人間の根本には「陰謀論的なものの見方」がひそんでいる…直木賞作家・小川哲が「陰謀論」に惹かれる理由

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『地図と拳』で山田風太郎賞、直木賞を受賞。注目作を発表し続ける小川哲さんの最新の短編集『スメラミシング』では、「陰謀論」が重要なモチーフの一つとなっている。小川さんに執筆の背景を聞いた。

〔撮影:西粼進也〕

宗教と神と陰謀論

――表題作「スメラミシング」では、「コロナワクチンにはナノマシンが入っている」「マスクはしてはいけない」などと訴える人物や、深遠な言葉をつぶやいて「預言者」のように信者を獲得していく人物が出てきたりと、陰謀論が一つのテーマとなっているように見えます。なぜ陰謀論を扱おうと思ったのでしょうか。

小川そもそも、今回の短編集は、神や宗教をテーマにしようと執筆前から話していました。現代において神や宗教を考えるうえで、陰謀論は避けて通れないだろうと考え、作中に登場させました。

――陰謀論と宗教は、似ている面があるということでしょうか。

小川そうですね。たとえば、聖書というのは、いろいろな偽書を取り入れながら成立してきた過去があり、今作の冒頭の短編「七十人の翻訳者たち」は、聖書がそうした偽書を取り込みながら洗練されていく様子を描いている部分があります。

陰謀論にも、都合のいい情報をピックアップして洗練された物語をつくっていくという側面がありますが、その点で陰謀論は宗教と似ています。陰謀論というのは、今風でありながら、実はとてもトラディショナルな信仰の問題と関りがあるのかなという気がしています。

ほかにも、たとえば都合のいい情報を取り入れながら「物事に因果を見つけ出す」という行為は、いにしえから、人間が信念の体系をつくるときの基本的な運動といえるのと思いますが、陰謀論の魅力も同じように、「因果を説明してくれるところ」ではないでしょうか。

この現実世界は偶然によって成り立ち過ぎている。そうすると、嫌な思いをしたり、自分の人生を何かに奪われたりしたときも、責任の所在が分からないので怒りのぶつけ先がないわけですね。だから、分かりやすい原因を求めてしまう。

小川その究極形が新型コロナウイルスだったと思っています。誰を責めていいかもわからない中で、陰謀論は「この人が悪いんだよ」と一つの答え、因果を与えてくれるものだと思うんですよ。これが、陰謀論を熱烈に支持する人がいる一つの要因なのかなという気がしています。

そうした意味で、人間は陰謀論的なものとずっと共存してきたというか、陰謀論は人間を人間たらしめているものですらあるのかなと思えるんです。人間は陰謀論的な枠組みの中に生きていて、僕ら自身も陰謀論を笑うことはできない。だから、作品を書くうえでは陰謀論者を上から目線で否定しないよう気をつけました。

「恋愛は陰謀論」?

――人間が陰謀論的な枠組みの中で生きている、というご指摘はとても興味深いです。日常の中で、実際にそう感じられることはありますか?

小川身近な例でいえば、恋愛は陰謀論的な行動を引き起こしやすいのではないかと思っています。たとえば、片思いをしている相手から連絡が来ないときに「相手は今こんなことをしているのでは」と想像したり、メールの一節に過剰に意味を読み込んで「僕に気があるのかも」と期待したりする。

相手がXのアカウントでこういうつぶやきをしたのは、自分以外の誰かとご飯を食べに行ったことを示しているのではないかとか、逆にそれを示すことで嫉妬をしてほしいのではないかとか。自分が見えない部分の因果を勝手に想像で埋め合わせて、ストーリーを組み立てて絶望したり興奮したりしますよね。

それは、ある種の陰謀論に近いところがありますよね。恋愛をしている人以外から見れば、「相手の発言はたまたまのもので、何も考えてないだろう」と捉えられるけれど、当人は「すべての行為に理由があるんじゃないか」と考えてしまう。それが世界の構造に向かうと、「コロナウイルスは誰かが意図的に流行させた」と考えてしまうような、陰謀論と呼ばれるものになりやすいのではないかと思います。

――なるほど、とてもおもしろいです。今回の短編集に収録されている「密林の殯」の登場人物は、天皇を崇拝していたり、宅配をスムーズに行うことに快感を覚えていたりと、その多くが何かに熱中し、耽溺しています。これも、陰謀論と関係しそうな気がしますが……。

小川そうですね。僕は、誰もが何かしら、無批判に信じたり受け入れたりしてしまうものや、不条理なまでに耽溺してしまう対象をもって生きているのではないかと思っている節があります。人はその耽溺を中心にして、ストーリーを組み立てたくなる。そのような意味で、僕らは人間である以上、陰謀論的なものから完全に距離を取ることはできないのだと思います。

いわば、みんなが心の中に「天皇」を抱えている。でも、その対象はそれぞれ異なっています。そうしたことも、今作を通じて書きたかったことの一つです。

――たしかに、小川さんの過去作を読むと、登場人物はそれぞれ異なる熱中の対象を持っているように思います。

小川僕の場合、「他者について知りたい」、「自分と違う考え方をしている人について考えたい」というモチベーションでほぼすべての作品を書いています。『スメラミシング』であれば陰謀論を信じている人が対象になるし、『地図と拳』であれば戦時中の軍人になるし、『君のクイズ』であればクイズプレーヤーになる。今作も、世の中を啓蒙しようと思って書いたわけではなくて、どうして陰謀論を信じるのだろうと自分なりに考えてみたいという素朴な欲求がありました。

さらに【後編】「」の記事では、陰謀論は物語、小説とどう関係するのかについて聞いた。

「陰謀論」と「宗教」と「小説」は似ている…? 「物語」という存在のヤバさを、直木賞作家が考える