盛岡市内、中の橋から眺める中津川。

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■「祖父母を探しに行きました」

岩手県立盛岡第四高校1年生の山崎成歩さん。将来の志望は中学校の英語教師だ。中学校教師ならば、給料の額が急に増えるということはない。山崎さん、いっぱい儲けたいとか思いませんか。

「基本給とかはよくわかんないんですけど、でも自分が教えたぶんだけ生徒が伸びて、その生徒が伸びてるってわかれば、それでいいかなと思うんです。あんまりお金は気にしないんです。たぶんそこまで上がり下がりしないと思うので、お給料は」

大学に入ること以外で、中学校で英語の先生をやる時に必要だと思っているものはありますか。

「やっぱり英語に対して、いろんなことを知っておかなきゃいけないと思うので、大学にいるうちに英語圏のところに留学したいなと思っています」

留学、どれぐらいの期間がほしいですか。

「半年から10カ月ぐらいは行ったほうがいいかなと思いました」

合州国に行ったのは、今回の3週間が初めてですか。英語、しゃべれましたか。

「はい、初めてです。自分が習った文法ではしゃべれるんですけど、いろんな相づちがあって、それにちょっと困りました。ホストファミリーのおうちで、お母さんがなんかわかんないけど早起きしちゃって、『買い物に行くんだけど一緒に行かない?』って言われて、その時に "Ya,ya,ya" って言われて……何なんだろうと思って」

中学校で英語の先生になったときの山崎さんは、どこに住んでいますか。

「岩手県内だと思います。中学校が盛岡市内の下橋(しものはし)っていうところなんですけれど、そこにまた戻ってきたいなって思ってます」

岩手県外で働くという考えはない?

「いちおう視野には入れてみたんですけれど、やっぱり地元の人とか子どもを育てたいなと思って、岩手県がいちばんいいなと思いました。岩手県内が好きっていうか、いたいなって思うんですよ」

山崎さんは震災直後、2011年の3月に岩手の三陸沿岸を家族で訪ねている。

「わたしの祖父母を探しに行きました。両親共に山田町出身なので、4人の祖父母を探しに家族で行きました。母方の祖父母の家は高台のほうだったので無事でしたが、父方のほうは海が近いところに住んでいたため亡くなってしまいました。盛岡に住んでいると、同じ岩手県で震災なんてなかったような会話や、暮らしをしています。だから、盛岡と沿岸のほうの人たちとの距離感に驚きました」

それから1年4カ月後、山崎さんは「TOMODACHIサマー2012 ソフトバンク・リーダーシップ・プログラム」に参加し、沿岸部から来た高校生たちと出合う。

「参加して、同じ東北の高校生と接することで、なんでも刺激し合える仲間が出来たと思いました。新しい考えを持てるわたしに出合えて、地元を共有し合うかんじがあって、東北の高校生と混ざって自分のまちを見直すきっかけづくりにもなって、自分のまちを、もっとアピール出来るまちにしようと思えるようになりました。アメリカから帰ってきて、クラスでごく当たり前に話していた内容に震災の話がないことにも気づかされて、そこで改めて距離感があると感じました」

山崎さんがご両親と訪れた三陸の町・山田町。次は、その南に接する大槌町が「ふるさとです」と語る盛岡の高校生に話を聞く。

■きっかけは織田裕二

菊池健太(きくち・けんた)さんは岩手県立盛岡北高等学校3年生。菊池さんは将来何屋になりたいですか。

「おっきい夢なんですけど、国連で働くというのがひとつあって。アメリカ行った時に『人に笑われる夢を持て』って言われて。それは何なんだろうなって、こっち帰って来て考えてて。『TOMODACHI〜』に行く前に、盛岡の被災者センターっていう場所でP&Gの方とお話する機会があったんですけど、そのときにも、何になりたいのかって訊かれて、『国際的なこと』ってそのときはしゃべったんですけど、『もう高3なんだろ、準備するなら今からだよ』みたいなこと言われてて。1回外交官になってから国連で働くというのがベストだなと、今、考えてます」

ニューヨークにある、あの国連ビルの中で働くということですか。

「目標は、大きく持てばあそこなんですけど、あそこに行くのはたぶん無理だと思うので、周りの近い組織で働ければと思ってますけど。まずいちばん近い目標は外交官になることなので、そこでどれくらいキャリアを積めるかみたいな」

きっかけは何ですか。

「映画です。織田裕二が外交官をやった。それ観て、ああいう仕事があるんだなって知ったんです。自分はただ外国に住みたいだけなんです(笑)。ただ好きなんです、昔から。いちばん行きたいのはヨーロッパで、オランダかスペインか、どっちかに行ければ」

織田裕二の映画とは、イタリアの観光地巡りサスペンス「アマルフィ 女神の報酬」(2009年公開)のこと。2011年の続編「アンダルシア 女神の報復」はスペインが舞台だ。菊池さん、海外体験は今回の合州国が初めてですか。

「初めてでした。ヨーロッパは踏んでないんですけど、大学入ったら行きたいなと思ってます」

「TOMODACHI〜」のプログラムの中には、サンフランシスコの日本領事館の人と話をするものがあったと聞いています。

「会いました。初めて外交官という人に会いました。見た感じ20歳ちょっとすぎぐらいの女性の方です。熱く語るってかんじじゃなくて、ふつうに話す人。高校卒業して、すぐ公務員採用試験に受かって、こっちに来たって言ってました。そういう選択肢もあるんだなと思いました。それをもっと早く知ってれば、9月の公務員試験頑張ってました(笑)」

先回りして補足すれば、このあと菊池さんは「職歴」ではなく「国家公務員採用総合職(旧称「I種」)試験合格者で本省に採用された幹部候補者」の意味で「キャリア」ということばを使う。外交官の世界ならば、国際会議の中身そのものを担当するのがキャリアで、その後方支援(雑務全般。呼称は兵站=ロジスティックス担当の略称「ロジ担」)がノンキャリアの役目とされる。さて、菊池さん、外交官になるとして、何を手に入れる必要があると考えていますか。

「キャリアは、俗に言うと東大とか一流の大学出た人たちがなるんですけど、自分はセンターの練習とかでも(点数が)低いんで、今からは無理なんで……。とりあえず親には『ぜったい地元の大学行ってね』って言われてます。経済的にも、もう親が定年なんで。そうすると岩手大学の国際(注・人文社会科学部国際文化課程)があるんですけど、そこは留学とかもできるんで、そこで経験積んで、ノンキャリアという形で。そうなると最初は辺鄙なところに行くんですけど、そこで経験積むしかないかなと思っています。外交官の本とか立ち読みしてるんですけど、最初は発展途上国に飛ばされるみたいで、そこに2、3年いて、戻って来て、また飛ばされて、そうやってだんだん上がっていくらしいですね」

外交官にもいろんな仕事があると思うのですが、どういう仕事に興味がありますか。

(明日に続く)

(文=オンライン編集部・石井伸介)