「獄に咲く花」DVD  SHOCHIKU Co Ltd
古川薫の短編小説「吉田松陰の恋」を原作とした映画。吉田松陰役の前田倫良は舞台を中心に活躍する俳優で、同じく幕末の長州人を描いた映画「長州ファイブ」では遠藤謹助を演じている。
なお、この映画で野山獄の囚人の一人、河野数馬を演じた本田博太郎は、「花燃ゆ」でも同じく野山獄の囚人で、出獄後には松陰の協力者となる富永有隣を演じる予定だ。富永は実在の人物で、司馬遼太郎の小説『世に棲む日日』では《いやな男だったらしい》と、そのねじくれたキャラクターが紹介されている。
吉田松陰を主人公とした映像作品には本文でとりあげた作品以外にも、1991年に日本テレビで放映された「炎のごとく 吉田松陰」(風間杜夫主演)がある。

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今年のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」は、幕末の長州(現在の山口県)を舞台に、吉田松陰の妹・杉文(すぎふみ。後年の名前は楫取美和子)の人生を描いたものだ。本作のように女性の視点から描いたものは珍しいとはいえ、松陰はじめ幕末の長州藩の志士たちをメインに据えた作品は、小説にもドラマ・映画にも数多い。今回はそのうちとくに映像作品を2週に分けて紹介したい。前編はまず松陰をメインとしたドラマと映画について。

■好対照な師弟関係を描く――テレビドラマ「蒼天の夢 松陰と晋作・新世紀への挑戦」
NHKではいまから15年前の2000年に正月時代劇として、司馬遼太郎の長編小説『世に棲む日日』(文春文庫)を原作に吉田松陰の生涯を描いたドラマを放送している。それが「蒼天の夢 松陰と晋作・新世紀への挑戦」だ。サブタイトルにある「新世紀」は、20世紀最後の年にちなんだものだろう。現在はDVDがリリースされているほか、NHKオンデマンドでも今年6月3日まで有料配信中だ。

ドラマは、1864年の幕府による第一次長州征伐のあとで起こった長州藩内の内戦のシーンから始まる。この内戦は、幕府に恭順する藩の守旧派に対し、それを打倒するべく奇兵隊をはじめ藩の民兵隊が決起したことから勃発した。物語は奇兵隊の創始者・高杉晋作が戦火のなか、恩師である松陰について隊員たちに語り聞かせる形で進められる。松陰はその5年前、いわゆる「安政の大獄」で幕府に捕えられ、処刑されていた。

本作では高杉に野村萬斎が、松陰に中村橋之助が扮した。萬斎は、藩士でも高い位の家に生まれた高杉の鼻持ちならない感じを見事に演じている。これに対し、橋之助演じる松陰は、飄々としてとらえどころがない。また心優しくも、人の性格をずばりと見抜く鋭さを持っていた。当初、松陰が松下村塾で身分に関係なく学問を教えることに反発していた高杉だが、松陰と接するうちにその人柄に魅せられ、先生と仰ぐことになる。決定的だったのは、松陰から「僕はまっすぐにしか物にぶつかれないが、高杉君は違う。さえぎるものを横から押したり斜めから揺さぶったりして、前に進む力があるようです。世の中を本当に変えていくのは、君のような柔らかい知恵の持ち主だ」と言われたことだった。

上記の言葉どおり、このドラマでは松陰はどこまでもまっすぐな人物として描かれる。タイトルに掲げられた「蒼天」とは、「雲が出ても雨が降っても、そのうえには青空が広がっている。真の天の姿が青空であるように、人間の本来の姿は善である」と説明する劇中の松陰の言葉からとられたものだ。結果的に松陰はそのまっすぐな性格ゆえ捕えられるのだが、処刑を前にしても「厚い雲のうえには青空が、蒼天があります」と、面会に来た高杉に自らの遺志を託そうとする。

松陰ら幕府に批判的な人物を弾圧したのは、ときの大老・井伊直弼である。「蒼天の夢」には井伊は出てこないが、今回の「花燃ゆ」では高橋英樹が演じる。高橋は「蒼天の夢」では長州藩主・毛利敬親を演じているからややこしい。

「花燃ゆ」の主人公である杉文は、「蒼天の夢」にも登場する(演じるのは林真理花)。ドラマでは文と松下村塾門下の久坂玄瑞(演じるのは関口知宏)との結婚式の様子も出てくる。後年の高杉の回想では、その結婚式の晩に松陰が高杉に語った言葉が、奇兵隊の結成につながったものとして語られている。

「蒼天の夢」には、文だけでなく、松陰の母の杉瀧(演じるのは十朱幸代)と、女性も何人か重要な役で登場する。天海祐希が演じた高須久子もその一人だ。久子は、松陰が松下村塾を開く前、アメリカへの密航をくわだてた罪で収監された長州・萩の野山獄で出会った囚人である。劇中では、久子が獄中において松陰の精神的支えとなったことが描かれ、松陰の出獄時に彼女が贈ったあるものは物語の展開上、小さからぬ役割を担っている。松陰と久子については、2人の関係に焦点を絞った映画もある。それが次に紹介する「獄(ひとや)に咲く花」(石原興監督、2010年)だ。

■松陰、獄中での恋の行方――映画「獄に咲く花」
先に書いたように、松陰は密航をくわだてた罪で野山獄に入った。武士身分の監獄である野山獄で、囚人たちは刑期を定められず、生きて出られる者はいないとまで言われていたという。だが一方では、囚人たちは獄内を自由に行き来し、互いに話をすることも許されていた。松陰が獄中で、孟子の教えについて講義したり、ほかの囚人から書や俳句を学ぶことができたのも、そんな環境のおかげだった。劇中では、囚人同士の交流のなかで、松陰と久子も親しくなる。

「獄に咲く花」では、脚本家や詩人としても活躍する近衛はなが久子を演じている(ちなみに近衛の父親は、同作で野山獄の司獄官・福川犀之助を演じる目黒祐樹だ)。「蒼天の夢」の久子は、演じるのが天海祐希だけにきっぷのいい、健康的な印象さえ感じさせたのに対し、近衛の演じる久子はどこか謎めいて陰りがある。松陰に対しても最初のうちは心を開かず、自分が収監された理由もなかなか明かさない。

松陰のキャラクターも、「獄に咲く花」と「蒼天の夢」ではちょっと印象が違う。「蒼天の夢」で中村橋之助演じる松陰には、まっすぐで純粋ではあるが、立場的にも精神的にも大人だという印象を受けた。それに対し、「獄に咲く花」で前田倫良の演じる松陰は終始、悩み続ける。ともに捕えられながら、脱藩浪士という身分ゆえ別の監獄に入れられた弟子に向かって叫んでみたり、自分の考えと現実とのギャップに思い悩むがあまり、壁に頭を打ちつけたり絶食してみたりもする。その姿は青年そのものだ。肖像などを見ると老けたイメージのある松陰だが、満年齢でいえば20代のうちに亡くなっているのだから、この映画の描写はけっこう現実に近いのではないか。

高須久子は実在の人物で、明治維新とともに野山獄を出されたという。「花燃ゆ」では井川遥が彼女を演じる予定である。「獄に咲く花」で描かれているように、恋仲にあったとも憶測される松陰と久子が今回の大河ドラマではどんなふうにとりあげられるのか、気になるところだ。なお、「獄に咲く花」の原作小説は「吉田松陰の恋」という、そのものずばりのタイトルだった(旧題は「野山獄相聞抄」。新潮文庫の末國善己編『吉田松陰アンソロジー 志士』などに所収)。その作者の古川薫は下関出身・在住の作家で、同作以外にも、幕末から維新にかけての長州人たちを主人公にした小説を多数手がけ、『松下村塾』(講談社学術文庫)というノンフィクションも著している。

「獄に咲く花」を製作したグローカル・ピクチャーズは、下関を拠点とする映画製作会社だ。同社がこの作品の前に手がけた第1作は、やはり幕末の長州の若者たちを描いた「長州ファイブ」(五十嵐匠監督、2006年)である。タイトルの長州ファイブとは、1863年に長州藩がひそかにイギリスに派遣した5人の留学生を指す。松下村塾で松陰に学び、のちに初代内閣総理大臣となる伊藤博文(留学当時の名は俊輔)は、その一人だった。

伊藤はロンドン滞在中に、欧米列強による長州攻撃を知り、のちに初代外務大臣となる井上馨(聞多)とともに帰国する。このときイギリスにとどまった残る3人、遠藤謹助・井上勝(野村弥吉)・山尾庸三はそれぞれの分野で研鑽を重ねた。そして帰国後は、遠藤は大阪造幣局長として近代的貨幣制度を日本に導入、井上は鉄道建設で中心的役割を担い、山尾は工部大学校(現・東大工学部)を設立し、近代日本の工業化に貢献した。映画では、松田龍平演じる山尾にとくにスポットを当て、彼が技術習得のため造船所で働くのとあわせ、聾唖の女性との交流を通じて手話を学ぶ様子も描かれている。きっかけが女性であったかどうかはともかく、山尾が日本初の盲聾唖学校の設立にも尽力したことは事実だ。

このように政治のみならず、あらゆる方面で日本の近代化に尽くした人物を輩出したことに、幕末の長州という藩の層の厚さを感じる。司馬遼太郎の同名小説を原作とした1977年のNHK大河ドラマ「花神」も、そんな長州人の群像を描いたものだった。これについては次回でくわしく紹介したい。
(近藤正高)