多くの人がいつでも「仕事を辞めてやる!」と言えない「社会に巣食う病理」

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「クソどうでもいい仕事(ブルシット・ジョブ)」はなぜエッセンシャル・ワークよりも給料がいいのか? その背景にはわたしたちの労働観が関係していた?ロングセラー『ブルシット・ジョブの謎』が明らかにする世界的現象の謎とは?

いつでも「辞めてやる」といえるように

グレーバーは、ユニバーサルベーシックインカム(UBI)を想像することで、BSJ現象が形成していたサドマゾヒズム状況も脱出することができるといっています。

グレーバーはBSJのもたらす精神的状況のひとつに、職場の日常的サドマゾヒズム状況をあげ、フロム的精神分析の延長上ですすめられたフェミニズムの分析を応用していました。小規模の厳格なヒエラルキー的状況のなかでは、セクシュアルではないSM状況が日常化するという分析です。

これは軍隊のような場所では極端なかたちでみいだせるでしょうが(軍隊でのいじめ問題はどこでも深刻です)、ヒエラルキーのためのヒエラルキーがあたりまえのように(たとえば、偉そうな人間を偉そうにするための仕事があるというような)なる状況では、それはどこでもはびこります。

ヒエラルキーのためのヒエラルキーを好む、閉鎖的である、モラルの倒錯性が強力である(たとえば、幸せにするための規則が、規則のために幸せを犠牲にするという発想に容易に転化する)などの条件を備えた日本は、こうした日常的サドマゾヒズムの土壌の肥沃さにかけては世界でも有数でしょう。

グレーバーもいうように、この問題を深刻化させるのは、ゲームを降りることができないという点にあります。それが、実際のSMプレイ(ゲームをやめるサインの取り決めがある)と日常的サドマゾヒズムを分かつ点であり、後者を「しゃれにならない」ものにしています。「辞めてやる」となかなかいえないということですね。

この相手が「辞めてやる」といえないことが、また人をサディスティクにしてしまう条件だとおもいます。

いじめもそう。相手が逃げられないことがわかっている閉鎖環境だからこそ、ますますいじめは昂じていきます。これはだれしも無縁ではないワナだとおもいます。わかっていてもいじめてしまう。相手が逃げられなくて恐怖で縮んでいると、ますますなにかいらいらして、叱責が強くなる。

こういう経験は(加害側か被害側かはともかく)だれだってあるとおもいます。いつでも逃げられるなら、こうした、だれも幸福にしないサディズムのゲームを最小化することができるでしょう。

ベーシック・インカムが生み出す「幸福な社会」

それにしても、ここでグレーバーのヴィジョンがいちばん魅力的なのは、以下のようなところです。

BIへの批判として、そんななにもしないで収入を与えたら、みんな怠惰でぶくぶくになるか、あるいはばかげたことばかりしてしまうだろう、というものをとりあげて、かれはこういいます。

なるほどかれらはおそらく社会に貢献することを望むであろう、だが、そうするとみんなばかげたことをやりはじめて、あげくのはてに、社会は、どこもかしこも、へたくそな詩人、はた迷惑なストリート・ミュージシャン、路上パントマイマー、そしてイカレた永久動力とかなんだかわけのわからない発明家であふれてしまうにちがいない、と。たしかにその予測は、ぜんぶ外れているというわけではないとおもいます。しかし、考えてみてください。かりに四〇パーセントの人々がすでにじぶんたちの仕事はまったくもって無駄だと考えているのだとすれば、いまよりも悪くなっていくことがあるでしょうか?少なくとも、一日中書類を埋めるよりは、そうしたばかげたことをする方が、はるかに幸せなことではあるはずです

このイカれた発明家とかパフォーマーなどのイメージで、わたしがすぐにおもいだしたのは、大阪の朝のワイドショーでやっている「となりの人間国宝さん」というコーナーです。これは、円広志とか月亭八光といった、こうした「一般人」にからませたら超絶的能力を発揮する人たちが、いっぷう変わったおもしろいことをやっている人物を関西の町を歩いて探していくというものです。

一時期、それがとにかくおもしろくてよくみていたのですが、どの町にもびっくりするようなことをやっている人がうじゃうじゃ湧いてでることです。われわれの知らないようなジャンルで世界一とか、おかしな発明に熱中している人とか、家を改造してとんでもないプロジェクトに邁進している人とか、まるで見知ったものとは別の世界がそこにはあるかのようなのです。

とくに関西だけが──もちろん相対的に多いということはあるかもしれませんが──そんな「奇人変人」にあふれているというわけではないとおもいます。こうした人たちであふれる世界、そうした人たちの一員となれる世界というのは、したくもない職場でいやな上司にいじめられて、たまの休みではぐったり寝てすごしたり、あるいはYouTubeでネコの動画をぼーっとみてるとか(まあ、これはわたしですが)、そういう世界よりはわくわくしないでしょうか。

つづく「なぜ「1日4時間労働」は実現しないのか…世界を覆う「クソどうでもいい仕事」という病」では、自分が意味のない仕事をやっていることに気づき、苦しんでいるが、社会ではムダで無意味な仕事が増殖している実態について深く分析する。

なぜ「1日4時間労働」は実現しないのか…世界を覆う「クソどうでもいい仕事」という病