭がおかしくなっていて、あんな事件を起こしてしまったんじゃないかと……」

この時、記者会見で発した「ミニにタコ」発言で余計に叩かれてしまった田代。志村けんらの働きかけによりテレビ復帰を果たすも、カメラを持って共演者を追いかけ回すなど自虐ネタ企画の仕事も舞い込み、悩みは深まるばかり。
「どこまで開き直っちゃっていいんだろう。反省してないって叩かれるんじゃ……。とはいえ番組でおとなしくしてたら『つまらなくなった』っていわれちゃうし……。仕事が減ってる今こそ『やっぱり田代は面白い』って思わせなきゃいけないのに」
そんな時、ある番組ディレクターが「いい薬があるから使ってみない?」と勧めてきたのが、覚醒剤だった。スランプに陥る田代の心に付け入るのは、たやすいものだ。
「うわーっ、何だこれ!? すっごく気持ちイイ! ギャグもどんどん浮かんでくるよ! スゴイ!」
頭はスッキリ、滑舌も良くなり、トークはキレキレに!(なった気分に)
「覚醒剤を使うと脳が覚醒して寝なくても疲れない。もう何でも出来るような気分になって、スーパーマンになったような感覚なんですね」
しかし覚醒剤が抜けると反動で眠くなり、しかも目覚めの気分は最悪に。身体はだるいし、頭は回転しなくなる。
「覚醒剤のおかげで仕事がバリバリできた……なんて思ってるから、トリップするためじゃなくちゃんとするために覚醒剤を使っちゃう」

悲しみのステージは続く。覚醒剤には催淫効果があるらしく、異常に性欲が高まってしまった田代。レンタルビデオ店へビデオを返しに行く途中、不意にお風呂を覗いてしまったのだ。結果、逮捕され、家宅捜索により覚醒剤も発見される。
この時は執行猶予がついて釈放されるも、家族が離れ孤独に苛まれていた田代はヤクザから覚醒剤を手渡され、2年断っていた覚醒剤にまたしても手を出してしまう。再び逮捕された田代は懲役3年6ヶ月の実刑判決を受け、刑務所へ入ることに。

刑務所での生活は、地獄のようだった。だからこそ、その後の決意は固くなる。
「だって薬物のせいで仕事もお金も家族も失って、刑務所に入ってつらい思いをして、これで凝りないヤツはバカでしょ!? 目の前にあっても、もう絶対やりたくないよ!」
しかしあるイベントで、握手会のどさくさに覚醒剤を握らされていることに気付いてしまった。
「わかりやすく言うと、梅干し見るとツバ出ちゃうのと同じような感覚で。物(覚醒剤)を見せられちゃうとまた脳が動いて、スイッチが入って『一回だけならいいかもしれない』と考えてしまうのが薬物の恐さなんです」(出所報告イベントにて)
“薬物の奴隷”へと舞い戻ってしまった彼は、6年断っていた薬物にまたしても手を染めた。そして、二度目の刑務所生活へ……。

そして昨年7月、ようやく府中刑務所から出所。以前は「ヤク中がいっぱいいる施設なんて逆効果じゃないの?」と躊躇していたダルクへの入所も、今回は決意していた。「日本ダルク」代表の近藤恒夫氏は、こう語る。
「覚醒剤の気持ちよさは、一生忘れられないから。WHOや厚生省だって『薬物依存症は薬物使用をやめたくてもやめられない病気だ』って認めてるくらいだからね。自分は薬物依存症という病気だってちゃんと認めて、どういう時にやりたくなるのか、その時はどうやって対処すればいいのか……という病気のメカニズムをちゃんと学ばなきゃダメだよね」

ここで、“出所報告イベント”会見での一コマをご紹介したい。報道陣から、こんな質問が飛んだのだ。「もう二度と薬物に手を出さないと、誓えますか?」。
「何回もみんなの気持ちを裏切った僕が『もう二度とやりません』と言うのは全く信ぴょう性がないですが、ただ、今僕が皆さんの前でできることは、一日一日やめ続けている姿を見せていくことなんだと考えているところです。だから、はっきり『もう二度とやりません』ではなく、一日一日、薬を使わない生活を重ねていきたいなという思いです」

実は「日本ダルク」近藤代表も覚醒剤経験者であり、薬物依存に苦しんだ過去があるという。
「オレだって34年やめてるけど、いつまた使っちゃうか分からないもんね。気持ちよかったもんなぁ〜」
不謹慎な発言ではない。薬物依存からの回復とは、一生やめ続けなければならない“長いマラソン”を走っているようなもの。10年20年とやめ続けることを考えるよりも、今日1日をしっかり生きることが大切なのだ。
「薬物依存は病気なんですが、特効薬が無いんです。だから回復のために色々プログラムを受けていても、『ここで回復しました』っていうのは無いから。その一日一日を積み重ねていくしかない」(“出所報告イベント”にて、田代まさしが)
だからこそ、同じ依存症で苦しむ“仲間”の頑張る姿が勇気になる。田代が講演会に出席するのは、それが目的だ。
「ダルクで回復しようとしている人たちが、田代の姿を見て『自分もああなりたいなぁ』と希望を持てれば。彼はいいメッセンジャーになるんじゃないかと思います。期待してますよ」(“出所報告イベント”にて、近藤氏が)

今の田代に、“芸能界復帰”への思いはないという。出所報告イベントでも「今は、ダルク以外の活動は考えてない。薬物の恐さを伝えるメッセンジャーとしてだったらイベント等にも参加させていただくけど、ただお笑いだけのおちゃらけたものは無理」と断言していた。
しかし一方で、新たな目標も。
「ダルクではなるべく境遇の近い人が集まって共に歩んでいくのがいい……という考えなので、ゲイ向け、ヤクザ向けなど色んなダルクがあるんです。でも、まだ芸能人向けダルクっていうのはないんですよね。薬物を断ち切ろうとしても、有名であるがゆえに売人が近づいてきてしまう芸能人にこそダルクが必要だと思うんです」

今の田代の“夢”は、ダルクのプログラムをしっかりマスターし、「芸能人専門ダルク」を設立することだという。
(寺西ジャジューカ)