脳の形成に貧困やストレスが影響、記憶力を阻害

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Brandon Keim


Flickr/ActionPixs (Maruko)

貧困のなかで育つということは、単につらい子ども時代を過ごすということだけにはとどまらない。脳にも悪い影響を与える可能性がある。

低所得層および中所得層の学生における認知力の発達を扱った長期の研究で、子ども時代の貧困と生理的ストレス、そして成人になってからの記憶力との間に強い結びつきがあるという結果が発表された。

3月30日(米国時間)にオンライン版『米国科学アカデミー紀要』(PNAS)に発表されたこの論文は、「慢性的に蓄積された生理的ストレスという視点に立つと、貧困がいかに脳に影響し学力を妨げる結果を招くかを解明する、説得力のあるモデルが生まれる」と論ずる。執筆者は、コーネル大学で児童の発達についての研究に携わるGary Evans氏とMichelle Schamberg氏だ。

貧富の差による学力格差に関しては、社会学的研究と認知科学的研究が行なわれている。Evans氏とSchamberg氏の研究は、この2つの間を隔てる欠けたパズルのピースをはめ込んだ感があり、その意味するところは不安をかき立てるものだ。学力格差に関する社会学的説明[貧しい階層の子どもは、環境が学ぶことに適していない状況にあるため、学力が劣るとするもの]は間違ってはいないだろうが、不完全である可能性がある。生物学的障害も存在するかもしれないのだ。

「収入と学力に格差を引き起こす原因として考えられるのは、低所得層の成人におけるワーキングメモリ障害だ。これは、幼少時のストレスで脳に受けた損傷によって引き起こされたものだ」と両氏は論ずる。

いわゆるワーキングメモリは、読解力、語学力、問題解決力を計る確かな指針と考えられており、これらの能力は成人になってから成功を収めるために欠くことのできないものとされている。[ワーキングメモリは、情報を一時的に保ちながら操作するための構造や過程に関する理論的な枠組。作業記憶、作動記憶とも呼ぶ]

Evans氏とSchamberg氏は自らの仮説を検証するため、[2007年に発表した]研究結果を改めて分析した。この研究は、男女半々の低所得層および中所得層の白人学生195名を対象に、ストレスを長期にわたって調べたもの。学生たちが9歳と13歳だった時点で行なった血圧とストレスホルモンの測定では、貧困とストレスの直接的な相関が示された。

学生たちが17歳になったとき、記憶力のテストが行なわれた。貧困のなかで育った学生に一連のアイテムを覚えさせたところ、思い出せたのは平均8.5品だった。子ども時代に経済的ゆとりのある暮らしをしていた学生の平均は9.44品だ。[ワーキングメモリは、一般に容量が制限されていると考えられている。短期記憶に関する容量限界の定量化としては、記憶すべき要素が何であれ(数字、文字、単語、その他)、若者が記憶できる量は「チャンク」と呼ばれる塊りで約7個という説がある]

Evans氏とSchamberg氏が、誕生時の体重、母親の教育程度、両親の婚姻状況、養育方針という要素によって結果を分析し直しても、結果は変わらなかった。若年時代のストレスレベルを計算上で均一化して分析し直すと、差はなくなった。

実験動物の場合、ストレスホルモンと高血圧は、細胞の結びつきの減少や、前頭前皮質と海馬の縮小を引き起こす。ワーキングメモリは脳のこの2領域を中心とするものだ。

[過剰なストレスによりコルチゾールが多量に分泌された場合、脳の海馬を萎縮させることが、近年PTSD患者の脳のMRIなどで観察されている。海馬は記憶形態に深く関わり、これらの患者の生化学的後遺症のひとつとされている]

Evans氏とSchamberg氏は人間の調査対象者の脳を精査したわけではないが、実験結果は基本的に、同じメカニズムが子どもたちのうちで働いていることを示している。

「動物の場合、脳の構造はストレスによって変化し、個体が若い時期に受けるストレスに影響される。われわれヒトという種に関しては、まだ研究が始まったばかりだ。Evans氏の論文は、この方向性を示す重要な一歩となる」と、ロックフェラー大学で神経内分泌学を研究するBruce McEwen氏は説明する。

McEwen氏はまた、少なくとも動物の場合には、ストレスの影響で両親から子どもに受け渡される遺伝子に変化が生じることも指摘した。貧困の影響は遺伝する可能性があるのだ。

この研究結果は注目に値するものではあるが、まだ追試もなされていないし、なお精度を高める必要性もある。「実際のところ、原因となる事象のどれがストレスを生むのかもはっきりさせていない」と述べるのは、ペンシルベニア大学の精神生物学者、Kim Noble氏だ。同氏は子どもの貧困と知力の間の関連性を研究している。貧困との精神的因果関係はまだほかにも測定しなければならないものがある。

「異なる認知結果には異なる原因があると思う。ワーキングメモリのようなものはストレスとの関連が強いかもしれないが、語学力は子どもたちが読むことに費やした時間に関係する可能性がある」と、Noble氏は語った。

参考論文: "Childhood poverty, chronic stress, and adult working memory." By Gary W. Evans and Michelle A. Schamberg. Proceedings of the National Academy of Sciences, Vol. 106 No. 13, March 30, 2009.

WIRED NEWS 原文(English)

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