「ユリ熊嵐」5話「あなたをヒトリジメにしたい」。銀子の妄想と「スキ」が爆発する回でした。

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月曜深夜アニメ「ユリ熊嵐」(TOKYO MXほか)5話「あなたをヒトリジメにしたい」では、銀子の「スキ」が描かれた。

椿輝紅羽の家に(むりやり)引っ越してきた百合城銀子と百合ヶ咲るる。2人は紅羽の「友だち」になろうとするが、紅羽はかたくなな態度を崩さない。紅羽にとっての「友だち」は、消えてしまった泉乃純花だけなのだ。
嵐が丘学園での紅羽は、変わらず「透明な嵐」に巻き込まれていた。紅羽のクラスからはクラスメイトが次々と姿を消しているが、それがまるで紅羽のせいのように語られている。
「私に近づくと不幸になる。今聞いた話、本当よ。『透明な嵐』に巻き込まれるわ」「私と『友だち』になれば、あなたたちも『排除』される。それがこの群れの掟」
クラスの中心人物である百合園蜜子も鬼山江梨子もいなくなった教室。ボーイッシュな外見の針島薫が紅羽と接触してくる。
「今朝、みんなで話し合ったんだけど、私たちが間違っていたわ」「私たち、これまで本当にひどいことをしたと思う」「だから、償いたいの。あなたと泉乃さんに」
突然の態度の変化。それは本心からのものなのだろうか、それとも……?

「私はもう一度、紅羽と『友だち』になりたい。紅羽の『スキ』がほしい。そのために壁も越えた、るるも巻き込んだ」
4話では、るるの過去が寓話調に語られた。そして5話では、銀子の過去が断片的に描かれている。銀子の持っているペンダントは、紅羽の母・澪愛が17歳の誕生日に箱仲ユリーカからもらった「スキ」の証。どうやら紅羽と銀子(クマ)は昔は友だちで、銀子は「スキ」をもらっている。しかし紅羽は銀子のことを忘れてしまっているらしい……。

「ユリ熊嵐」の「スキ」は、幾原監督の前作「輪るピングドラム」に似ている(ちなみにBD-BOXが2月4日に発売される。バンダイチャンネルでも全話視聴可能)。最終回にこのような台詞がある。
「君と僕はあらかじめ失われた子どもだった。でも世界中の殆どの子ども達は僕らと一緒だよ。だからたった一度でもいい、誰かの『愛してる』って言葉が必要だった」
「たとえ運命が全てを奪ったとしても、愛された子どもは、きっと幸せを見つけられる。私たちはそれをするために、世界に残されたのね」
「輪るピングドラム」で描かれた「愛」は、強いエネルギーを与え合うものだ。

「ユリ熊嵐」の「スキ」は、「愛」と同じく強いエネルギーであることには変わりはない。けれど「愛」よりもエゴイスティックな面も描かれている。恒例となっているユリ裁判で銀子はライフ・クールからこのように問われる(どうやら、銀子とるるの2人は、ほかのクマとは違い、ヒトを食べるために裁判を受けなければならないらしい。そして食べる相手も「透明な娘」でなくてはならないという制約もあるようだ)。
「あなたの望みは何ですか? 椿輝紅羽を守る? それは口実に過ぎない。実のところ、あなたは椿輝紅羽を自分一人だけの『友だち』にしたいだけなのではありませんか?」
「スキ」は一方的なもの。「スキ」だからといって、「キス」が返ってくるわけでもない。「スキ」を諦めなければ、誰かの「スキ」に応えてあげられなくなるかもしれないし、「排除の儀」だって引き起こす。
紅羽・銀子・るるの3人を通して、「スキ」の強さと脆さが描かれていく。

そろそろ折り返し地点にきている「ユリ熊嵐」。2月8日には1話〜5話振り返り+6話先行上映会が角川シネマ新宿で行われる(声優陣によるトークイベントもある)。
抽象的な表現のために、「わからない」「難解」という評価もされているこの作品。しかし、「演劇みたいなものだ」と考えるとわかりやすくなるかもしれない。
「少女革命ウテナ」コンプリートCD-BOXのブックレットで、幾原監督は(影響を受けた)寺山修司の舞台について次のように語っている。
〈寺山さんの舞台は、風俗や現実、現在を切り取って、物語をアイロニーとして用意して、いろんなディテールをメタファーとして出すじゃない〉
寺山修司が亡くなって30年。
寺山のあとを引き継ぐJ・A・シーザー率いる万有引力は、さらに抽象度を上げた観念的な──「アニメ的」でもある──舞台を今も作り上げている(1月29日から2月1日にかけて「身毒丸」が上演された)。
幾原監督はアニメを作っている。「少女革命ウテナ」「輪るピングドラム」、そして「ユリ熊嵐」。

(青柳美帆子)