スポニチ

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 1964年6月、10歳の時に「ウソツキ鴎」で歌手デビューすると、大人ばかりの世界でした。実際に子供だったし、体も小さかったので、周囲から「チビ」と呼ばれて可愛がってもらいました。特に可愛がっていただいた記憶が強いのは、名優の勝新太郎さんです。

 翌65年4月に公開された、シリーズの10作目「座頭市 二段斬り」に出させていただきました。役どころは三木のり平さん演じる「いたちの伝六」の娘「お鶴」。京都の太秦の撮影所に女性マネジャーと2人で2週間ぐらい滞在しました。勝手が分からないだけでも心細いのに、とても寒かったことを覚えています。学校の教科書を持ち込み、撮影所近くの旅館に泊まりました。

 のんびりした時代で、時間をたっぷりかけて撮影していました。土手でのロケの時です。いわゆる“お天気待ち”で、晴れるまで休憩していると、ディレクターチェアに座っていた勝さんから「おい、チビ!こっちにおいで」と呼ばれました。勝さん流のコミュニケーションだったのでしょう。私を膝の上に乗せて「チビは歌手なんだって?」と聞かれました。「どんな歌なんだい?」「ちょっと歌ってみろよ」と言うのです。

 アカペラで勝さんの膝の上で歌ってみせました。すると、勝さんだけでなく、照明スタッフやメーク担当の大人たちが拍手喝采で「うまいなあ」と褒めてくれました。寒々しかったその場の雰囲気も温まり、鼻高々でした。

 すると勝さんは「チビ、京都は初めてか?上手に歌ってくれたご褒美に、舞妓(まいこ)さんを見せてあげよう」と言い出しました。11歳になったばかりでしたが、祇園デビューをすることになったのです。三木さん、女性マネジャーと4人でお茶屋の大広間に座り、料理とお酒が並びました。しばらくすると「こんばんは」と10人ぐらいの舞妓さん、芸妓さんらが入ってきました。絵はがきでしか見たことがなかった本物です。芸妓さんの奏でる三味線や鳴り物で踊ってくれたり、歌ってもらったり、すっかりくぎ付けです。ジュースを飲むことも忘れるほど見とれていました。しばらくすると勝さんは「チビ、もう眠たいだろ?」と聞きました。「眠たくない!」と答えましたが「眠たいだろ!」と勝さん。女性マネジャーの「大人の判断」で、おいとましました。

 時は流れて、売れない歌手時代に銀座の高級クラブで歌っていると、勝さんと再会しました。「チビ、歌っているのか?」と喜び、大きな外車で家まで送ってくれました。車を降りる時に「ヒットが出るまで頑張れよ。諦めるなよ」とホッペにキスして激励してくれたのです。「おもいで酒」がヒットした時、番組企画で「共演したい方はいますか?」と聞かれて、即座に「勝新太郎さん」と答えました。すると本当に勝さんが出演してくれることになり、番組で一緒に歌ってもらえた喜びは一生忘れることができません。

 ◇小林 幸子(こばやし・さちこ) 本名・林幸子。1953年(昭28)12月5日生まれ、新潟市出身の72歳。作曲家・古賀政男に見いだされ、64年「ウソツキ鴎」で10歳の時に歌手デビュー。79年「おもいで酒」が200万枚突破の大ヒット。同年の日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞し、紅白歌合戦に初出場。以後34回出場した。最近はニコニコ動画、SNSなどで若い世代やネットユーザーに「ラスボス」として人気を誇る。