尖閣諸島の魚釣島。石垣島から船で約8時間の距離にある。明治時代にはかつお節工場があり、200人以上の日本人が住んでいたという

写真拡大

日本の夏を熱くする領土問題。終戦記念日の8月15日、中国の活動家たちが漁船に乗って尖閣諸島に上陸。彼らを強制送還すると8月19日には、日本人の国会議員を含む慰霊団らが尖閣諸島に向かい、うち10人が島に立った。記者は、その慰霊ツアーに同行。尖閣上陸のすべてを目撃したのだった。上陸した人は何を訴えたかったのか? このツアーの意味は? その真実が明かされる。

***

■議員連盟が尖閣諸島への上陸許可を申請した!

「尖閣諸島で魚を釣ろう!」

本誌記者が、そんな文言を「頑張れ日本!全国行動委員会」(会長・田母神[たもがみ]俊雄氏)のHPで発見したのは7月上旬のことだった。そこには今回が2回目となる「尖閣諸島で魚を釣ろう! 尖閣諸島集団漁業活動」が7月27〜31日の4泊5日で開催されると書かれていた。 料金は、東京〜石垣島までの航空運賃、石垣島からの漁船乗船運賃、宿泊費(4名1部屋)、朝食3回・現地島での送迎バス代込みで15万円。思ったより安い。

2年前、別ルートでの尖閣諸島行きを計画して失敗した記者は、大急ぎで編集部に相談した。

「行ってもいいですか!?」

「よし! 日本男児らしく尖閣諸島の魚釣島で豪快に大物を釣ってこい!」

ところが、である。記者が申し込みを完了した直後、雲行きが怪しくなってきた。いきなりHPに日程変更が告知されたのだ。

変更後の日程は8月17〜21日。慌ててその理由を聞くと、こんな答えが返ってきた。

「今回は議員の先生方が多く参加されるため、その方々との調整もあって日程が変更されました」

だが一方で超党派の「日本の領土を守るため行動する議員連盟」(会長・山谷えり子自民党参院議員)が、尖閣諸島の魚釣島で太平洋戦争時の疎開船遭難者の慰霊祭を行なうため日本政府に上陸許可を申請したという情報もあった。

「ひょっとしたらオレたちも上陸できるかも……」

記者は高鳴る胸の鼓動を抑えつつ出発の日を待った。

しかし、残念なことに日本政府は議連の上陸を許可しないことを8月13日に決定。従来どおり、「政府関係者以外の上陸を認めない」という立場を変えなかった。

しかし、まだ激動は終わらない。ツアーの先行きが最も不安になったのは、出発を2日後に控えた8月15日。魚釣島に漁船でやって来た香港人活動家ら7人が島に不法上陸し、14人が逮捕されたのだ。

「これでホントに尖閣諸島に行けるのか? そもそも出港できるのか?」

出発前から、この“魚釣”ツアーは大しけの様相だった。



■上陸した中国人が「また来るぞ!」と

そもそも、このツアーが「漁業活動」と銘打つのには理由がある。船舶安全法では「沿海区域(海岸から20海里以内・約37km)」を超えて航行する場合、漁船に乗れるのは「漁業者および漁業従事者」に限定されているからだ。

今回の出港地である石垣島から魚釣島までの距離は約90海里(約166km)。そこをクリアするために参加者は全員「漁師見習い」という建前になっている。

ツアー出発日の8月17日。集合場所の羽田空港に到着すると、日の丸が縫い付けられた服を着ている人を含む団体を発見した。ここだと思って声をかけると、間違ってはいなかった。

ツアー催行会社は「産経旅行」。各参加者が名前を告げて石垣島までの搭乗券を受け取ると、「頑張れ日本!」の水島総(さとる)幹事長から簡単な挨拶があった。

「今回、皆さんはあくまでも漁師見習いとして活動してもらいます。上陸の予定はありません。石垣島から尖閣諸島までは約8時間。船酔いがひどいです。乗り物酔いはしないという人でも、必ず酔い止めを飲んでください。前回も約100人が参加して、10人ほど船酔いでダウンしました」

旅行会社から事前に送られてきた案内にも、牛乳紙パック(1リットル容器)を持っていったほうがよい、との記述があった。いわく、「中にトイレットペーパーを敷き詰めると船酔いの吐瀉(としゃ)物容器に早変わり」……。そのほか、携行必需品には酔い止め薬。持っていく食料も、ゼリータイプの食料など、「疲れていても口に入りやすい食べ物」が推奨されていた。あくまでも船酔いが前提の旅なのだ。

「今回は幸いなことに天候がよく、海は凪(な)いでいます。しかし、船は揺れます。出発前の食事は腹2分目にして、お酒も飲まないでください」(水島幹事長) 注意点の多くは漁に関するものではなく、漁場に着くまでの船酔いに関するものだった。

昼過ぎに東京を出発。那覇空港、石垣空港と乗り継いで夕方に宿泊先のホテルに到着すると、すぐに全体説明会が開かれた。今回のツアーは漁船19隻、全体で150人の大船団だという。

冒頭、水島幹事長から「先ほど香港人活動家が書類送検もされずに強制送還されることが決まったそうです」とのニュースが伝えられると、会場から「ふざけるな!」「政府は何をやっている!」と怒号が飛ぶ。みな熱い。

説明会終了後、記者は香港人活動家らが乗ってきた漁船を見に離島桟橋へと向かった。到着すると、そこも熱い。

フェンスの外からは手に日の丸や横断幕を持った30人ほどが、「尖閣は日本のものだ!」とシュプレヒコールを上げていたのだ。彼らが持つのぼりを見ると、そこには「幸福実現党」の文字が……。

ただ、地元のタクシー運転手は意外にも冷静だった。

「なんで上陸させちゃったんですかね。阻止できたはずなのに」とポツリ。明らかに冷めている。

香港の活動家らが警察車両から漁船に乗り込むと、現場の興奮は頂点に。しかし、待てども待てども漁船は出港せず、船員が甲板でたばこを吸ったりしていた。

待つこと1時間半。夜9時半過ぎにようやく漁船が出港する段になると、オレンジのライフジャケットを羽織った船主が報道陣の前に姿を見せた。すかさず香港メディアの記者が船主に語りかける。

船主は魚釣島の形が胸に描かれたTシャツを何度も胸を指さしながら「また来るぞ!」と身ぶり手ぶりをつけて勇ましくアピールする。その間、15分。あまりにも長い船主の演説を前に、報道陣に交じっていた一般人男性からはこんな怒号が飛んだ。

「いつまで演説させてるんだ! 外務省は演説を許可したのか!」

その声に促されるように船主の後ろに立っていた海上保安庁職員が船主を船室に連行する。その後、海保職員が下りて船が離岸すると、船長は再び甲板に出て、両手でピースサインをしながら笑顔で去っていった。強制送還って楽しいのか。



■魚釣島に上陸! 日の丸を掲げる

翌8月18日午後8時。石垣市の新川(あらかわ)漁港には14隻の漁船が集まっていた。行き先は尖閣諸島。宮古島からの2隻、与那国島からの3隻と尖閣諸島沖で翌朝4時に合流し、漁や釣り、洋上での慰霊祭を行なう予定だ。

酔い止め薬を飲み、割り振られた漁船に乗り込むと、海上保安庁職員が乗船名簿との照合をする。意外にも手続きはスムーズに終わり、予定どおり午後8時30分に船団は石垣島を出港した。

しばらく船団の明かりは一列に連なっていたが、船の速度が違うため、しだいにバラける。船の明かりよりも星の明かりが眩しい。

「尖閣沖までは8時間ぐらい。普段は2.5mぐらい波があるし、飛ばすと燃費も悪いから飛ばさない。でも、今日は時間がないから飛ばしてる。燃料代は往復で6万から7万円かな。尖閣沖? 魚はいるけど、遠くて普段は行かないね」

船長は船を自動運転に設定すると、こう言った。

「今日は凪いでいるから、船酔いも大丈夫だと思うよ。魚釣島に着くのは5時過ぎぐらいかな?」

え!? 5時!? それじゃあ集合時間の4時に間に合いません!

「俺の船、遅いからね。まあ弁当でも食べよう。ゆっくりして」

船長と話をしている間に、記者と船長以外の6人の乗船者は眠りについたようだ。寝床は甲板の上。しかも小さな船のため、記者が足を伸ばせる場所は残っていない。仕方なく、丸まって目を閉じた。

浅い眠りから覚めると、時計の針は8月19日の午前4時半。まだ暗いが、目を凝らすと島影が見える。北小島と南小島だ。そばにあるはずの魚釣島を探すが、雲なのか島なのかはっきりしない。

しかし、いずれにせよ石垣島の新川漁港を出港してから波に揺られること約8時間。尖閣諸島近海に到達したことは間違いなかった。

ゆっくりと東の空が明るくなっていく。5時半を過ぎると、目の前にはっきりと大きな島影が確認できた。灯台の明かりが点滅して見える。魚釣島だ。いつの間にか灯台前には19隻が集結していた。

あれ? なんかデカイ船がある。そう思ったら、沖合には海上保安庁の巡視船が3隻あり、上空を海上保安庁の飛行機が巡回していた。完全に監視されてる!

「日の出は6時15分頃。日の出を見た後、洋上慰霊祭です」

水島幹事長を乗せた第一桜丸からスピーカーを通して号令がかかる。そして神職が慰霊祭を滞とどこおりなく執り行なうと、再び第一桜丸からアナウンスがあった。

「洋上慰霊祭が終了しましたので、国会議員の先生方が乗船する船は北小島、南小島に向かいます。あとは各船、自由行動です。われわれも独自の活動を行ないます」

ん? 独自の活動? その言葉に疑問を感じながらも、記者の乗った船は魚釣りを始めた。

「ほら、これ、全部魚だよ」

船長の指先の魚群探知機を見ると、たくさんの魚の群れが確認できた。カツオやマグロの豊かな漁場というのもうなずける。 男性が水中に疑似餌を落として竿をリズミカルに動かすこと10分。一向に釣れる気配がない。

「じゃあ、トローリングするか」

船長と助手がトローリング用の仕掛けを手際よく電動リールに設置する。そして船は魚釣島を西から南、東側へと半周した。

「釣れてるぞ! 引き上げろ!」

船長のかけ声で助手が電動リールのスイッチを入れる。

「あとは手で引き上げて!」

同乗した「漁師見習い」の男性が糸をたぐると、60cmほどの魚がルアーに食いついていた。

「ツンブリだ。売り物にはならないやつだな」 船長がそう言って再び仕掛けを海に戻すと、5分とたたないうちにまた釣れた。今度は記者が糸をたぐる。思ったより引きが軽い。

「……またツンブリだ」

ちょっとガッカリ。 時刻は午前8時過ぎ。船が再び灯台が見える位置にくると、記者はあることに気がついた。

「誰かが島で国旗を振ってる!?」

漁業無線でも連絡が入る。

「おーい、誰か上陸したぞー」

その声を聞いて船長が船を移動した。乗船者が明らかに減っている船に近づいて声をかける。

「なんか聞いてたか??」

その船の船長は苦笑いしながら首を横に振った。

「なんも聞いてねえぞ〜(笑)」

わが船の船長も苦笑いしながら

「漁師見習い」たちに言った。

「船止めるから、魚釣って(笑)」

釣り好きの男性が糸を垂らすと、今度はすぐにヒット。50cmほどの赤い魚だ。ヘリコプターが巡回し、巡視船が見守るなかでリールを巻く姿は超シュールだ。

「アカジンミーバイだな。これは1kg当たり2000円ぐらいで売れる高級魚だ」(船長)



島に誰が上陸したのかは気になるが、あくまでも漁師見習い。船長の指示は絶対だ。

大物を釣らなければ……。しかし記者は竿で釣ろうとした際、仕掛けを深く落としすぎて岩礁に引っかけて壊してしまった。……すみません。

その後、仕掛けや場所を変えながら小一時間試したが、一向に釣れない。他船では1mほどのサワラが釣れて歓声が上がる。 船がまた灯台前に差しかかると、先ほどの男性がまた日の丸を振っていた。あれ? あれれ!? 人数が増えてる! 少なくとも9人!

「軽犯罪法違反の疑いがあります! 船に戻ってください!」

海上保安庁の巡視船がサイレンとスピーカーで呼びかける。記者は船長に「船を島に近づけてください」と頼んだが、記者も飛び込んで上陸すると思われたのか、100mの距離までしか近づいてくれない。魚釣島は岩礁で潮流が速いため、近づきすぎるのも危険なのだ。それに大型のサメもいる。

沖合の船から上陸した人たちが船に泳いで戻る際、人数を数え直すと10人いた。上陸したのは地方議員5人と水島幹事長らの計10人。上陸後、灯台などに複数の日の丸を掲げ、灯台横の慰霊碑前で慰霊祭を行なっていたのだ。滞在時間は約2時間。

10人は翌20日、八重山警察署で任意の事情聴取を受けたが、結局、おとがめなし。

「政府は国民の生命財産を守るという最も大事なことをやっていない。何もやらない政府が魚釣島での慰霊を禁止している。これは日本のために非常に大きな罪だと思います」(水島幹事長)

「立ち入り禁止の場所であっても、そこで緊急事態が起きているときに、立ち入り禁止だからといって入らないことはあり得ない。尖閣は今、緊急事態」(小坂英二[こさかえいじ]・東京都荒川区議)

「あえて上陸することで日本人の志を示したと思っています」(小嶋吉浩[こじまよしひろ]・茨城県取手市議)

と、上陸を後悔していない様子だ。

今回、最初に魚釣島に上陸したのは、午前4時に沖合300mから単独潜行した伊藤祐靖(いとうすけやす)氏。

自衛隊初の特殊部隊である海上自衛隊特別警備隊の創設から8年間在籍し、初代先任小隊長も務めた元2佐の伊藤氏は、「私も経験があるのでわかるが、現場の人間にとって一番つらいのは『国家の強い意志』が感じられないまま任務に就くこと。海上保安官も警察官も、いまだにそのストレスのなかで生きている。私は現場の彼らを尊敬している」と語っていた。

あくまでも“予定外”の“10人上陸”で幕を閉じた波乱のツアー。果たして、尖閣諸島問題は今後どう動くのか? そして次回の“魚釣”ツアーはあるのか!? 船長! 漁師見習い記者は、それまでに釣りの腕を上げておきます。

(取材・撮影・文/畠山理仁)