■初任給1000万円はザラという世界

私は2000年からシリコンバレーに在住しているのですが、最近の状況を一言でいうと“バブル”です。

ソフトウェアエンジニアの給料がうなぎ上りで、特に若くて優秀な人材の獲得競争が激しくなっているんです。たとえば一流大学の情報科学・情報工学を卒業した学生なら、初任給が800万〜1000万円というのはザラ。修士・博士までいった人なら、さらに数百万円ずつが上乗せされます。

最近では青田買いが進み、インターンシップ生に60万円以上の月給を支払い、住宅と通勤の足まで会社が提供するのがインターンの“当たり前の条件”になってきました。グラスドアという情報サイトによると、全米のインターン月給トップ10のうち、IT関係でないのはエクソンモービル1社だけ。ほかはすべてシリコンバレーの企業でした。インターンでこれですから、正社員なら2000万〜3000万円プレーヤーはそこら中にいます。

オンライン決済サービス「ペイパル」を創業したピーター・シールというベンチャーキャピタリストは、20歳以下の起業家の卵20人に10万ドルを出す「シール奨学金」を11年に始めたのですが、その条件は「大学を中退すること」。高校生や中学生をインターンとして採用する企業も出てきていて、エンジニアの獲得競争はどんどん低年齢化しています。

背景には、エンジニアは年齢に関係なく、ソフトウェアのコードが書ければそれでいいという職種であることが影響していると思います。このままいくと、ベンチャーキャピタルが幼稚園の前でビラを配る日がくるんじゃないか、なんて冗談も飛び交うほどです。

給料だけでなく、待遇も破格です。食事はすべて無料、自宅から会社までのWi-Fi付き高級送迎バスあり、というのはもはやスタンダード。「オフィス内ヨガ」「ジム併設」「健康保険100%負担」などもなんら珍しくありません。冷蔵庫には無料のドリンクがあふれ、キッチンには無料のおやつが山積み。エンジニアは、なぜか食べ物に弱いんです。

グーグルは毎週40〜50人も社員を採用していて、入社オリエンテーションは毎週行われています。これはグーグルだけでなく、シリコンバレーの企業ではもう慣習になっていて、中国系米国人の私の夫も最近転職したのですが、入社オリエンを受けた翌週のオリエンで、新入社員向けのスピーカーをやったと言っていました。

エンジニアはリクルーターから連絡が殺到するのが面倒なので、会社を辞めてもあまり大っぴらにはしません。

私は日本のバブル時代も新入社員時代に少しだけ経験していますが、雰囲気としてはそれ以上です。

■2000年のITバブル崩壊で街は失業者だらけに

元々シリコンバレーは、景気の波が非常に大きい地域です。そもそもアメリカがそういうお国柄ですが、その中でもシリコンバレーは特に激しい。

00年ごろに起きたITバブルでは、盛り上がり方もすごかったのですが、はじけた後の落ち込み方はすさまじかった。引っ越しに使うレンタルトラックがシリコンバレーからなくなった、と言われるくらい、出ていく人が続出。失業者が街にあふれて、年単位で仕事がない、という状況で、自転車でもこぐか、と失業者がチームを組んでそこら中で走ったりしていました。

それからしばらくは低空飛行が続いたのですが、10年くらいからアーリーステージのベンチャー企業の動きが活発になってきたんです。その大きな要因となったのは、インターネットユーザーの爆発的な増加です。新興国や途上国でもネット環境が当たり前に整うようになり、スマートフォンも普及。その中で、空き部屋シェアサイトのAirbnbや、タクシーの配車サービスのウーバーなどが登場しました。

ネットがインフラとして定着したことで、起業するコストも驚くほど下がり、ベンチャー企業が激増。しかも、サービスが当たれば、あっという間にユーザーが数十万人という規模になり、大成功してしまう。実は、メガベンチャーが華々しく躍進する裏側では、圧倒的な数の負け組が存在するんですが、ともあれ一部の勝ち組は優秀なエンジニアをガンガン採用していきます。そこで給料は二の次、とにかく採用しろ、という流れになっています。

その一方で、エンジニアなら誰でもいいというわけでもありません。優秀な人とそうでない人の差はとても大きい。優秀でない人はいるだけで足を引っ張るので、いないほうがマシ、みたいなところもあるんです。だから、一部の有能で若いエンジニアをめぐり、激しい獲得競争になってしまう。

私は、19世紀の産業革命に次ぐ、“ソフトウェア革命”がいま起きていると思っています。ソフトウェアによって世界中でいろんな仕事が機械に置き換えられてきている。シリコンバレーはその中核地です。

ソフトウェアエンジニアは「自動化する側」で、ほかの仕事、特にサービス業やブルーカラーは「自動化される側」。自動化される側は職を失う危機にさらされる一方、自動化する側は巨万の富を手にする時代です。それがいま世界で起きていることだと思います。

■優秀なのは学歴イマイチでも大手で活躍する人

シリコンバレーでは、バブリーな雰囲気の一方、危機感を常に抱えています。ITバブル崩壊のときは、ヒューレット・パッカードが世界で4万5000人もレイオフしました。カリフォルニア全域でみても、テクノロジー関係に従事していた人のうち、約半分が失業という惨憺たる有り様でした。

その恐怖心がいまでもある、というわけではないでしょうが、自分の能力をどんどんアップデートしないと、世間で重宝されなくなったら終わり、という空気があります。なので、働く職場を選ぶときに、常に最先端の技術や製品に触れられる仕事であることを優先するエンジニアは非常に多いですね。

企業が優秀なエンジニアを採用するためには、大きく3つのことが必要です。将来性が感じられる魅力的な事業内容であること、エンジニアの専門性を活かし、さらに新しい技術を学べるような製品を開発していること、最後に冒頭に言ったような高給与、高待遇であること。この3つがそろっていないと、なかなか採用できないですね。

でも、仮に採用しても、在籍期間は3年程度ということが多い。それで元がとれるのかと思うかもしれませんが、シリコンバレーでは一般に、18カ月いてくれたら元は十分とれる、といわれています。6カ月だと赤字、12カ月だとトントン。2年もいると、「根気のある人」という評価になります。

特に若い人だと、最新のモバイル機器をどう使うのかなど、いてくれるだけで開発のヒントになることが多い。たとえ短い期間でも、在籍してくれることのメリットは大きいんです。

そんなシリコンバレーですが、実はけっこう学歴社会なんです。新卒で就職するためにはやっぱり一流大学卒でないと難しい。一流というのは、ハーバード大などのアイビーリーグクラス。最低でもクリアしてほしいのは、カリフォルニア大学クラスかな。日本でいうとMARCHぐらいのレベルでしょうか。でも、やっぱりアイビーリーグクラスがいいという人は結構います。

学歴がないと、最初の仕事を始めるためのスクリーニングを通れないんです。逆にいうと、キャリアをスタートさせられれば、その後は、学歴は関係ありません。そこでの実績や、周囲の評価が高ければ、人の紹介でいろんな会社へ行けるようになります。

シリコンバレーでは、人を採用する際は必ずリファレンス・チェックを行います。求職する側が、これまで一緒に働いていた人たちの連絡先を、数名分応募先の会社に提示し、会社がその人たちに連絡して、求職者本人についての評価を聞く、というものです。

本人が伝えてきた連絡先なんだから、その人に都合の悪いことを話すはずない、と思うかもしれませんが、さにあらず。人間そうそう嘘はつけないもので、直接聞くとその人がどんな人柄で、どれくらい能力があるか、わかるものなんです。だから、上司や同僚の評価はすごく大事なんですね。

ベンチャーで働いたり、起業した経験があったりすることも強みになります。指示がなくても自分で考えて動くことができ、目まぐるしく変わる技術革新にもついてこられるスピード感を持つ人だと評価されるんです。

ちなみに、私が履歴書を見て「この人は優秀だろうな」と感じるのは、学歴はそうでもないのに、グーグルやアップルなどの大企業、注目されているベンチャーなどで働いた経歴がある人ですね。それだけ周囲から能力が評価されている、ということだからです。

あと、シリコンバレーの企業は大体役職が同じなんです。肩書のないヒラ社員から始まって、マネジャー、ディレクター、シニアディレクター、バイスプレジデント、シニアバイスプレジデント、といった具合に上がっていきます。日本の役職でいうと、ディレクターが課長、バイスプレジデントが部長ぐらいでしょうか。これは人事システムをつくっている会社が複数の企業を顧客にしているので、似通ったものになりやすいんですね。

でもそのおかげで、会社を渡り歩いていても、一つの昇進システムを上っていくような形になる。シリコンバレー自体が一つの会社、というような形態になっているんです。

■日本企業は“ならでは”の強みを専門化せよ

ここまでシリコンバレーについて話してきましたが、よく聞かれるのは「日本も見習うべきではないか」という議論です。私としては、中途半端にシリコンバレーの真似をするのは意味がない、という意見です。

やるのなら、評価システムから人事制度まですべて変える必要があるでしょう。それこそ社員すべてを3年契約に変えて、その代わり年収何千万円、みたいなことをしないといけないと思いますが、それもシリコンバレーがイノベーションこそすべて、みたいな空気で統一されているから可能なこと。日本でそこまですべてを変えるのはきっと難しいでしょう。

日本企業には少量のロットで精度の高い製品をつくるとか、日本企業ならではの強みはあります。よその真似ではなくて、すでに日本にある素晴らしいものをさらに専門化して、日本流のイノベーションを起こせばいいのではないでしょうか。

(Blueshift Global Partners社長 渡辺千賀 構成=衣谷 康)