『悼む人』〈上〉 (文春文庫)天童荒太
「家族狩り」を読んだらこれも。

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凄惨で目を背けたくなるような出来事が次々と起こるドラマ「家族狩り」(TBS金曜22時〜).最初は、視聴者がドン引いたのか、視聴率が芳しくなかったが、後半、7、8話にきて、こわいものみたさなのか、伊藤淳史演じる教師と生徒の珈琲とレーズンパンの泣けるエピソードが利いたのか、視聴率が上向いてきた。
9話で「人はやり直せる」と刑事・馬見原(遠藤憲一)が言っているが、まさにそれを地でいっているので説得力がある。
残酷シーンに慣れたのもあるだろうし、そこに意味があることも賢明な視聴者は理解しているからだろう。伊藤演じる巣藤先生に執拗に迫っていた「私生むから女」の怨念から解き放たれたことも良かったのかもしれない。

なにより、画面のクオリティーが高く、満足感がある。
9話の、家族を「送葬」するシーンの、過去と現在取り混ぜ各種はどれも壮絶だった。
息がつまる。それから、動機息切れがはじまる。でも、目が離せない。これ、撮るときも、かなりの精神状態だったのではないかと思う。

この家族が惨殺される一連の事件の犯人は誰か? ということが、このドラマのはじまりだったわけだが、9話ではその犯人が判明した。

8話でおおよその見当はついていたわけだが、馬見原(遠藤憲一)の見立てーー氷崎游子(松雪泰子)ではなく、彼女の相談相手でもあった山賀(財前直見)と、シロアリ駆除業者の大野(藤本隆宏)が共謀して、家族を葬送する活動を行っていたのだ。
山賀は、自分たちが「送りだしてるのはほんとうに末期のご家族だけ」と平然と言うが、そんな勝手な判断で・・・と游子は慄然となる。しかも、駒田(岡田浩暉)も実森家も、やり直せそうな光明が見えてきた矢先だったのだから。

山賀の家の中にある、おびただしい数の白い折り鶴が天井からつり下げられた
部屋や、ロウソクがずらっと灯されてる(留守のときは危ないだろ)廊下、拉致した游子に提供される美味しそうな有機野菜と有機卵の食事など、どれもこれもが恐怖でしかない。当然、游子は食事をとらない。とれないよね。うん。

自分たちは正しいと思い込んでいる人たちの行為ほど厄介なものはない。
彼女たちは、自分たちのやっていることは、末期の家族を「生まれ変わらせてあげる」ことだと信じて疑わない。
游子は「それじゃなんの解決にもならない」「それで人が救えるんですか?」と問いつめるが、「あなた今までだれも救えてないでしょう」と山賀は手厳しい。
そう言われてしまうとぐうの音もでない游子。

難しい問題である。だが、死んだら終わりなのだ。生まれ変わりなんてない。だから、どんなに苦しくても生きていくしかない。「ご飯をしっかり食べて力つけてかかって」(3話の游子の台詞)いく勢いで。「現実なんか私が変えてやる」(同じく3話、巣藤の台詞)という勢いで。
「家族狩り」は、このように、おりにつけ「生きろ」と訴えてきた。

4話では渓徳(北山宏光)が、「命ってやっぱひとつの人生じゃないですか。受け止める側もハンパなことするわけにはいかないっす」と言い、
6話では游子が、「家族ってうまくいかないことのほうが普通なんだってことです。あったかいもの、落ち着く場所が家族なんてきれいごとです。憎んだり、喧嘩したり、人と人だから、家族の間でもめるのが当たり前です。だからこそ、なにがあっても家族を大事にしよう。なにがあっても子供を愛し続けるんだって覚悟をもち続けないといけないと思うんです」と語った。
この不屈の精神が、いま、太いエネルギーとなって、最終回へと向かって行く。

太いエネルギーを支えるのは、人が人を思う心である。
番組放送開始の頃、この小説を書いた天童荒太の心境は“「家族にかえろう」という風潮がうさんくさく感じたから。”と発表されていたが、家族が要らないわけではない。簡単に「家族」に依存するのではなく、まずは真剣に人と向き合う。そこからはじめて「家族」ができるということだ。
馬見原がぽつりと、「(家族は)どこにも売ってないからな」とつぶやく。この台詞は胸に響く。
縁あって生まれた家族は、簡単に取り替えたり、新しく買ったりできない。例えば、家族をひとつにする家という容れ物も、そこに住む人間さえもが、シロアリに食われてボロボロに、傷だらけになったとしたら、シロアリにつけられた傷や苦悩を修復しながら住み続けること。それが家族を真の家族たらんとする。かなりしんどいが、傷や苦悩から逃げちゃだめなのだ。
「ひとはやり直せる
まちがってもいつだってやり直せる」
9話は、強い願いのこもった回だった。

だが、芳沢亜衣(中村ゆりか)の家庭は、これまでの家族以上に、激しく傷つけ合って、もはやボロボロで、とりつくしまがない気がする。
亜衣は口汚く親をののしり、父のみならず父の会社にまでとりかえしのつかないダメージを追わせてしまった。もう無理と判断した山賀と大野は、芳沢家を「おくって差し上げる」ことにする。
その儀式を目の当たりにさせられる游子と巣藤 浚介(伊藤淳史)。
そして、亜衣は、目の前で、両親が傷つけられ、命を奪われそうになったとき、はじめて両親の命を意識する。なんたる皮肉。
待てよ。ここで止めれば、今までの家族も、反省してやり直せたかもしれないのに、最後まで狩ってしまうなんて、山賀はちょっと軽卒ではないか。
果たして、游子は芳沢家を救えるのか? 
最終回、視聴者は救われるのか、突き放すのか、気が気でない。居住まい正して見たい。
(木俣冬)