『ガンダム Gのレコンギスタ』は今年一番の注目タイトルでもある。このタイミングで「TV Bros.」や「Newtype」の表紙を飾っている

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ガンダム・シリーズの生みの親である富野由悠季監督の新作『ガンダム Gのレコンギスタ』(以下『G-レコ』)の冒頭10分間が配信された。
同作品は8月23日から9月5日まで第1話〜第3話をまとめた特別先行版をイベント上映し、10月よりMBSほか「アニメイズム」枠でTV放送が始まるという予定。
これらに先立つ冒頭10分の配信で、ついに『G-レコ』という作品の一部がベールを脱いだわけだが、これが実に濃密なのだ。お行儀のよい「説明」を重ねるのではなく、観客を作品世界の中に放り込んで、現場に立ち会わせるような感覚がある映像。この語り口こそ、富野演出。
というわけで、ここでは『G-レコ』の冒頭10分をつぶさに見ながら、富野監督の演出術のポイントを解説したいと思う。

具体的な解説の前に、あらすじだけ簡単に説明しておこう。
宇宙移民と宇宙戦争の歴史となった宇宙世紀が終わり、長い時が経った。新たな時代、リギルド・センチュリー(R.C.)も1000年を超え、人類は平和な時間を過ごしていた。
R.C.1014年。
地上からそびえ立つ地球と宇宙を繋ぐ宇宙エレベータ、キャピタル・タワー。主人公ベルリ・ゼナムは、このタワーを守るキャピタル・ガードの候補生。ベルリたち候補生が、デレンセンほか教官に連れられ、宇宙エレベーターで宇宙空間での実習に向かうところから物語は始まるーー。

1、モビルスーツに追われる主役機G-セルフ
ロングショットで状況を説明することもなく、モビルスーツに追われるG-セルフを捕らえるカメラ。G-セルフが画面の中の中途半端な位置で飛行しいるところから始まるので、少し不思議な感じがする。いきなり事件の渦中に放り込まれたようなファースト・カットだ。
富野監督は部分から入って、次第に全体像が見えてくる順番で語ることが多い。「現実」というのはそこまでわかりやすく整然とはしていないだろう、という気持ちがこういう導入の作り方の根底にあると思う。
また富野監督は、そのカットが、キャラクターの決まり切ったポーズ、アニメーターの描きやすいポーズから始まるのを嫌う。そうするといかにも段取り通りにお芝居をしているようになり、意味のない「間」が生まれるからだ。とはいってもアニメーターが作画をする場合は、お芝居の最初から順番に描いたほうが描きやすい。
そこで富野監督は、カットの頭の部分を編集してしまうのだ。こうすると芝居の途中からカットが始まることになり、無駄な間がなくなって画面に動きが生まれる。この動きは、映像を活気づけるだけでなく、「カメラが回る前からそのキャラクターが存在していたかのような」生々しさも感じさせることになる。
TVシリーズ『∀ガンダム』を再編集して2本の映画(『地球光』/『月光蝶』)を作る時に、編集マンへの指示として絵コンテに「全カット、アクションカットぎみに繋いでください」という意味の指示が書かれていた。これも、今説明したようなカット頭の演技を待つような間を入れないようにしてほしい、という意味合いで書かれた注意書きなのだ。
いうわけでG-セルフも飛行しているそのアクションの途中から画面に登場することになったのである。

2、ワイヤーと電流
これは演出の話題ではなく、ちょっと余談。 G-セルフを追うモビルスーツが、ワイヤーをかけ電流を流す。この攻撃方法は、'70年代ロボットアニメでは、敵ロボットの定番の攻撃方法として知られている。『機動戦士ガンダム』だとグフのヒートロッドがこれに相当する。
富野監督はこの戦法を、案外好んでいる節がある。時代が変わって、ロボットを兵器に見立てることが当たり前になっても何回か繰り返し使っている。特にかかなりシリアスなムードの『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』でも使っていたのは印象深い。
おそらく電流を流すので主人公が直接ダメージを受けている描写が入れられるのでピンチを演出しやすい、というのがその理由ではないだろうか。今回も、ラライアがG-セルフを脱出するきっかけとして使っているので、電撃がくるしくてコクピットにいることに生命の危機を感じた、と考えることはできる。
余談ついでにもう一つ。サブタイトル「謎のモビルスーツ」は、『機動戦士Zガンダム』第32話と同じ。偶然の一致(?)にニヤリとしたファンも多いはず。

3、デレンセン教官と主人公ベルリのやりとり
アヴァンタイトルが終わると、宇宙エレベーターの全貌が描かれ、エレベーターの籠に相当する「クラウン」に主人公ベルリたちが乗っていることがわかる。この過程もちょっとおもしろいところが多いが、そこまで語るときりがないので割愛して、ベルリと教官のデレンセンのやりとりに注目したい。
先生が生徒を前にして話をするーーというシチュエーションだから、世界観の説明でも始まるのかと思うと、それがなかなか始まらない。そこがおもしろい。
まず、デレンセン教官が鞭を持って、それを振り回している。デレンセン教官が説明をする、ベルリたち候補生がそれを聞くという、動きのない平板なシーンにならないための工夫だろう。
そしてかなり怖そうなデレンセンに対するベルリの態度で、まずベルリのキャラクターを見せていく。怖そうな教官に物怖じせず、減らず口を返すぐらいには機転も利くし、身も軽い。さらに同級生ルイン・リーのセリフで、ベルリが2階級飛び級でこのクラスにいる、ちょっとした注目の人物であるという情報が補強されている。この行動を見せてから、言葉で補強という段取りは、視聴者の「このちょっとおもしろいヤツは、どんなヤツ?」という疑問にこたえる形になっているので腑に落ちやすい。
ここでベルリというキャラクターの存在を印象づけた後、セントフラワー学園の女生徒たちが乱入して一旦、流れが変わる。
そして女生徒側のエピソードを見せた後、もう一度、デレンセン教官が候補生の前に立つシチュエーションが出てくる。
こちらのシーンは、宇宙エレベーターの設定を説明する目的があるのだが、こちらも単なる教官と候補生の会話にはならないような工夫をしている。
まず、手前の候補生たちが訓練で使うものなのかロープを手で送っている演技をしている。会話を単調に見せず、自然に感じさせるためには「何かをさせながら会話をさせる」という演出術がある。会話と直接関係のない行動がほどよいノイズとなって、リアリティを生むのだ。もっともノイズが大きすぎると、会話に意識がいかなくなるので、そのさじ加減が難しいところでもある。
続けてデレンセン教官とベルリの会話。ここでもノイズが活用されている。こちらは会話の内容のほう。ベルリはデレンセンからの質問に「そんな簡単な質問」と一言差し挟むし、デレンセンはデレンセンで「そこはいい」と説明途中のベルリの言葉を遮ったりする。
単なる一問一答になってしまいそうなところを、人間関係や性格が伝わりそうなニュアンスのあるセリフのノイズをまぜることで、説明を説明のシーンに感じさせない工夫がこらされている。

4、再登場するG-セルフ
ベルリたちが宇宙で実習を始めると、海賊の襲撃を受ける。その海賊が使っているのが冒頭に登場した主役機G-セルフだ。
冒頭では画面右側(上手)から飛んでいた、G-セルフが画面左手(下手)から現れる。
富野監督は、上手/下手の位置をつかって画面上の情報整理を行う。大ざっぱに言えば、強いもの・優勢なものを上手側に、弱いもの・劣勢なものを下手に配置するという考え方を基本にして、作中のさまざまな要素を配置していこうという考えだ。この背景には、舞台演出の上手と下手の使い方がある。劇作家の別役実は「「舞台には上手から下手に風がゆるやかに吹いている」という言い方で、上手と下手の意味の違いを語っている。
とはいえ、この上手と下手はアメリカの映画学科などでは教えていないという話もある。一種のローカルルールなのだが、ここで大事なのは、一つの映像作品の中では「被写体が画面に登場する位置」や「そこからどちら側へ動くかというた方向性」に意味があるということだ。上手/下手の演出方法はそれを、意識するための一つのアプローチと考えることができる。
再登場のG-セルフの場合、所属不明機として登場したが、今回は海賊の操る機体である。この立場の違いが、画面への入り方の違いになっている。
そして下手から上手にへと移動して、上手側から下手側に向かってビーム・ライフルを撃つ。これが主役機だぞ、立つ位置の変化を使って、一種の見栄をここできり、G-セルフというキャラクターを印象づけているのだ。
富野監督は他人が描いた絵コンテをチェックする際、まず「映像の流れ」を見るという。キャラクターの上手・下手、そこからどちら方向に動いていくかという方向性、アップやロングの入るタイミング、そうした絵と絵のつながりをまずざっとページをめくりながら追っていくのだという。
のような「映像の流れ」を追ってこの10分を見直すと、またいろいろと発見がありそうだ。
今回のコラムは、富野監督が演出の基本をまとめた『映像の原則』のほか、OVA『リーンの翼』のブックレット(DVD-BOXではなく初回リリースされたばら売りのほう)のための取材などを参考にした。直接、富野監督の言葉に触れてみたい方はそちらのほうもどうぞ。
ちなみに、物語の導入という点では、『機動戦士ガンダムF91』の冒頭30分が富野監督の技を堪能できるのでおすすめ。またDVD-BOX『リーンの翼』の第1章では、「動きのある映像」と「状況の説明」と「キャラクタードラマ」が同時に展開するという、こちらも富野監督らしい圧縮された語り口を味わうことができる。『G-レコ』の参考としてこのあたりを見てみるのもおもしろいはず。
本編が見られるまであと少し! 期待がとてもふくらむ冒頭10分だった。
(藤津亮太)