「5歳で何もわからないまま親元を離れ、伯母が出家した先の信州の寺に入門。15歳で得度し、愛知専門尼僧堂に入りました」(撮影:本社・武田裕介)

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世界的に知られる尼僧である青山俊董さんは、5歳のときに仏の道へ。禅の普及に努めながら、多くの悩める人々に教えを説いてこられました。「人生は幸せを求めての旅」と語る老師に、よりよく生きるためのヒントを聞きます(構成;野田敦子 撮影:本社・武田裕介)

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財産も地位も名誉も仮の持ち物にすぎない

人生には、「授かり」の面と、自らの手で絶え間なく「択(えら)び」取る面の二つがあると思います。

「授かり」というのは、時代や性別、国籍、血縁など本人のあずかり知らぬところで決まっているもののこと。人間一人の力ではどうすることもできない、宿縁ともいえるものですね。

私の人生も、まさしく「授かり」から始まりました。母が妊娠中、実家で開かれていた御講(おこう)の席に亡き祖父が現れ、皆の前で「お腹の子は出家するだろう」と予言したのだとか。

祖父は、修験道の大先達(だいせんだつ)として敬われた人物でした。多くの僧侶を出した信仰厚い家でしたから、両親も覚悟はしていたのでしょう。それでも母は、悲しさのあまり泣き暮らしたと聞いています。

5歳で何もわからないまま親元を離れ、伯母が出家した先の信州の寺に入門。15歳で得度し、愛知専門尼僧堂に入りました。

修行のかたわら定時制高校に通い、大学から大学院へ。学業に励んだ10年あまりの間には、結婚と仏道を両立できないかと考えたこともありました。

しかし、師と仰ぐ名僧・澤木興道(さわきこうどう)老師さえ、「わしも力があったら、結婚するわな」とおっしゃるほどの厳しくも深遠な道。師の足元にも及ばない私に、両立する力などあるはずもありません。

曹洞宗宗務庁や大学の研究所などから「うちに来てくれ」とありがたい誘いを数々いただきましたが、きっぱりとお断りし、愛知専門尼僧堂に戻って修行に打ち込むことにしました。

思えば、あのとき初めて「授かり」の人生を自らの手で「択び」取ったのです。たった一度の命の時間を最高のものにしたい。そのために仏の道を歩もうと決めて。31歳のときでした。

私に限らず、人生の始まりは授かりの世界ですから、自分ではどうすることもできない。意に沿わないからと文句を言ってみても始まりません。問題は、それをどう受けて立ち、自らの手で転じていくか。何が幸せかを考えて択び抜く。そのまなざしの深さ・高さが、歩んでいく道を決めるのだと思います。

哲学者ルソーは、著書『エミール』でこのように語りました。「人は、裸で生まれ、裸で死ぬ。その中間でさまざまな着物を着る。女王のように華やかな衣装、物乞い、僧服、金持ち、社長、美人、さらには主義、うぬぼれ、劣等感など……。すべては衣装。ほとんどの人が衣装ばかりに目を奪われ、裸の私自身をどうするかを忘れてしまっている」と。

ルソーの言うとおり財産も名誉も地位も、さらにはうぬぼれや劣等感すらも、つかの間、身にまとう衣装であり、仮の持ち物にすぎません。病気や死の前では何の役にも立たない無力なものばかり。

そんなものに執着するのでなく今日只今(こんにちただいま)、「裸の私自身」がどう生きるかを択び抜き、不幸なできごとさえ「おかげさま」といただくことのできる心のあり方を手にする。それこそが本当の幸せでしょう。

病から学んだ「当たり前」のすばらしさ

尼僧堂の朝は早く、3時台に起床して4時には坐禅を始めます。さらに私はずっと、講演や坐禅の指導などで忙しく全国を飛び回る生活を続けてきました。

ところがここ数年、立て続けに大病をいただいて。脳梗塞、心筋梗塞、大腸がん、心臓発作、がんの肝臓転移、大腿骨骨折……よくもまあこんなに、と自分でも驚くほど(笑)。しかし、おかげさまでようやく人様を見舞う資格ができたと安堵してもいます。

元気なうちは、どんなにがんばっても他人事。病を得てはじめて自分のこととして見舞えるようになりますから。仏教の同悲(他者と悲しみを同じくする)の教えに、わずかなりとも近づけた気がするのです。

周りには心臓発作とがんの転移で二度も葬式の覚悟をさせてしまいましたが、病気から学んだことは計り知れません。なんといっても一番は、「当たり前」のすばらしさ。普通に立って歩いて食べて眠る。その当たり前が、いかにありがたいことか改めて味わうことができました。

人は皆、病気になると治りたい一心で治療法を懸命に探し、病院に通い、まじめに薬を飲むようになるもの。病という苦しみが原因となって、救いを求める心が起きるのでしょう。なにも病気に限ったことではありません。私たち人間は、苦しみや悲しみに導かれて、切に求める心が生まれるのです。

ですから私は常々、「悲しみや苦しみは、お釈迦さまからの『アンテナを立てよ』という慈悲のプレゼント。ありがたく受け取りましょう」とお話ししています。

病気を治したいというアンテナを立てるからこそ、よき医師、よき薬に巡り合えるように、苦しみや悲しみのおかげで切に求めるアンテナが立ち、よき師、よき教えに出会うことができる。それが、ひいては幸いへと転じていくのです。

もう一つ、私が病床で何度も思い返し、しみじみと味わった一節があります。それは、曹洞宗を開かれた道元禅師の「四運(しうん)を一景(いっけい)に競う」というお言葉。四運とは、季節でいうなら春夏秋冬、人生でいえば生老病死。一景とは、「同じ一つの姿勢」という意味です。

道元さまは、「人生は四季のように移ろうもの。生も死も、健康も病気も、愛も憎しみも、成功も失敗もあらゆることが起こりうる。しかし、どんなときものぼせ上がったり、落ち込んだり、逃げたりせずに同じ姿勢で受け止めよ。さらに一歩進めて、すべてを豊かな景色として味わいなさい」と諭しておられます。

自分の身に何が起ころうと、ここを正念場として腰を据え、しかと受けて立つ。さらに一歩進めて積極的に豊かな景色として楽しむ。私も病気をいただいたおかげで、この教えの重みを改めて実感することができました。

うれしいことも、つらいことも、いろいろあるほうが人生は豊かです。電車の旅も、景色に変化があったほうが楽しいではありませんか。

<後編につづく>