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2026年2月6日から22日まで、ミラノ・コルティナ2026冬季オリンピックが開催されています。開催国であるイタリアは、食をテーマに掲げた万国博覧会が開催されるなど、地域に根ざした食材や伝統の料理法が受け継がれた<食の多様性>が魅力の一つです。そこで今回は、龍谷大学政策学部・大石尚子教授の著書『イタリア食紀行-南北1200キロの農山漁村と郷土料理』から一部を抜粋し、その魅力に迫ります。

【書影】イタリアそれぞれの地域に根ざした食の多様性を描く。大石尚子『イタリア食紀行-南北1200キロの農山漁村と郷土料理』

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食材の定義にこだわるローマ市民

トスカーナの田舎の美しさとは正反対に、世界を支配したローマ帝国としてのプライドを保つローマ市民は、古代から連綿と続く食文化を自負している。食材の定義にもこだわる。

「アッバッキオ」というローマを代表する食材がある。子羊の肉のことだが、ローマでは、イタリアで一般的に使われる「アニェッロ(子羊)」とは区別して、まだ乳だけで育つ雌の子羊を特に「アッバッキオ」と呼ぶ。

イタリア人は食の話題が好きである。違う出身地の人たちが郷土食の話になると、似た料理や食材の呼び名が方言なのか、それとも一般名詞なのかをめぐる論争が起きる。しかし、研究によれば、アッバッキオはローマ方言ではなく、他の地域の子羊とは区別される一般名詞である。

今はPGI(地理的表示保護:Protected Geographical Indication)に認定されるためには、ローマ県で飼育された生後28~40日の羊の子でなければアッバッキオを名乗れない、希少な食材である。したがって「ローマ料理」をうたうレストランで出されているアッバッキオは、すべてが本物とは考えにくい。なかには普通の子羊か、輸入品もある。

スパゲッティ・カルボナーラ

代表的なローマ料理と言えば、プリモ・ピアット(第一の皿)のスパゲッティ・カルボナーラを挙げる人が多い。しかし、その歴史は意外と新しい。

第二次世界大戦時、ラツィオ、モリーゼ、カンパーニャ州の間にあるラインハルト線で交戦中の連合軍アメリカ兵士が、アドリア海とアペニン山脈間にあるアブルッツォの名物料理であるカーチョ・エ・オーヴァ・パスタを味わったことに始まる。

伝承によると、故郷の味を再現するために、アメリカ兵士は地元のレシピにグアンチャーレ(豚の頬肉。アメリカのベーコンに似ている)を加えたという。この珍味の香りがローマ人の鼻孔を酔わせ、レシピとして定着したのである。

イタリアでは、ピッツェリア(ピザ店)やレストランで、給仕にタバスコはないかと尋ねると、あからさまに嫌な顔をされる。イタリア人は、アメリカ的なものを毛嫌いするところがあるが、カルボナーラのレシピは、アメリカ人に縁があることをほとんどのローマ人は知らない。

下町文化あふれるトラステヴェレ

下町で発達した庶民料理にも、ローマを特徴付ける料理がある。ローマ中心部からテヴェレ川を挟んだトラステヴェレは、人情味あふれる下町の面影が漂う観光地になっていて、独特な食文化がある。その独自性もまた、ローマ時代に遡る。

「トラス」は「越えて」を意味し、この地区は「テヴェレ川を挟んで向こう側」である。ローマは、トラステヴェレ以外は、大方、テヴェレ川の東側に広がる。トラステヴェレは、ローマとは別の地区で、そこに暮らす人々を蔑む意味合いも含まれていた。


(写真はイメージ。写真提供:Photo AC)

共和政ローマ時代、この地区にはエトルリア人やユダヤ人などの外国人、それに下層職人、肉体労働者、キリスト教徒など、いずれも当時社会から疎外されていた人々が集住していた。

この地区は、道が狭く、途中で途切れて行き止まりになっていたりして、迷路のようである。都市計画の不在がすぐにわかる。実際、ローマ時代以降は統制が行き届かず無法地帯と化していたという。第二次大戦後に、農村から流入してきた労働者が住み着き、下町文化が形成された。

ローマ料理に欠かせないメニュー

こうした歴史が独特な食文化を形成した。ユダヤ人居住者によって伝えられたユダヤ料理、それに労働者が好んで食べた臓物料理もこの地区ならではである。19世紀末に、ローマの人口増加に伴ってその胃袋を満たすため、トラステヴェレの対岸にあるテスタッチョ街に食肉処理場が置かれた。おかげで臓物がふんだんに手に入り、珍味を料理するのに慣れていたトラステヴェレの人々が調理し、ローマ料理に欠かせないメニューに加わった。

この臓物を「quinto quarto(4分の5)」と言うが、それは、臓物が枝肉全体の重さのおよそ4分の1に相当することに由来する。臓物は、前脚後脚の四本の部位より値が高い。かつては食肉処理場で働く労働者の給料として、臓物の一部を現物支給していたことがあった。

ローマでは、カルチョーフィ(アーティチョーク)やプンタレッラなど特徴的な野菜を使った料理も有名だ。プンタレッラは春の味覚である。チコリという菜っ葉の一種だが、茎の付け根がふくらんでいて、少し苦みがある。アンチョビと和えてサラダにしたり、オリーブオイルと唐辛子でソテーにしたりして食べる。独特の香りがして美味しい。こうした野菜は、ローマ市近郊で多く栽培されている。

※本稿は、『イタリア食紀行-南北1200キロの農山漁村と郷土料理』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。