楽屋にて、稽古前にストレッチ 稽古開始2時間前には入り、稽古後の2、3時間自主稽古する日々

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今年80歳になる演出家・蜷川幸雄は昨年、香港公演中に倒れ緊急帰国、しばらく入院していたが、退院後ややペースを落としながらも止まることなく演劇をつくり続けている。

いまは藤原竜也主演の「ハムレット」は台湾公演を行ったばかり、5月にはそのロンドン公演が控える。
4月5日からは、次世代の若者たちで構成されたさいたまネクスト・シアターのメンバーとつくる「リチャード二世」が開幕。
さいたまネクスト・シアターは結成から7年、公演のたびに、まるで春、一夜にして桜が咲き誇るような清冽な驚きをもたらしてくれている。
「リチャード二世」も、稽古場で様々なトライを積み重ねてできあがりつつある中、主役・リチャード二世役に抜擢された新鋭・内田健司に密着取材してみた。
「内田けんじ」という監督がいるが、彼は「うちだけんし」と読む。前述の「ハムレット」にも出演、ハムレット亡きあと、次世代を担う王子フォーティンブラスを演じている。この役、これまで蜷川演出ハムレットでは、成宮寛貴、小栗旬などが演じ、それをきっかけに蜷川作品で大役を演じるようになっているという登竜門的役だ。
その役を演じた内田も既に14年の「2014年・蒼白の少年少女たちによる『カリギュラ』」ではカリギュラ、シアターコクーン公演「太陽2068」では前田敦子扮する少女に奇妙につきまとう青年役、香港、パリ公演を行ったさいたまゴールド・シアター「鴉よ、おれたちは弾丸をこめる」でも老人たちの孫世代の青年と重要な役を次々と演じていて、今後に期待がかかる存在。
特に「ハムレット」のフォーティンブラスでは、今までにない動作をして注目をさらった。次世代の王子として颯爽としているのではなく、舞台上で膝を抱えていたり、名台詞をささやき声で語ったりと内向的で、今まで見たことのないものだったのだ。

リチャード二世も、蜷川のアイデアによって、内田の奇妙な生き物的感がますます増幅している。
蜷川は近年のインタビューでよく内田を例に挙げ、線も食も細い内田は戦後の日本人の体のようであり、草食化し欲望があわい現代の若者の代表のようであると語っている。
「ハムレット」の稽古場で挨拶したとき、黒いタートルネックを着た細い肩に、かすかに毛先がかかった内田が、ヴィスコンティの映画に出ているビョルン・ヨーハン・アンドレセンみたいに見えた。
蜷川幸雄に重要な役を託されている内田健司とは、いったいどんな人物なのだろう? 3月中旬、楽屋にてインタビューした。
──いま、稽古中の「リチャード二世」について、今の時点でどう思いますか?
(「リチャード二世」は、公式サイトによると「『ヘンリー四世』『ヘンリー五世』へと続く4部作の第1作となり、ヘンリー・ボリングブルック(後のヘンリー四世)によって退位に導かれるイングランド王リチャード二世の憐れな結末を描いた作品です」とある)
内田 最初に読んだとき、これははたして面白くなるのだろうかと少し不安になったのですが、稽古を進めるにつれて、蜷川さんがひと手間を加えることで、定形から外れた奇妙な感じになってきて、これなら面白いと確信がもてるようになりました。むしろ、このやり方しかないように、いまは感じています。自分の役リチャード二世に関してはまだ自分の中で収集がついてなくて・・・。稽古で作り上げていっているところです。稽古前に自分で考えてやってみるのですが、蜷川さんのアイデアが圧倒的なんですよ。
(本格的稽古に入る前のプレ稽古直前に、さいたまゴールド・シアターもほぼ全員参加が決まり、プレ稽古の3日目に、いきなり冒頭であっと驚くアイデアが提示された。蜷川は台本を何度も見返し書かれたことを厳密に形にしていくのではなく、台本からもっとイメージを増幅させるように稽古をする。稽古場の空間に絵を描くように、俳優やスタッフたちにアイデアを提示しながら、彼らを動かしていく。次々にいろいろなアイデアが出てきて、目が離せない。
シェイクスピアは「ハムレット」「ロミオとジュリエット」「マクベス」「リア王」などは有名だが、「リチャード二世」は馴染みのない人も多いだろう。だが、
たとえ物語としていまひとつピンとこなくても、蜷川の「リチャード」を見ると、ビジュアル的に刺激があり、感覚的に強烈に伝わってくるものがある)
──今日、クライマックスの場面の稽古で、蜷川さんに「服脱いで」と言われて、脱いでいました。内田さんは「カリギュラ」でも「太陽2068」でも脱いでいて、蜷川さんは以前「彼は脱ぐのが平気なんだよ」とおっしゃっていました(笑)。平気なんですか?
内田 ええとですね・・・ぼくはとりわけ露出狂的な性格ではないです(笑)。稽古でのぼくは、きわめて危機的な状況に立たされているんですよ。いや、ぼくだけでなく、出演者もスタッフもみんなそうだと思います。誰もが必死で想像力を駆使して戯曲を体現し、それを蜷川さんに厳しくジャッジしてもらっているので。自分の演技や人間性を全否定されることを死とすれば、脱いで芝居が成立するなら脱いだ方がいい。どんな人でも、死ぬか脱ぐかって状況に立たされたら、脱ぐことを選ぶと思うんですよ(笑)。
──ああ、なるほど。フォーティンブラスも稽古で観たときは、甲冑を着ていたのに、白いシャツや裸で・・・
内田 それも途中でガラッと変わりました。
──声もささやくような声で。蜷川さん、従来のイメージを覆しました。ささやき声でも、ちゃんと客席いっぱいに届かせることが重要なのだと蜷川さんがゲネのときにおっしゃっていました。声を張らずに、ちゃんと聴こえる技術は鍛えているんですか?
内田 それまで、ぼくは、小さい空間でやっていたので、ささやき声でも大丈夫だったのですが、大ホールでのささやき声では、物理的に壁にぶつかりました。毎公演、演出補や演出助手の方に、聴こえたところと聴こえなかったところをチェックしていただきながらやっていました。
──5月にはシェイクスピアの本場イギリス公演で、どう受け止められるか楽しみですね。
内田 そうなんですよね。

──さいたまネクスト・シアターに入ったのはいつですか?
内田 2011年です。
──11年から今までで、蜷川さんの言葉で大事にしているものを教えてください。
内田 たくさんありますが、ネクスト・シアターに入ったばかりの頃に聞いて特に印象に残ったのは、「気にして、気にしない」。何か問題が起ったときに、悩むけれど、結局は問題すら抱えて生きて行くしかないんだよな、と思わされ、今でも大事にしています。最近だと、「世界は自分からしかはじまらない」というもの。結局、どんなに広い世界に向かって歩いていくにしても、その道は自分からしかはじまってないのだから、まず自分がなにかしないといけないんだってことを大切にしています。
──そういった言葉を胸に、いま、具体的にどんなことをしていますか。
内田 いま、「リチャード二世」の稽古中で、「カリギュラ」のときはそんなことは考えなかったのに、今期は、これは大変だ、ぼくには無理だよ・・・と思ってしまうことがあるんです。ですが、たとえそう思ったとしても、いや、無理じゃない、「私がリチャードをやります」という顔で、この(楽屋)ドアから出ることを心がけています(笑)。で、誰かに会ったら、以前は目を伏せていたけれど、いまは平然と「おはようございます」と言う。そういうことをちゃんとやろうと思っています。
──変化しているのはいいことです。
内田 心の中で思っていたことを、実行できるようになったんですね。
(インタビュー後編に続く)

うちだ・けんし 1987年生まれ。2011年、さいたまネクスト・シアターのオーデイションに合格。「2012年・蒼白の少年少女たちによるハムレット」「2013年・蒼白の少年少女たちによる『オイディプス王』」「ヴォルフガング・ボルヒェルトの作品からの九章ー詩・評論・小説・戯曲よりー」
「2014年・蒼白の少年少女による『カリギュラ』」「太陽2068」などに出演。

[公演情報]
「リチャード二世」
演出 蜷川幸雄
作 ウイリアム・シェイクスピア
訳 松岡和子
出演 さいたまネクスト・シアター さいたまゴールド・シアター
彩の国さいたま芸術劇場 インサイド・シアター(大ホール内)
4月5日〜19日

初日はすでに完売。急げ!

(木俣冬)