連続テレビ小説 花子とアン Part2 (NHKドラマ・ガイド) 7月30日発売 
〈吾は知る強き百千の恋ゆえに百千の敵は嬉しきものと〉

これは、蓮子(仲間由紀恵)のモデルになった柳原白蓮の詠んだ短歌です。
この歌のように力強い、蓮子の道ならぬ恋を描いて、目下絶好調の朝ドラ「花子とアン」(NHK)。
17週「腹心の友ふたたび」(7月21〜26日)では、ついに蓮子が宮本(中島歩)と駆け落ちしてしまい、伝助(吉田鋼太郎)への絶縁状が新聞にのったことで、おおごとになってしまいます。

周囲は大騒ぎですが、当の蓮子は愛によって輝きまくって、主人公・はな(吉高由里子)が中心からやや外れて、狂言回し(物語を解説する役)のようになってしまっております。本来の狂言回しは、美輪さまなのですが、おそらく、このドラマ、村岡花子が、のちに、自分の半生を記した書という体になっているのでしょうから、どうしても、はなが語り部になってしまいがちなんですね。

そのため、16週で、蓮子が宮本の元に走り、美輪さまが朗々と歌いあげる「愛の讃歌」が流れる中、ひしと抱き合う昔の外国映画のような劇的にロマンチックな場面に羽が舞うのは、はなの脳内で相当美化された場面という意味なのでは? とも思ってしまいました。

本来の語り部である美輪さまは、宮本役の中島歩と新聞記者・黒沢役の木村彰吾のふたりが美輪さまの舞台に出演している俳優であるという、何やらキャスティングにも大きな影響を与えていそうな感じも致します。
金曜101回の「これほど強い意志をもち幸福そうな蓮子を花子はかつて見た事がありませんでした」というナレーションは、原案・村岡恵理作「アンのゆりかご」の192ページの一節にかなり忠実でした。
白蓮は上記の歌のほか、〈わが命惜しまるるほどの幸ひを初めて知らむ相許すとき〉という歌も作っています。対して、脚本の中園ミホが蓮子に書いた台詞もかなり力強く、朝から激しく心を揺さぶりました。
「人を愛するってどういうことかはじめて知ったの
溢れ出てくるの、どんどん
それをあの人にわけてあげたいの
ほかには何も望まないわ
身分も何もかも捨ててあの人と生きていきたい」(水曜99回)
「(愛が)溢れ出てくる」「それをあの人にわけてあげたい」だなんて、女は海とはよく言ったもの。蓮子は、もらう愛よりも、注ぐ愛を求めていたのですね。
だから、伝助がどんなに金にものを言わせて、いろんなことをしてくれても、それなりに優しくしてくれても、物足りなかったのでしょう。
もちろん、注ぐだけでなく、注ぎ合いたい。愛し愛されて生きるのさ、です。

ドラマではあまり触れていませんが、白蓮は、最初の結婚で生んだ子と引き離されてしまったこともあり、もう一度、母としての人生をやり直したかったようです。ところが、伝助は自ら子供ができない体にしてしまっていた。そのくせ女遊びは激しくて・・・という。
このへんのことをドラマではあまり取り入れず、すっかり伝助がいい人になってしまいました。蓮子と伝助のきれいごとだけでは済まない部分が描けないところは、朝ドラの限界だなと感じますが、ここではそれについては追求しないでおきましょう。ただ、たぶん、結婚したら、苦しいですよ、有働由美子さん(「あさイチ」で嘉納(伝助)さまと結婚したい的発言をしていたので)!

さて、蓮子は、ようやく、くすぶっていた内なる情熱を外に出すことができて、愛する宮本と暮らすようになると、それまでの派手な着物は着なくなり、白い清楚な着物になります。まあ、宮本の貧乏な家で、あんなに真っ白な着物では、すぐ汚れてしまいそう、と心配になるほどでした。
また、髪も質素に束ね、そのほつれ毛が、苦労人の色気を感じさせました。
それにしても、仲間由紀恵は、薄幸の美女を演じさせたら、もしかして日本一かもしれません。なんといっても、彼女の出世作は「リング」の貞子、応用篇で「トリック」の貧乏な自称売れっ子マジシャン・山田奈緒子なのですから。

まったくの余談になりますが、仲間由紀恵が高視聴率を獲得した最初のドラマは「ごくせん」(02、05、08年、日本テレビ)で、第一シリーズを放送した02年は、白蓮事件をもとにした「真珠夫人」がフジテレビの昼ドラでブームになっていたと知ると、何やら運命を感じてしまいます。

話を戻しまして、蓮子は、慎ましくひっそりと、焼き芋などをぽそぽそと食べながら生きていくつもりでしたが、宮本の革命仲間が逸って、蓮子の伝助(吉田鋼太郎)への手紙を新聞社に渡してしまい、絶縁状として掲載されてセンセーショナルを呼びます。伝助も、不本意ながら、それに対する反論が新聞に載ってしまい、ますますエキサイト。夫婦喧嘩が、でかでかと新聞記事になるなんてすごいなあと思いますが、蓮子は皇室の血を引く者で、伝助も炭坑王で、庶民にとってはスターのようなもの。それは気になる事件だったのでしょう。

その皇室の血筋が、蓮子をしばり続けます。彼女を、没落した家を立て直すために伝助のもとへ嫁にやった兄が、今回のことに怒って、甲府に身を隠していた蓮子を実家に連れ戻し、生まれた子供と引き離してしまいます。
髪もばっさり切られながらも、蓮子は、愛する宮本と子供のために、力強く生きていこうとします。彼女ももうすっかり、わがまま悪妻ちゃんではなくなっています。

18週、月曜日では、蓮子と宮本の子供の名前が「純平」と決まりました。
蓮子が名前を大事にするのは、はなの影響。女学生時代にやった「ロミオとジュリエット」の、はなの訳が蓮子の記憶に強く残っているのです。
純平ってロミジュリの純愛を思わせますね。

名前が大事といえば、蓮子の駆け落ちを、宇田川満代(山田真歩)に小説化させようとする醍醐(高梨臨)のネーミングです。
醍醐は、「赤毛のアン」のアンの腹心の友ダイアナからとられた名前と言われています。が、腹心の友の座は蓮子のものです。はなは、女学校時代、蓮子のことばかり大事にしていて、「わたくしより葉山さまのほうが好きなの?」と醍醐に詰め寄られたこともすっかり忘れたかのように、17週では、醍醐も友達と言っていましたけれど。

宇田川満代は、はなと同じ雑誌の児童文学賞をとったことから、吉屋信子がモデルかと想像しています。ちょっと面白いと思ったのは、吉屋信子の書いた「安宅家の人々」という小説は、「真珠夫人」と同じく、フジテレビの昼ドラになっていることです。
まあ、それは置いておきまして、名前は、村岡恵理と交流のあった宇野千代に近いです。蓮子の小説を書くことを断った宇田川が考え直して、書く事になったら、菊池寛の要素も盛り込まれてしまうわけです。それとも、醍醐が菊池寛的要素をもっていくのか、蓮子の今後と合わせて、気になってなりません。史実だと、関東大震災が白蓮の人生に大きな影響を与えるのですが、「花子とアン」にも関東大震災が近づいてきているのでしょうか。(木俣冬)