メジャー昇格を果たせない屈辱の結果

 新天地でメジャーデビューを勝ち取れるだろうか。オリオールズとの2年契約を終えて退団した和田毅投手(32)が、カブスとマイナー契約を交わした。招待選手として来春のメジャーキャンプに参加し、サバイバルに挑むことになる。

 ソフトバンクから海外FA権を行使し、2011年オフにオリオールズと2年総額815万ドル(約8億4000万円)を結んだ左腕だが、春季キャンプ中に左肘を故障。5月に靱帯再建手術(通称トミー・ジョン手術)を受け、入団1年目を棒に振った。今年5月に復帰し、3Aノーフォークで登板を重ねたものの、最後まで昇格を勝ち取れず。2年間でメジャーデビューを果たせないという屈辱の結果だった。

 そんな和田がカブスと契約を交わすと、一部のファンからは批判の声が上がった。「マイナー契約でもオリオールズに残留し、恩を返すべきではないか」という類のものである。815万ドルのサラリーを支払い、手術までさせてくれたオリオールズで、左腕が力になれなかったことは確かだ。ただ、この批判には誤解がある。

 シーズン終了後の流れを振り返ってみよう。ポストシーズンが終わってから、オリオールズは500万ドル(5億1500万円)での来季契約の選択権を行使しなかった。そして、球団側がマイナー契約での残留を望んでいると地元紙が伝えている。ダン・デュケットGMは10月中旬のGM会議中でも、その意向を明かした。しかし、その約2週間後には、同GMが左腕へのマイナー契約を検討していたと明かした上で「その可能性もなくなった」と話したことが報じられている。

実際にはオリオールズからのオファーはなかった

 実際には、オリオールズからのオファーはなかったのだ。それまでの話し合いで、お互いの意思の相違があったのかもしれない。つまり、どんなに本人が残留したくても出来なかった。和田に近い関係者は「彼はオリオールズに残りたがっていた」と明かす。だが、必要ないと言われれば、当然、恩返しは出来ない。

 シーズン中から、残留が叶わない可能性は高まっていた。9月上旬にマイナーリーグが終了すると、残り1か月となっていたメジャーのレギュラーシーズンで和田が登板するチャンスは何度かあった。特に、プレーオフ進出が絶たれてからは消化試合となっていたが、最後まで声はかからなかった。実は、バック・ショーウォルター監督は和田をメジャーで見たがっていたという。しかし、若手が抜擢されるなど、その願いは実現しなかった。つまり、これはフロント主導の決定だったのだ。

 2年も世話になったオリオールズに、和田は当然、恩義を感じていたはずだ。しかも、球団スタッフや施設についてよく知っているチームに残留した方が楽に決まっている。あらゆる要素を考えると、オファーが届いていれば、残留を決断していた可能性が高い。だが、そうはならなかった。それでも、和田は帰国という選択肢をすぐに排除し、退路を断っている。日本で輝かしい実績を誇る左腕は挫折と言える状況にもめげず、夢を捨てず、誇りと強い意志を持って来季も挑戦を続けることを選んだのだ。

 今月上旬のウィンターミーティング中には、和田に対して複数のチームがオファーを出しているとの一部報道もあったが、関係者はこれも否定する。興味を持ついくつかの球団から問い合わせはあったが、その時点で正式なオファーを出していたのは、セオ・エプスタイン編成本部長が和田を高く評価していたカブスだけだった。ただ、カブスはキャンプに招待選手として参加できるだけでなく、チームの先発4、5番手が決まっていないとあって、チャンスは大きい。再出発に向けて、やりがいのある環境が整っている。

 カブスとの契約合意後、和田はブログを更新した。「来年は今までのプロ野球生活で1番厳しい戦いがまっています。来年は結果を残し続けていかないといけない立場で、結果がでなければすぐ切られる立場。やるしかない」(原文のまま)と決意をつづっている。依然として熱い闘志を宿す32歳。メジャーのマウンドまでの距離は、決して遠くない。