ハビエル・アギーレ氏 (写真:藤田孝夫/フォートキシモト)

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 日本代表の新監督が、ハビエル・アギーレに決定した。コロンビア戦の敗退からほぼ一か月の時間は、アギーレへ一直線に向かう日々だったと言っていい。

 なぜ、アギーレなのか。

 メキシコと日本のサッカーに見られる共通点こそが、最大の要因だろう。2002年と10年のW杯で母国を率い、グループステージを突破した実績もある。代表監督としてW杯に記した足跡は、アギーレにあってザックにはなかったものだ。

 個人的に疑問を感じるのは、最初から外国人ありきで人選が進められたことである。

 アギーレを含めた外国人監督の経験や実績は、僕にも魅力的に映る。だが、経験と実績という過去にとらわれた選考では、いつまで経っても日本人監督にチャンスはない。あるとしたら、岡田武史氏だけである。

 経験や実績は、それほどまでに大切なのか?

 1970年のメキシコW杯でブラジルを3度目の優勝へ導いたマリオ・ザガロは、38歳で優勝監督となった。78年大会で母国アルゼンチンを初の世界一へ誘ったセサル・ルイス・メノッティは、36歳の誕生日直前に代表監督に就任している。

 1984年7月に旧西ドイツの監督に着任したフランツ・ベッケンバウアーは、監督としては明らかに若い38歳だった。90年大会でワールドカップを掲げた当時も、44歳の青年監督である。

 ベッケンバウアーのもとで世界制覇を成し遂げてから24年後のブラジルで、ドイツに4度目の優勝をもたらしたヨアヒム・レーヴは、46歳だった2006年7月にクリンスマンからチームを引き継いでいる。指導者としてキャリアは10年以上を数えていたが、フル代表の経験はない。

 彼らはなぜ、代表監督として成功を収めたのか。ザガロやベッケンバウアーを支えたのは、選手時代の輝かしい経歴だったのか。レーヴの原動力は、「代表歴がない自分でもできる」という反骨精神だったのか。

 それだけではない、と僕は思う。

 ワールドカップで優勝を義務づけられながら、ライバルの後塵を拝する屈辱が、彼らを奮い立たせてきたのだと思う。真っ直ぐで太い悔しさが、彼らの背骨となっていたのだ。

 アギーレの能力を疑うつもりはない。

 だが、日本代表監督としての彼を支えていくものは、いったい何なのだろうか?
母国メキシコで果たせなかったワールドカップのベスト8入り? それならば、日本より可能性の高い国を選べばいい。日本代表監督としてのアギーレを突き動かすもの──世界中でこれだけは絶対に負けないと胸を張って言えるものが、僕には思いつかないのだ。グループステージ敗退に終わった現実を痛切に受け止める日本人指導者の思いを、彼が上回ることはできないと思うのである。

 アギーレの監督就任とともに、スタッフも発表された。彼自身がこれまで仕事をしてきた人材で固められている。

 監督とスタッフはファミリーだ。それは分かる。だが、ザックのチームも同じようにイタリア人でスタッフが編成され、W杯の終了とともに彼らは日本を去った。4年間の歩みをコーチングスタッフの意見を交えて検証することは、すでに事実上不可能となっている。

 振り返ればジーコのチームも、彼が求めたブラジル人でスタッフが固められた。そして、具体的な検証もないままにチームは解散した。

 外国人監督とスタッフだけに日本代表を託すのは、率直に言って丸投げである。よくも悪くも財産として次代に継承できるように、のちに監督やコーチを任せられる日本人スタッフは必要だ。入閣が噂される手倉森誠U−21日本代表は、必ず加えるべきである。

 それにしても、なぜ日本人監督ではダメなのだろうか。S級ライセンス取得者が300人を突破し、ワールドカップ出場経験のある指導者も増えている。現役を退いた彼らにとっても、日本代表は目標であるべきだと思うのだが。